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香霖堂奇譚 第二話  目抜きの大蛇



 人里から魔法の森に向かって道なりに歩いて行くと、森の入口付近にひっそりと一軒の廃屋が建っている。
 里人は不用意に森へ近寄らない。故に里人の大半はその建物の存在すら知らないし、ましてそこに一人の男が住み着いているなど知る由も無い。
 知っていたとしても、わざわざ危険な森の中に居を構え、しかもその廃屋を店と言い張る男など、進んで関わりたいとは思わないだろう。そんな男は間違い無く変人か奇人のどちらかだ。或いは両方かもしれない。そして実際にそうなのだ。

 時刻は真昼。天気が良い。降り注ぐ陽気に草木も湧き立ち、風の中に少しだけ夏を感じる。
 そんな心地よい日なかに、上白沢慧音は、うららかとは真逆の印象しか持たない男の住む廃屋に向かって歩を進めている。
 理由は三つ。一つは、寺子屋が休みになって、本当に久し振りに何の予定も無かったから。もう一つは休みとなった原因、これは後で述べるとして、最後の一つは善意から来る様子見だ。
 一見接点の無い二人は、まこと奇妙なことに知り合いなのだ。
 以前、里で迷子が出たことがあり、難航を極めたその捜索の折、慧音は彼と出会い、結果的に彼の助言で事件が解決してしまった。以来慧音は不定期に彼の元を訪ねては生存確認をしてやっている。
 なにせ男が店と言い張って住み着くこの廃屋は、いつ倒壊してもおかしくない状態なのだ。なるたけ関わりたくない人物とは書いたが、一度関わってしまうと気になるもので、自分の監視不行届きのために、いつか押し花のように潰れた男を発見するのではないかと思うと気分が悪い。

 草を踏み分けて、目的の建物が見えてくると、慧音はいつも少しだけ安心する。
 廃屋のドアを開けると、申し訳程度にベルが鳴り、主に来客を告げる。
 相変わらず汚い。初めてこの店を訪れた時、これ以上散らかしようが無いくらい散らかっていると感じたものだが、この男は見事に記録を更新し続ける。
 これで店だというのだから驚きである。勿論、客なんて見たことが無い。
「こんにちは」
 一向に姿を見せぬ主に入口から声をかける。ガラクタに包まれた店内は不思議と声がよく通る。
 反応は無い。
「こんにちは。店主さんいますか?」
 二度目の呼びかけにも返事は無い。外出しているのか、それとも居留守を使っているのか、慧音は経験的に後者を選ぶ。返事の無い時、彼は店の奥で本を読んでいることが多い。というより、それ以外の姿を慧音は見たことが無い。読書に没頭した彼は周りがまるで見えておらず、客が来ようが槍が降ろうが読書の手を止めることは無いのだ。

 仕方無しに、慧音は廃屋の中を奥へと進む。物が多く、歩きにくい。
 そうやってようやく姿を認めた男から黙って本を取り上げた。
 銀髪に金目の、眼鏡をかけたその男は、怠惰そうに慧音に顔を向けた。
「いらっしゃい。生憎、今は取り込み中でね。用があるならまた今度にしてもらいたい」
 そう言って慧音から本を奪い返そうとするが、背伸びされて、彼の手は空を切る。暇だったとはいえ、わざわざ里から生存確認をしにきてやっているのだから、少しは態度を改めてほしいものである。
「取り込み中ね」
「読書は重要だよ」
「それは認めるけれど。まぁ、とりあえず生きているみたいだな」
「まるで僕がいつ死んでもおかしくないみたいな言い方だね」
「まさにその通りだよ」
 酷いな、と呟いて男は笑う。
 しかし、実際彼はいつ死んでもおかしくない。立地条件、建築状態、生活様式、そのどれを取ってみても、まともな人の目を以ってすれば十分危険水域に達している。自覚が無いなら余計にそうだ。一応、見た目は健康そうなのだけれど、それで放置して死なれてしまっては後味が悪い。
 以前、「こんな不便な所ではなく、里に住んだらどうなんだ」と提案してみたことがある。しかし彼は「里は居辛いから」と一蹴してしまった。慧音にしてみれば、この廃屋暮らしの方がよっぽど居辛いのだが、好みは人それぞれだし、或いは何か理由があるのかもしれない。
 何にせよ、あまり深く立ち入ろうとは思わなくなった。勝手にさせておこう、というのが正直なところだ。
 一体、彼は今までどうやって生きてきたのだろうか、疑問に思うことはある。きっと自分には理解しがたい世界なのだろう。
「そういえば、こんな時に来るなんて珍しいじゃないか。普段は寺子屋の時間だろう?」
「へ?」
 まさか彼に曜日の感覚があるとは思っておらず慧音は驚いた。が、直ぐに気を取り直して答える。
「ああ、寺子屋は今休みになっているんだよ」
「風邪でも流行ったかい」
「いや、里に妖怪が出たんだ」
「へえ。珍しいじゃないか」
 男はようやくまともに慧音と向き合った。

 最初に妖怪を見たのは、里で建物の図面を引いたりして生計を立てている男であった。
 大工仲間と、大して飲める訳でもない酒をしこたま飲んだ彼は、千鳥足で目抜き通りを歩いていた。
 時刻はとうに子の刻を回り、月の陰も見えない夜だ。
 昼間の喧騒とは打って変わった静寂の心地よさと、ほんの少しの不気味さの中を、覚束ない足取りでゆっくりと歩いていると、

 カァン

 遠くで鉦の音がした。
 近所で寝ぼけた子供が、玩具の鉦でも叩いたのだろうか。

 カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、……

 鉦の音は断続的に響いてくる。
 喧しくて仕方が無い。いったい何処の家の子供が、こんな夜半に遊んでいるのか? 近所迷惑この上ないじゃないか。

 カァン! カァン! カァン! カァン! カァン!! カァン!! カァン!!! カァン!!! カァン!!!!

 しかし、その音はどうやら家の中で鳴っているのではないらしいことに気付いた。
 しかもだんだん自分に近づいてくる。

 カァン!!!!!!

 突然音が止んだ。耳が痛い程の静けさに襲われる。
 酔った末に幻聴でも聞いたのか? いや、確かに聞こえたのだ。
 男の顔に嫌な汗が流れる。
(早く帰ろう)
 歩みを進めると、目抜き通りの先に何か光る点が見えた。

 そこで、男は見たのだという。
 巨大な、蛇のような化物だったそうだ。
 光の点だと思ったものはそいつの、ぎらぎらと光る、顔の正面に一つしかない目だったのだ。
 その化物が、谷底を風が吹き抜けていくような、恐ろしい鳴き声を上げながら、目抜き通りを一直線に、男の方に向かって突き進んで来るのだ。
 半分腰が抜けた、勿論酔いなど一遍に醒めた男は、慌てて小路に飛び込み、小さく念仏を唱えながら、その化物をやり過ごしたのだという。
 十秒にも満たない時間が、恐ろしく長く感じた。
 化物は男には気付かず、その長い体を軋ませながら、轟音を立て通り過ぎて行った。

 辺りに元の様な静寂が戻り、男が小路から這い出てみると、既に化物はいなくなっていた。
 あれ程の轟音でありながら、眼を覚まして起きてくる者は誰一人いなかった。

「家に帰った図面屋さんは、耳が痛いって寝込んでしまったらしい。まぁ、翌朝には治ったみたいだけど」
「大きい音を聞いたからだな」
 男がこともなげに言う。
「とにかく、それを見たのが一人じゃないんだ。目撃者の年齢も性別も職業も日にちもバラバラだけど、どうも同じものを見ているらしい。妖怪の特徴が一緒なんだ。現れるのは深夜で、場所は目抜き通り。まず鉦の音が聞こえて、その後に一つ目の長い体をした化物が現れる。吹き上げるような声で鳴く。轟音を立てて通りを一直線に突き進む」
「面白いな」
「面白いものか。里の中に妖怪が出たって、ちょっとした騒ぎになったんだぞ」
「まあ、この頃では珍しいからね」
 少し前までは、人が妖怪に襲われるというのは珍しいことではなかった。今でも時折犠牲者は出る。しかし、過去に比べるとその数は格段に減ったし、妖怪に襲われるのは、主に里の外でのことだ。
 里の中にいれば安心、という定説が出来上がりつつある。そこへ来てこの事件だ。
「最近じゃ『目抜きの大蛇』なんて名前で呼ばれているらしい」
「『目抜きの大蛇』ねえ……。当然、巫女は呼んだんだろう?」
「勿論」

 目撃者の数が七人を超えた頃、博霊神社へ正式に妖怪退治の依頼が出された。
 巫女はその日の内に里へやってきて、その晩、一人目抜き通りにて化物を待った。

 翌日、里人を集めて、巫女の口から報告がなされた。

「曰く、『あれは妖怪ではない。云わばただの現象であり、脅威では無い。触れないことが望ましいが、触れたところで何も問題はない。恐らく七日もすれば自ずと消えるので、退治の必要も無い。』そう言って帰っちゃったんだ」
「流石、巫女は仕事が速い」
「まあ巫女の一声というか、お蔭で里の不安はすっかり取り除かれたんだけれど、一応大事をとってな、巫女さんの言った七日の間は、寺子屋は休みにしているんだ」
「へぇ」
「どう思う?」
 彼の意見を聞いてみる。今回慧音が彼を訪ねた理由の一つである。
 この男は私や里人達とは性格も思考も根本的に違う。いってしまえば世間並みの常識が無い。だからこそ、私とは違った視点でものを見ることが出来るのだろうとも、慧音は思っている。理解出来るかどうかは別として、彼がこの件に関してどのような見解を呈するか興味があった。
「巫女がそう言うんならそうなんだろう」
 当たり前の事を言われた。
「別に、巫女さんのことを信用してないんじゃない。ただ、あの人は理由を説明しないだろ? 対策は解ったんだけれど、結局その『目抜きの大蛇』が何者なのかは解らないんだ」
「別に知ることでもないだろう。巫女は必要無いと思ったから伝えなかったんだろうし」
「それは解ってるつもりだよ。巫女さんが無害って言うなら、多分間違い無く無害なんだろう。でもな、安全だってはっきりすると、逆に見に行こうとする人がいるものでな」
「放っておきなよ。普段ずっと安全な檻の中にいた生き物だ。たまには刺激も欲しくなるさ」
「そういう訳にもいかない。巫女さんの言うことに疑いは無いけれど、でも妖怪だぞ? もしかしたら、万が一ってこともあるだろう?」
「そんなの自業自得じゃないか。喰われようが攫われようが知ったことか」
「なんだと!」
「どうであれ君が心配することじゃないさ。判断なんて各々に任せておけばいい。里人だって馬鹿じゃないんだ」
「……でも、なるべく危険は遠ざけておきたいんだ。万が一が起こった時の判断材料は沢山欲しい」
「起こらないって。何でそこまで杞憂する?」
「里が好きなんだよ」
 男が慧音の顔を面白そうに見てきた。慧音も睨み返してやる。
 眼鏡の奥の金色の眼は、何も語ってくれない。
 この目を見るに、態度を見るに、彼は人里のことなんてどうでもいいと思っているに違いない。きっと、私が彼を理解出来ないのと同じくらい、彼も私のことを理解出来ないのだと思う。
 一体、彼はどのような人生を送ってきたのだろう?

「で、君は見たのか? その『目抜きの大蛇』を」
 しばらくにらめっこを続けていたが、男がそれを破って言った。
「……確認はした。でも見てはいない」
「というと?」
「目撃者達が何かを見て驚いてる様子は見えるんだ。でも、見ている筈の大蛇は見えない」
「君の眼に映らないってことは、それには実体が無いってことか」
「たぶん」
 男の言う「眼」とは、慧音の持つ過去視能力のことだ。
 歴史を編纂する白澤の能力の一環で、慧音はその土地に起こった過去の事実を見ることが出来る。ただ、その際に映るのは、物質的な事実だけだ。木が風に揺れる様子は見える。しかし風そのものを見ているわけではない。普段目に見えないものは、過去にだって見えないのだ。
「触れても問題無いっていうのはそういうことなんだろうな。実体が無いならすり抜けるだけだから」
「そういうものなのか?」
「そうさ」
「でも、それって、例えば正面からぶつかったら、こう、体の中を蛇が通り抜けることになるだろう? 大丈夫なのか?」
「巫女が大丈夫って言っているんだから、大丈夫なんじゃないか?」
「うー」
「……そんなに気になるんなら、今晩やってみれば?」
 男が悪戯っぽく笑った。

  ◇

 子の刻を過ぎた。昼間の好天気は夜にも続き、雲の無い、月の明るい晩だ。
 ひっそりとした里の目抜き通りに、慧音は一人で立っている。
 時折現れる肝試しの若者を諫めつつ、『目抜きの大蛇』の来るのを待つ。
 夜が深くなるにつれ、緊張感は嫌でも高まる。
 正直に言えば、怖い。「害は無い」という巫女の言葉があるからこそ、こんなことが出来るのだ。

 遠くから幽かに音が聞こえたので、はっとなって顔を上げる。鉦の音ではない。誰かの足音だ。通りの真中を堂々と、こちらに近づいてやってくる。
 また、肝試しの若者だろうか?
 注意しようと眼を凝らしたら、見覚えのある銀髪が月明かりに浮かんだ。
「随分真面目じゃないか」
 男が茶化すように言う。何だか力が抜ける。
「……何しに来たんだ?」
「興味本位で怖いものを見に来た口さ」
「あのなあ……」
「なに、危険は無いんだろう? 大丈夫、いざとなったらちゃんと君を置いて逃げるさ」
「お前は……」
 まあ、その方が合理的だし、盾になるとか言われても困るのだが。

 カァン!

 突然鉦の音が聞こえた。彼の登場で一瞬緩んだ心が一気に強張る。危うく声をあげそうになった。
「さあ、お出ましだ」
 楽しそうな彼の声にかぶさり、鉦の音が響く。

 カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、……

 二人は音の聞こえる闇の中を真っ直ぐに見つめる。
 深呼吸して暗がりを見ていると、そうでなくても何かが蠢いているような気がする。

 カァン! カァン! カァン! カァン! カァン!! カァン!! カァン!!! カァン!!! カァン!!!!

 鉦の音は徐々に大きくなって、不意に止んだ。目撃譚と一致する。とすると、
「来るよ」
「解ってるっ!」
 遠くに光が見えた。揺らめく光はだんだんと輪郭をはっきりさせ、近づいてくるのが解る。
 耳を澄ますと、大量の荷物を運ぶような、軋るような音が聞こえる。光が大きくなる。しゅう、しゅう、と荒い息遣いがはっきり聞こえる。
 大気がごうごうと震えている。

 ……大丈夫か?
 慧音は思った。
 あれは何か恐ろしい力を持っているような気がする。本当に無害なのか? 触れてみて大丈夫なのか? 私は何をしようとしているんだ!
 何かが目抜き通りを一直線に突っ込んでくる!

「あれ?」
 不意に男が呟いた。とっさに彼を見る。これがいけなかった。
 急に辺りが明るくなった。振り返ると、巨大な黒い塊が目の前に来ていた。避ける暇も無かった。

 プオォォォオォオォォォオォオォォォオオォォォォォォォオオォ!!!!!!

「きゃああああっ!!!!」
 恐ろしい声が一面に響く。
 ぶつかる直前、正確には目をつぶってしまう直前に、慧音がかろうじて見止めたのは、丸い顔、光る一つ目、突き出た顎、角……。

「……っ!?」
 気が付くと、赤いふかふかとした長椅子に座っていた。
 横を見ると、男がぽかんとした顔で、同じように座っている。
 辺りを見回す。正面には二人の座っている長椅子と同じものが、丁度向かい合うように設置されており、床には椅子と揃いの赤い絨毯が敷いてある。板壁に作られた幾つもの窓には硝子がはめられていて、天井からはランプがいくつも下がっている。窓と天井の間に、何か物が置けそうな棚がある。壁の両端には何処へ通じているのか、扉が付けられている。
 どうやら私達は直方体の箱のような部屋の中にいるらしい。そして、部屋全体が上に下に右に左に、ガタンガタンと際限無く振動する。
 部屋ごと運ばれている?
 ランプが振動に合わせて揺れる。お蔭で部屋の中は、ゆらゆらと落ち着かない影に包まれている。
「……なにここ?」
 隣の男を見る。男は答えない。何か考えているのか、驚いているのか、ぼうっとしている。
「また変なところに入り込んだの!?」
 以前、慧音は彼と一緒に、井戸水の中というよく解らない世界に入ったことがある。
 これも似たようなものだろうか?
 ここは何処だ?
 あの妖怪に触れたことで何処かに吹き飛ばされてしまったのか? だとすれば、無害だなんてとんだ嘘ではないか。
 彼は相変わらず黙っている。慧音は少し心細くなった。何か反応してほしい。こんな変な空間で理性を保っているのが自分一人だけなんて嫌だ。幸い彼は直ぐに口を開いてくれた。
「……幻想郷はいつ開線したんだ?」
「かいせん? かいせんって何?」
「これは陸蒸気だ」
 男がぼそりと、耳慣れない単語を口にする。
「お、おかじょうきって何?」
「機関車とかSLともいうけれど、要は外の世界の乗り物だ。機械仕掛けの巨大な車さ」
「車!? まさかこの部屋がまるごと?」
「見たこと無いのかい?」
「な、ない……。っていうか外の世界の乗り物って、どうしてそんなものが里の中にあるんだ?」
「さあ」
「『さあ』っ!? ……って、そりゃ、そうですよね……」

 慧音は力が抜けて椅子に深くもたれかかった。
 こんなつもりでは無かった。ただ『目抜きの大蛇』に触れてみてどうなるのか、確かめたかっただけだ。
 どうして私は、彼と一緒にいるとおかしな世界へ飛ばされるのか?
 正面の窓をぼんやり眺める。部屋の外は暗く、そのため鏡のようになった硝子は、並んで座る二人を映している。
 自分の背にある窓に、手で影を作り、顔を近づけて外を覗く。人里の、目抜き通り沿いの家並みが見える。私達を乗せたこの機関車という乗り物は、相当な速度で通りを横断しているらしい。
 景色が目まぐるしく変わ……らない?
 物凄い速度で移動しているのに、窓から見える景色は全く変わらない?
 同じ所をぐるぐる回っているのではない、風のような速さで動きながら、一歩もその場から動いていない?
 異常な光景だ。気持ち悪くなりそうだ。窓から顔を離す。

「……ええと、これ、乗り物なんだよな?」
「そう」
「どこに向かっているんだ?」
「知らない」
「降りられるんだよね?」
「止まればね」
「これは……止まってるの? 動いてるの?」
「知らない」
「……お家に帰りたい」
「子供みたいなこと言わないでくれ」
「だってどうするんだよ! こんなぐらぐらする場所に閉じ込められて!」
「落ち着け」
 頭をこつんと叩かれた。
「巫女が『無害』と太鼓判を押しているんだ。帰れなくなるなんて事は絶対に無い」
「そうか……?」
「そうさ」
 言われて、慧音はおとなしく口を閉じた。

「あれ?」
 揺れる箱の中に二人だけ。じっとしてもいられず、部屋の中を色々と調べていると、慧音があることに気付いた。
「どうかした?」
「この、汽車っていうのは、大勢の人を一度に移動させるための乗り物なんだよな?」
「ああ」
「なのに、人が乗っていた歴史が無いんだ。というか、歴史が物凄く浅い。ほんの数日前に生まれてきたみたいだ」
「ふむ? たしか巫女は、これは妖怪じゃなくて、ただの現象だって言ったんだよね?」
「ああ……それって、一体どういうことなんだろう?」
「例えばこれが妖怪だったら、歴史が無いなんてことはない。
 器物が妖怪化するのには、その霊性を変化させて自立するだけの時間がかかるし、でなければ物を物以上にするだけの強烈な体験が必要だ。そういった記憶は道具に焼きつくから、歴史が無いなら、これは妖怪じゃない」
「……じゃあ、なんなんだ? 現象っていうからには、雨とか風とか、そういう自然の動きと似た何かがあるってことだろう? これはどう見たって人工物じゃないか」
「あ!」
「え? なに?」
「いるんだよ。これを動かしている人が」
 問題を解いた子供みたいな顔で男が言った。
 慧音がその答えを聞く前に、奥の扉が開いて、二人の目はそこに釘付けになった。

「おや」
 先程調べた時にはピクリとも動かなかった扉から、少しくたびれた黒い上着を着た、姿勢のいい老人が入ってきた。
 開いた扉の先を覗くと、どうやら同じ箱型の部屋が繋がっているらしい。
 老人は驚いたように二人を見つめていた。二人も老人を見る。両者にしばらくの沈黙があった。
 がたんごとんと部屋が軋る。それに合わせてランプが揺れる。
 やがて老人はふっと笑うと、照れたように言った。
「これはこれは。最初のお客様でしょうか、最後のお客様でしょうか?」
「へ?」
「いえ、こちらの話です。失礼しました。それでは切符を拝見させていただきます」
「へ? 切符ってなに?」
「おや、ご存じない?」
「すみません。この子、汽車に乗るの初めてなんですよ」
「おやおや」
「ついでに言うと、僕ら無賃乗車なんです」
「おやおやおや!」
 老人は笑い出した。
「いえ構わんのですよ。切符があろうと無かろうと。当列車は少し普通とは異なるものでして」
「そうでしょうね。多分、貴方の見ている夢ではありませんか?」
「えっ!?」
 驚いたのは慧音ばかりでないらしい。老人も眼を丸くして、直後に大きく笑い始めた。

「その通りです。その通りですよ。この列車は、この老いぼれの見ている夢なのです。夢の中で夢と気が付いて自由に動き回ることを明晰夢と言うそうですが、これはまさしくそれなのですよ」
「どういうこと? ここは夢の中ってこと?」
「そうらしいね」
「ってことは、実は私達眠ってるのか?」
「そうじゃない」
 わけが解らなくなってきた。
 ああ、もうこれは彼の領域だ。考えるだけ混乱する。実際に頭がぼーっとしてきた。慧音は一人近くの椅子に腰掛けて傍観を決めた。
「しかし、あなた方は何だか夢の中の人物という気がしませんね」
「僕らも、これが夢って感じはしません」
「おやおや! これは不思議だ」
「そもそも、この列車はどういう?」
「いえ、私は国鉄で働いておりましてな。こいつは私の相棒なんです。それで先日、人も機械も老朽化で、めでたく一緒に退職したのです」
「なるほど」
「しかし職を離れても、体には染み付いているものですな。
 以来、このような夢を見るようになって、こうして夜な夜な遊ばせているのですよ。いや恥ずかしい話です」
「この列車を愛していたのですね。でなければここまで精密に再現出来ませんよ」
「おやおや」
 老人は恥ずかしそうに笑った。子供みたいな顔で笑う人だ。きっと、本当に列車が大好きなのだろう。
 がたんごとんと客車が揺れる。
 揺れるたびに、慧音は内臓を揺さぶられるような気持ちの悪さを感じて、徐々に頭の中も白くなってきた。
「……あの」
「ん?」
「どうやったら降りられるんですか? ……なんだか、さっきから気持ち悪くて……」
「え? 酔った?」
「おや、大丈夫ですか? しかし困りましたね、私はこの列車を止めたことがないのですよ」
「へ?」
「いや、まさかお客様がいらっしゃるとは思っていなかったので、好き放題に走らせるばかりでして……」
 勘弁して欲しい。体調を自覚すると更に気分が悪くなった。慧音は座っていられなくなって、座席に横になる。
 男が顔を覗いてくる。少しは心配そうな顔をして欲しいものだと思う。
「なに、駅があれば列車は止まりますよ」
 顔を上げて、彼が言った。
「おお! そうです、そうです! ではお客様方はどちらの駅でお降りに?」
「香霖堂前でお願いします」
「はて『香霖堂前』? そんな駅は聞いたことが無い」
「大丈夫です。ここは夢の中です。実際にあろうと無かろうと、この汽車は何処へでも行けるんですから」
「何処へでも行けますか」
「何処へでも行けますよ」
「おやおや」
 老人は照れくさそうに、なにやら小さな箱を口元に当てて、朗々と声を張り上げた。
「次は香霖堂前、香霖堂前です」

 途端に列車が大きく跳ねて、擦れるような音を立てながらみるみる速度を落としていく。
 横になったのは失敗だった。振動が全身に跳ね返ってくる。
 が、やがて振動も音も小さくなり、そして、空気の抜けるような音がして、ついに列車は止まった。
 天井のランプだけが、慣性でふらふらと揺れていた。

「止まりましたねえ!」
 老人が興奮した様子で言っている。
「動ける?」
 彼が訊ねてくるので、慧音は首を横に振って答える。
「抱っこしてあげようか?」
「……それはやだ」
「じゃあほら、肩貸そう」
「……借ります……」
 彼に支えられて立ち上がる。頭の中がぐるぐる回る。これが無害なんて嘘だ。外の世界の人々はこんなものに乗って移動しているのか。
 老人は二人の前に立って、扉を開いて待っていた。
「では。貴重な体験させていただきました」
 彼が老人に礼を言う。慧音も力を振りしぼって、小さく頭を動かす。
「ご乗車有難う御座いました」

 老人の声と共に車外に飛び出すと、見覚えのある廃屋の前だった。
 心地よい夜の空気に慧音は一層力が抜ける。久し振りに草を踏んだ気がする。
 男の肩から離れて、地面にくず折れた。足に力が入らない。地面がぐらぐら揺れている。立てない。
 突然、笛の音が響いた気がした。
 何とか振り返ってみると、彼が何も無い夜の闇にじっと眼を向けていた。
「……おじいさんは?」
「行ったよ」
 そこまで聞いて、こみ上げてくるものに耐えられなくなって、とうとう吐いた。

「あれは、外の世界の誰かが見ている夢だったのさ」
 布団に横になりながら、彼の話に相槌を打つ。
 慧音は今、廃屋の中で介抱されながら、彼の話を聴いている。
 まさかこの建物にこんな上等な布団があったとは。慧音は少し感動している。

「前にも言ったかもしれないけれど、夢は異界との接点だ。あちらこちらに繋がり易い。それがたまたま人里の中に出た、それだけの話さ。異変ではあるけれど妖怪ではない。夢を見ている本人にとっても無意識だから、巫女は『現象』と言ったんだ」
「触れても問題無いっていうのは?」
「里の誰も『機関車』っていう乗り物の存在を知らないからさ。ヘッドライトを光る眼に、汽笛を鳴き声に置き換えるくらいだからね。見て、触れたところで、接点が出来ないんだ。だから通り過ぎるだけ」
「でも私達は?」
「ああ、それは僕が陸蒸気を知っていたからだ。見た瞬間に正体に気付いてしまったんだ。巫女が間違えたわけじゃない」
「え? じゃあお前がいなければこんなことにはならなかったのか?」
「多分ね」
 慧音は溜息をついた。
 何てことだ。ほとんど彼のせいじゃないか。いや、おとなしく巫女に従っていなかったのが良くなかったのだろうか?
「いや待て、私は機関車なんて知らなかったぞ? なんでお前に巻き込まれなきゃいけないんだ?」
「だって君、あのとき僕に飛び付いてきたじゃないか」
「え?」
「覚えて無いのか?」
「……し、知らないっ!」
 顔が赤くなって布団にくるまった。
 消したい。歴史を抹消したい。こいつの記憶を粉微塵に噛み砕いてやりたい。次の満月覚悟するがいい!

「はい、水」
 ことりと音を立てて、枕元にコップが置かれる。
「……ありがと」
 上半身を起こして、少しずつ水を飲み込む。
 何だか、さっきまでの自分が急に可笑しくなってきた。
「まぁ、納得出来たからいいだろう? それで、初めて汽車に乗った感想はいかがかな?」
 そう言われて、慧音は少し考えてみる。途中からは必死だったし、感想なんて、あって無いようなものだけれど、
「……次に乗る時は、もっと普通に乗りたいな。前もって準備して、切符も買って……」

 その晩以来、里には一度も『目抜きの大蛇』は出ていない。
 慧音もまた、汽車に乗る夢を見ていない。乗り方が解らないし、駅というのがどういう建物なのかもよく知らないから、仕方がないのかもしれない。
 彼は一体、どこで汽車の存在を知ったのだろう?




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                               終   20100513
                             (20101104 加筆修正)
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香霖堂奇譚 | 【2010-11-06(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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