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あめふら

Author:あめふら
二次創作のお話を書いたり、書かなかったり。
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pixivで描いた漫画をまとめました。


『OVERCOLL2』 とらのあな
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『レジンフィギュア・物部ハト』

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香霖堂奇譚 第八話  桜神(前編)



 しぶとく残っていた最後の雪が融けるのと、桜が咲き始めたのはほぼ同時だった。各々に具えられた正確無比な自然の時計によって、季節が無事引継ぎを完了した証だ。香霖堂の窓からも見事な桜が見える。薄紅色の花弁が風と呼ぶまでも無い僅かな流れに攫われて咲いた端から散っていく。
 うららかな陽気だった。慢性的な湿気と暗がりに覆われた魔法の森でさえ、春の日差しの中ではいかにも暖かそうに枝葉を震わせる。
 霖之助は磨硝子で和らげられた明かりを元手に本を紐解きながら、時々思い出したかのように外の桜を眺めては目を休めていた。香霖堂の店内にはどこか季節とは隔絶された雰囲気がある。大雪でも干天でも、店の中は常に一定量の仄暗さと風通しと埃臭さを湛えている。もっと露骨に言うならば、それは隔絶されているというよりも拒絶に近い印象すら与えかねない。
 実際、店の主にそのような意図があるのかどうかは解らない。しかし多かれ少なかれ家屋は外界を遮断するものであるし、それがいくらか過剰に働いたところで霖之助の生活には何の問題も無い。例え宮殿のような豪奢な家屋があろうと、彼にとっては最低限生活が出来る空間が保障されていればそれでいいのかもしれない。そして霖之助の言う生活とは大部分を読書によって占められていた。今日も昨日も恐らく明日も、彼の生活は本と共にある。安定していると言えばしていた。代わり映えがしない退屈な毎日と言えばそう言う事も出来た。ともあれ霖之助はそうした怠惰な生活を享受していたし、それが元で誰に迷惑をかけている訳でも無い。本人が好きで身を浸している以上他人がとやかく言う筋はないというものだ。
 もちろん霖之助とて完全に判を押したような無変化の毎日を送っている訳では無い。隠れ住むような彼の住居にも季節の便りは平等に届く。例えば春の陽気や、綻び盛る色々の花がそうだ。

 霖之助が一息ついて本から目を外すと、視線の先にひらひらと一片の桜が漂っていた。室内で、である。一体どこから入り込んだのだろうか。丁度通路の真中で、珍しい物を見るような霖之助の視線を受け、まるで恥じらうかのように踊っていた。
 やがて花弁は滑り込むように霖之助の手元に流れ落ちた。霖之助は思わぬ春の届け物に口の端を小さく持ち上げ、花弁を抓み上げると、窓越しに外の桜を透かして眺めた。
 と、突然表情から笑みが消えた。眼鏡の奥の金色の目がしばらくの間不審に曇り、そして次の瞬間、花弁ごと両手をカウンターに叩きつけながら、忘れていた約束を思い出した恋人のように勢いよく立ち上がった。慌てて背後にある暦に手を伸ばして今日の日付を確かめる。それから大急ぎで店の外に飛び出し、桜の周りを犬のようにぐるぐる回って盛衰を確かめた。
 口の中で何事か小さく数えた後、落ち着きなく腕を組んでまたしても木の周りをぐるぐる周り、憔悴した表情で何度も桜を見上げては、諦め悪く溜息を吐いた。桜が艶やかである分だけ、それを見上げる気落ちした男の肖像は強調されて見えた。
 どこからどう見ても、彼が桜を歓迎していないことは明白だった。

  ◇

 人里の寺子屋にも桜の便りが届いていた。
 幻想郷には元々桜が多い訳ではないが、その分一本一本の木が大きく、またその花振りも見事であるのが特徴だった。地面の所々に、家々の屋根の端々に、どこからともなく飛んできた桜の花びらが折り重なって、風が吹く度に薄紅の渦模様を描いて人々を喜ばせた。
 春は花の季節、とりわけ桜の季節だ。花嵐は里人を狂喜させて惑わした。丁度博麗神社の桜も見頃であり、連日花見の席が設けられていた。長く冷たい冬から解き放たれて、草木や獣ならずともうきうきと心が浮き立つ季節だ。
 しかし教師の目線で言うと、心が踊り出すのはどうも教室の外に限られるらしかった。教室の中では春は悉く眠気に変換されて子供たちの瞼にのしかかる。絶妙に配合された気温と光線の綾は、まるで揺り籠のように理解力を滞らせ催眠のベールをかける。
 まあ授業が進まないこと進まないこと。
「みんな、もうちょっとシャキっとしような」
 慧音は壊れたオルゴールのようにこの台詞を繰り返す。しかし効果は薄い。それも仕方の無いことかもしれない。ぽかぽかと暖かい春の陽気は、冬眠から目覚めたばかりの寝惚け眼にはあまりに優しい。
 そもそも季節に抗うことが不毛なのかもしれない。正直なことを言えば、教壇で鞭を取る慧音だって眠い。うっかり気を抜くと欠伸が出てしまう。もちろん児童の手前そんな醜態は見せないのだが、架け替え寸前の古い吊り橋を渡るように危うい。懲罰の頭突きが今日ばかりは慧音自身の目覚ましとしても役に立っている。
 こんな状況で授業をする意味はあるのだろうかと慧音は溜息を吐いた。児童も教師も、互いにもやもやとした眠気の虜だ。こういう天気の良い日は教室の中で文字の書き方を教えるよりも、自然観察と称して表で草花に親しませたほうが良いのかもしれないなと思った。しかしそれならばわざわざ寺子屋で教えなくてもそれこそ自然に触れ合っているだろうし、やはり読み書き算術を身に着けさせるのが学舎の第一の役目であろう。
 ああ、それにしても、眠い。
 改めて教壇から教室を見渡すと、窓際の日当りのいい席に着いている子供はその半数が夢の中だ。そりゃあこんな陽気に日向ぼっこをすれば眠くなるのは決まっている。私の声も丁度いい子守唄になっているに違いない。決して私の授業がつまらないから眠っている訳では無い。
 慧音は呆れ半分、羨ましさ半分で寝た子を起こして回る。
「ほら、眠いのは解るけれど、授業中は起きていないと駄目だぞ」
 と、慧音の袖を引っ張って止める者がある。
「先生、先生」
 振り向いてみれば前回霧雨少年に精緻な折鶴を作って贈ったあの少女だ。陽の光で一際明るく染まったたんぽぽ色の髪が少し目に眩しい。
「どうした?」
 訊ねると少女は窓の外を指さして、困惑気味の小声で呟いた。
「あの人、来てる」
 示されるまま外に目をやると、窓の向こうで霖之助がしきりに手招きをしていた。
 眠気が根こそぎ吹き飛んだ。
「霖之助!?」
 勢いに任せて思わず窓を開ける。不意に吹き込んだ春の風に教室の空気も一変した。
「え? ちょっと、どうしたんだ一体?」
 体を窓から乗り出すと、子供たちも見慣れぬ人影を面白がって砂糖菓子に群がる蟻のようにわさわさと窓辺に寄ってきた。
「なになに? 誰か来たの?」
「先生、この人だれ?」
「だれー?」
「だれだれ?」
「わあ髪白ーい。なんで?」
「こら! 席に戻りなさい!」
 慧音はまとわりつく子供たちを必死に宥めようとする。だがもちろん効果は無い。見知らぬ闖入者の出現は、子供たちにとって退屈な授業を紛らわす恰好の清涼剤だったのだろう。今やすっかり犇めいた窓枠に、霖之助はちょっと気圧されて目を丸くした後、気を取り直して「こんにちは」と言ってみた。子供たちは合唱のように「こんにちは!」と返した。うるさかった。
 深い眠りに落ちていた霧雨少年もこの合唱には堪らず目を覚まして、寝惚け眼で窓の外を見るが早いか、標的を察知した鷹のように一気に目を見開き、引き絞られた矢のように他の子供たちを押し分けて真正面に躍り出た。
「てめえこの銀髪眼鏡! 何しに来やがった!」
「戻りなさいっ!」
「ぐあっ!」
 頭突きを喰らった少年は頭を抱えて轟沈する。子供たちはその様子を見て声を上げて笑った。霖之助も一緒になって笑っていた。ただ一人折鶴の少女だけが心配そうにこそこそと少年の傍へ寄った。
「大丈夫?」
「寝起きはキツイ……」
 慧音は子供たちに向き直って机を一々指さしながら指示を飛ばす。
「ほら! 皆も戻って戻って! 悪い子には頭突きだぞ!」
「いやー! 頭突きだー!」
「逃げろー!」
「こら! お行儀よくしなさい!」
 ところが却って鬼ごっこのようになってしまった。もう駄目だ。しばらく授業の体勢は整わない。
 慧音は窓にもたれかかって溜息を吐くと、窓の外の霖之助は笑いをこらえながら言った。
「ちゃんと先生しているじゃないか」
「もうっ! なんだよ! 邪魔しにきたのか?」
 と、睨みを利かせながら顔を赤くして言い返す。
「違う違う。手伝ってほしいことがあるんだ」
 霖之助は手をひらひらと振った。
「手伝ってほしいこと?」
「ああ。ちょっと緊急事態って奴でさ。一人じゃどうしようもない」
 霖之助は困り果てたように肩を落としてみせた。
 この思わぬ申し出に慧音はすっかり目を丸くしてしまった。ここまで素直に救援を求められたのも初めてだ。というか、彼の方から救援を求められたこと自体が初めてだ。世間から一歩退いた位置に座り、超然とした視点を保ち続ける彼は、何となく大抵の出来事ならば一人で熟してしまうような印象があったのだ。なのでこうして真正面から手伝ってくれと頼まれると非常に新鮮味がある。
 そして同時に彼の身に降りかかった問題が並の重さでないことも連想された。そうでなければ、なぜこの時間帯に出不精の彼がわざわざあの廃屋から足を延ばして来たのか説明が付かない。一体何が起こったのだろうか。何にせよ、申し出を断るという選択肢はない。本気で困り縋ってくる人を蹴る程私は冷酷ではない。
「解った。何をすればいい?」
 慧音は誠実な顔で答えた。と、その後ではっと思い出したように左右の子供たちを振り返って、慌てて付け加えた。
「ああ、でも、今はこの通り授業中なんだ。ええと、だけど急ぐよな?」
 霖之助は頷いて言った。
「かなり急ぐ」
「うー……」
 慧音はこめかみに手を当てて小さく呻きながら今日の予定を調整した。いくら彼が急いでいるからと言って本職の授業を途中で投げ出す訳にはいかないし、とすると短縮するしか無いか。午前の授業は出来るだけ早く切り上げて、午後は休校にしてしまおう。幸いその後の予定は何も入っていない。
「ごめん。悪いけれど、やっぱり中断する訳にはいかないんだ。早めに切り上げるから、授業が終わってからでもいいか? どんなに遅くとも正午まではかからないから」
「ああ、それでいいよ。悪いね。助かる」
 霖之助は安心したように胸を撫で下ろした。慧音も要求が通って安堵の息を吐いた。
「香霖堂に行けばいい?」
「いや、正午だったらまだ買い物をしていると思うから探してくれ」
 と言った後で、霖之助は俄かに考え直して続けた。
「いや、やっぱり直接香霖堂に来て貰えるか? それで、そのとき君の家から持てるだけの調理器具を持って来てほしいんだ。頼めるかい?」
「調理器具? まあいいけれど……」
「良かった。じゃあまた後で」
「ああ。後でな」
 話が済むと霖之助は急ぎ足で街中へと去って行った。
 慧音は窓から身を乗り出して、思案気な眼差しを背中に投げながら彼を見送った。やはりどこか焦っている風だ。本当にどうしたのだろう。何が起こったのだろう。
 思いながら振り返ると、教室中の視線が真っ直ぐ慧音に注がれていた。子供たちの好奇心に満ちた正直な眼が痛い。
 慧音は長い沈黙の後、わざとらしく咳払いをして教壇に戻り、子供たちに向かって良く通る声で告げた。
「ええと、先生ちょっと予定が入ったから、いきなりで悪いが午後の授業は無しだ」
「やったあ!」
 あちらこちらの机から待ち侘びたように歓声が上がる。
「はい静かに!」
 慧音は教壇の教科書をぱんぱんと叩きながら更に言葉を続けた。
「その分、残りの時間はしっかり身を入れて授業を聴くこと。解った?」
「はあい!」
 春らしい生命力に満ち溢れた元気な返事が教室に谺した。子供たちの心は一足早く春の野を駆けだしているようだった。全く現金だなあと慧音は微笑む。
 と、その中でただ一人、霧雨少年だけが憮然とした表情を浮かべていた。

  ◇

 予告通り授業はかなり早めに切り上げられた。慧音の時間配分の技術以上に、今を耐え忍べば午後からは休みだと解った子供たちの手のひらを返したような勤勉さに救われた。お蔭で普段よりも三十分以上も早く子供たちを下校させることが出来た。
「先生さようなら!」
「ああ、気を付けてな」
 子供たちは慧音に手を振りながら駆け出して行く。いくつかのグループは早くも遊びの算段を付けているようだった。
 もう子供たちが粗方姿を消した後、最後になって霧雨少年が不機嫌な顔で現れた。
「香霖堂って言ったっけ? あの銀髪眼鏡」
「ん? ああ。そうだよ」
「先生さあ、ちょっと不用心っていうか、なんか素直過ぎない?」
「はい?」
 慧音が首を傾げると、霧雨少年は大袈裟に腕組みをして立ちはだかった。
「だってよ、いくら何でも要件も聞かずに請け負うってのは甘すぎだぜ? それで何か訳の解らねえ契約とか結ばされたらどうすんだ?」
 慧音は一瞬あっけに取られたが、少年が彼なりに心配してくれているのだと気が付くとすぐさま笑顔に転じた。
「無い無い。あいつにそういう世俗の価値観は無いよ」
「それが甘い! 大体先生はお人好し過ぎるぜ!」
 霧雨少年はびしりと指を突き立てながら言う。
「こら、人を指ささない。でも、相手が困っていて、助けを求めて来て、自分にその能力があるのなら助けてやるべきだろう? それにさ、あいつから助けてくれって言われたのは初めてなんだ。私だって何度か助けられたんだし、人はそうやって助け合っていくべきじゃないか」
「けっ。あんな得体の知れない奴!」
 霧雨少年は腕を組み直した。慧音は困ったような笑みを浮かべた。どうも初対面の時から霧雨君と霖之助の仲は悪いようだ。
 男同士は複雑なのだろうか。少年は続ける。
「俺ならまず相手の裏を考えないことにはどんな取引も請け負えないね。大体人かどうかも解らねえじゃねえか」
 と言った後で霧雨少年はさっと顔色を変えて、慌てて腕を解いた。
「あ、いや、違うぜ? 先生のことじゃなくて……」
「ん、気にしてないぞ?」
 慧音は平然として返した。実際、霧雨少年が取り乱すまで何の話をされているのか忘れていた。
 そうだ。時々私は、自分が純粋な人間では無いことを忘れてしまう。けれどそれは幸せなことなのだ。
「……すみません」
 霧雨少年は慧音の笑顔に却って打ちのめされたようだった。申し訳無さそうに頭を下げ、それそのまま抱えて吼えた。
「あー駄目だ! 商売人の息子が口滑らしたら駄目だ!」
 その様子に慧音は思わず笑い、しょんぼりとした少年の肩をとんとんと叩いた。
「いや、駄目じゃない。霧雨君は偉いよ。ちゃんと証拠を集めようという意識を持っている。私も見習わなくちゃな」
 これは紛うことなき本心である。その想いが伝わったのか、霧雨少年は慧音の顔にしばらく見惚れた後、少し気まずそうな照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「さ、霧雨君もお帰り」
「あ、今のいいな! 命令形じゃなくて『お帰り』ってのがいいな! 家に入った時にそれが聞こえてきたら最高なんだけれどなあ」
「いや、家に帰ったらもう帰れなんて言う必要は無いだろう」
「そうだけどさ……まあいいや。先生に言われたから帰るぜ。それじゃ!」
 慧音は手を振って霧雨少年を見送った後、教室に子供が残っていないことを確かめ、そして大急ぎで外出の支度を始めた。

  ◇

 ところが急いだのは慧音だけでは無かった。
 霧雨少年も慧音の視界から外れるや否や全速力で自宅商店へ帰り、母親を急かして全速力で昼食を済ませ、身支度が整うや全速力で店を飛び出した。そして慧音の自宅まで出向き、玄関が見える位置でこっそり身を隠して慧音が出てくるのを待った。
 まるで辛抱強く獲物を待つ虎のように身を屈める。
 全速力で出てきたが、果たして間に合っただろうかと霧雨少年は思った。即ち、慧音が既に家を出た後なのかどうかということだ。もしも既に慧音が例の男の棲家へ向かっていた場合、こうして出待ちをしているのは完全に時間の無駄だ。適当な頃合を見計らって、街中を探す過程へ移行しなければならない。さてその判断をどこで下すか。

 読者諸君もお察しの通り、霧雨少年は慧音を尾行するつもりでいるのだ。もちろんその目的は、あの銀髪眼鏡野郎の素性を暴く為である。
 その第一段階として、奴が構える香霖堂なる店の在り処を知らなければならなかった。今までにも独自の調査は続けてきたのだが、里の中ではめぼしい情報は手に入らず、また少年の自力では限界があった。
 というのも、霧雨少年は香霖堂の位置に関して「森の入口」という曖昧な情報しか持ち合わせていなかったのである。森は自然の支配下であり、人が常に下位に置かれる場所だ。故に里人が不用意に森へ入るのは厳禁だし、子供であれば猶更である。流石に「入口」という断片的な情報だけを頼りに、あの果てし無い樹海へ踏み出していくのは無謀に過ぎた。せめてどの方角の入口かだけでも解れば違うのだが、その当ても無い。だから少年は好機とばかりに慧音の後を付けることにしたのである。

 しばらくすると玄関に動きがあった。霧雨少年は一層体勢を低くして様子を見守る。
 物音がした後、まるで旅行に行くのか嫁入りでもするのかという大きな鞄を、重そうに抱えた慧音が家から出てきた。全力で駆け出した努力が実を結んだのか、幸い少年が到着したのはまだ慧音が家を空けた後では無かったのである。
 霧雨少年はほっと胸を撫で下ろし、そして自分で思い浮かべた嫁入りという表現を頭の中で散々蹴り飛ばした。その間に早くも移動を始めた慧音をうっかり見失いそうになったので、少年は慌てて彼女の後を追った。

 物陰を渡り鳥のように素早く移動しながら慧音の後を付ける。
 少しだけ覗き見趣味的な禁忌の興奮を覚える。いやいや、自分はそんな下劣な男ではない。まあ興味が無いと言えば嘘だけれど。そこはほら、男だから。
 しかし重そうな荷物である。きっと慧音が日頃使っている様々な台所用品が入っているのだろう。何をするつもりだ。といっても調理器具なのだから料理をするに決まっている。ということは先生は男の家で料理をするのか。あの銀髪眼鏡は先生の手料理を食べるってのか。畜生。くたばれ。そして俺と替われ。お前は糒でも齧ってろ。
 大荷物を抱えた慧音に、里人は色々と声をかけている。その度に慧音は何か適当な言い訳をして、人々はよく解らないまま何となく笑みを浮かべて慧音を労った。
 しかし中にはどこか物知り顔で「あらあら、まあまあ」といった感じの、慰労とは違う色の笑みを浮かべる者もいた。主に女房方だ。恋の気配を嗅ぎつける彼女たちの嗅覚は猟犬に迫るものがある。春だからか余計にそうだ。おいこら、その新妻を見守るような視線をやめろ。

 霧雨少年が物陰から威嚇のように一々舌打ちをしていると、不意に自分に向けられた視線の存在に気が付いた。
 注意してそっと辺りを見回してみると、往来の真中で、折鶴の少女が不思議そうな顔を浮かべながら、たった一人だけ物陰に隠れる霧雨少年に気が付いていた。
 少年はぎょっとして、慌てて少女を追い払うような仕草をしたが、少女は何を取り違えたのかとことこと歩いて寄ってきた。
 少年は冷や汗をかきながら更に大きな身振りを加え、とても届く筈のない小さな声で「こっちに来るな」と訴えてみたが、少女は頑張って聞き取ろうとしたのかますます近くに寄ってきた。
 そうこうするうちに結局少女は霧雨少年と同じ物陰まで来てしまった。
「霧雨君、何してるの?」
 少女が小さな声で訊ねる。少年は盛大な溜息を吐き、こちらも内緒話のような小声で返す。
「ああもう! 馬鹿! 何で寄ってくるんだよもう! 隠れてるの解るだろ?」
「かくれんぼ?」
「あー? ああ、うん。そうそう。見つかっちゃうから離れてくれ」
「嘘?」
「はいはい嘘だぜ。解ったら大人しく……ってちょっとどけ!」
 と、霧雨少年は物陰を飛び出して、少し距離の開いてしまった慧音の後を追う。その更に後を少女が迷子のペンギンのように付いて行く。
 少年は長屋の隅に身を隠し、少女もその隣に身を屈める。
「付いて来るなよ!」
「先生のこと追いかけてるの?」
「ああ、そうだ」
「どうして?」
「どうしてって……ちょっと待て。よし、今だ」
 合図と共に対角線の角に移動する。二人揃ってである。
「だから付いて来んなって!」
「ねえ、どうして?」
 霧雨少年は頭を抱えた。これは答えない限りどこまでも付いて来るかもしれない。全くこの年頃の子供は何でもかんでも訊いてきやがって。鬱陶しい。犬かお前は。
 しかしこうなったら仕方が無い。ここは年長者らしく心を譲ってやることにしよう。霧雨少年の方が少女よりも二つ年上なのである。
「ほら、昼にあの銀髪眼鏡が来たろ?」
「うん。あ、先生あっち行ったよ」
「マジか! 急げ!」
 と二人で駆け出し、次の角で話を続ける。
「で、先生、これから奴の家に行くだろ? だから後を追いかけて、奴の住処を特定するんだ」
「それで、お家を知ってどうするの?」
 霧雨少年は少し考えた後に答える。
「まあ、場合によっちゃ乗り込む」
「えっ!」
 少女は驚いて急におどおどとしだした。
「駄目だよ、いきなりお邪魔したら……」
「馬鹿、邪魔しに行くんだろうが!」
「もっと駄目だよ! 先生に怒られるよ!」
「良いんだよ。俺は怒られ慣れているんだから」
「良くないよ」
「だったらほら、お前も良くない事に加担する必要は無いだろ? お前、怒られ慣れてないんだから。さあ解ったらお帰り。おーかーえーり!」
「でも……」
 と、少年は物陰から飛び出す。少女も慌てて後を追う。ちなみに里人の何人かは慧音の後を追う子供二人の姿に気付いているけれども、二人ともそうやって仲良く遊んでいると思われているので何も言われない。

 やがて道行く人はまばらになり家屋も減って、いよいよ里の境界線までやってきた。
「お前、まだ付いて来るのかよ……」
 霧雨少年が半ば呆れながら言う。少女はちょっと息を切らしながら、身を案じるような声で訊ねる。
「ねえ、なんで邪魔しちゃうの?」
「だって気に喰わねえだろ。あの余裕面」
「あの男の人のこと嫌いなんだ」
「嫌いっていうか気に喰わない」
「何が違うの?」
 少女は小首を傾げる。霧雨少年は溜息を一つ吐いてから答えた。
「そうだな、上手く言えないけれど、あの銀髪眼鏡は間違い無く凄い所があるんだよ。知識か経験か技術か知らねえけれど、絶対に俺よりも、っていうか里の誰よりも抜きん出ている所はあると思うんだよな。それはいいんだ。凄い所は素直に凄いよ。でもさ、あいつ何て言うか、全くそういう態度を取らねえじゃん。取らないっていうか、凄っげえ上から見下してねえか? そんな気がするんだよな。所詮お前らただの人間だろ? みたいなさ。まあそりゃあしょうなんだけれど、同じ所まで降りてこない感じ。俺はいらつくんだよ」
 少女は大人しく話を聴いた後で、長い沈黙を挟んで呟いた。
「ごめん。よく解らない」
「俺だって整理出来てないし」
「でも、先生を取られちゃうからじゃないんだ」
「いや、それとこれとは別だぜ?」
「え?」
 少女はぽかんと口を開ける。霧雨少年は腕を組んで不機嫌そうに眉を顰めた。
「だってお前、ちょっと想像してみ? 例えばお前に好きな男子がいたとするだろ?」
「え!? あ……ああ、うん……」
「その好きな男子がな、お前がそんなに好きじゃない感じの女子と仲良さそうに歩いている訳だ」
「え……」
「しかも今度その女子の家にお泊りするとか言ってる訳だ」
「……」
「どうよ?」
「やだ!!」
「だろ! じっとしてられるかってんだ!」
「やだあぁ!!」
「何で涙目になってんだお前! 想像力豊かだな! っていうか声抑えろ! 見つかるだろうが!」

 もちろん慧音はとっくの昔に二人の存在に気付いている。
 解っていて反応しなかったのは、一つは先を急いでいたのと、もう一つは二人を撒ける自信があったからだ。今も後ろからこそこそ聞こえる話し声にやれやれと笑みを浮かべつつ、流石にこれ以上森に近付けては危ないと思い、慧音は素早く振り返って叫んだ。
「二人とも、隠れん坊はそこまでだ! 森には入っちゃいけないぞ! 解ったな!」
 急に呼びかけられた少年少女は驚いて顔を見合わせ、咄嗟に物陰から顔を突き出してこちらを向いていた慧音としっかり目が合った。慌てて蝸牛のように顔を引込めて隠すも既に遅い。
「ほらバレたじゃねえか!」
「だって……」
 そこへ再び慧音の声が響く。
「返事!」
「はい!」
「はい!」
 子供たちは反射的に声を張り上げた。慧音は満足気に頷くと、里に背を向けて深く息を吐いた。
 そして意識を集中し、全身を巡る血の中から白く輝く分子を選り分けて足元に収束させるようなイメージを描いた。天地を翔ける聖獣の能力を呼び起こす。練習不足だしこれほどの大荷物を抱えて試したことは無いが、ここから香霖堂までくらいの距離であれば大丈夫だろう。ただ前に向かって進むだけだし、上手くいけば歩くよりも走るよりも遥かに速い。
 やがて慧音を中心に大気が小さな渦を巻き始めた。足元の草が波打ち、スカートの裾が靡いて、髪が重さを失くしたように静かに広がった。一体何が起こるのかと子供たちが陰からこっそり様子を窺っていると、不意に慧音の体が一尺程浮かび上がった。そして二人が驚愕の声を上げる間も無く、森へ向かってあっという間に飛び去ってしまった。
 残響のような外れの中で二人はただ目を丸くしてぼんやりしていた。
「……凄え。巫女みてえ……」
 霧雨少年が言った。
「先生、飛べるんだ……」
 少女も続けて言う。霧雨少年の言う通り、博麗の巫女以外で空を飛べる人を見たのは初めてだ。二人の反応で解る通り、実は慧音は里人の前で飛んだことが無い。それは狭い人里の中では空を飛ぶ必要が無いためであるが、しかし最大の理由は慧音自身が飛ぶことに慣れていないせいだった。
 というか自分が空を飛べることを知ったのも最近である。ある日突然博麗の巫女に「あんた白澤混じってんなら飛べるわよ」と教えられて、以後時折人目を避けては一人で宙に浮く練習をしていたのである。
 初めはその場に数秒浮かび上がるのが精いっぱいだったものの、やがて滞空時間も増え、今では練習の甲斐あって巫女程とまではいかなくとも、ある程度空中で体の制御も出来るようになった。ちなみに初めて宙に浮かんだ時、慧音は子供のようにはしゃいだ。その日は夢の中でもうきうきとして空を飛んでいたくらいである。
「っていけね、追いかけないと!」
 霧雨少年は我に返って立ち上がった。
「ええ!? 駄目だよ! 里から出たらいけないんだよ!」
「俺は手ぶらじゃ帰れないんだ! お前は帰れよ」
「駄目だよ! 怒られるよ!」
「森の中までは行かねえよ。多分。入口って言ってたし」
 結局、少女の懸命な引き留めは結局功を奏さなかった。霧雨少年は少女を残し、空を見上げながら最早芥子粒程度の大きさになった慧音の影を追いかけて駆け出して行った。
 少女はしばらくおろおろとするばかりだったが、やがて少年の後を追って走り出した。

 霧雨少年の足は速かった。しかし空を飛ぶ慧音に追いつくことは出来なかった。流石に走り通りで足が棒になり、少年はぜいぜいと肩で息をしながら仰向けに寝転がった。
 良い天気だった。綿菓子状の雲が青い空を緩やかに流れて、手の届かぬ遥か高い位置で数羽の鳥が輪を描いている。空を自在に飛べる鳥が羨ましく、同時に妬ましい。これが常人の限界なんだろうなとぼんやり思った。空に焦がれる気持ちは有っても、自分には羽が無い。別に飛びたいとも思わない。自分には羽の代わりに手があるのだ。十分だ。
 少年は上半身を起こして周囲を見渡した。あまり追うことに夢中で気が付かなかったが、ここはもう森の中だ。慧音は里から香霖堂への最短距離を一直線に飛んだ為、それを追いかけた霧雨少年は既存の道から外れてしまったのだ。
 さてどうするか、と少年は考える。慧音を見失ってしまった以上、手探りで森の中を追及するのは危ない。ここまで来て収穫無しで帰るのは、はっきり言ってくたびれ損だが、流石に目標も無しに森をうろつくほど自分も馬鹿では無い。
 仕方が無い。今日は諦めるか。霧雨少年は溜息を吐き、もう一度仰向けになって悔しそうに叫んだ。
「あーあ! 畜生! 銀髪眼鏡!」
 叫んだところで何が変わる訳でも無い。少年はおもむろに立ち上がった。幸いだったのは移動が直線だったことだ。そのまま踵を返し、直線に進めば里に帰れる。
 想定外だったのは、振り返ったら泣きそうな顔をした少女が陰から飛び出してきたことだ。
「はあ!? 何で付いて来てんだよお前!」
「だって……」
 少女は涙をいっぱいに溜めて、そこから先の言葉を続けられない。霧雨少年は大いに弱った。
 そこでふと気が付いて、真面目な顔になって少女に訊ねた。
「ちょっと待てお前、今どっちから出てきた?」
 少女は黙ってある方向を指さす。少年はしばらく無言で示された方角を眺めた後、再度少女に向き直って続ける。その声色は少し慌てている。
「あのさ、お前、俺のこと追いかけて来たんだろう? まっすぐ来たよな?」
「うん」
 少女は霧雨少年の不安を感じ取ってか、より一層不安な表情で頷いた。
 少年は嫌な予感が背中に貼り付くのを感じた。自分が帰ろうとしていた方向と違うじゃないか。どういうことだ? どっちが正しい? 或いはどっちも正しくないのか? もしかして自分たちは、まっすぐに進んでいるつもりで森の瘴気に中てられていることは無いだろうか?
「……はあ。最悪だ」
 少年は溜息を吐いた。畜生、迷った。



中編へ続く
香霖堂奇譚 | 【2013-04-26(Fri) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
コメント

新作待ってました!
あめふらさんのこのシリーズ大好きです
続き楽しみにしてますね
2013-04-27 土 13:47:25 | URL | TI #- [ 編集]

久しぶりに来たら更新されていました。すっごく好きです、楽しみに待ってます。
2013-06-03 月 21:53:25 | URL | トクメイ #- [ 編集]
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