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香霖堂奇譚 第七話  八熱八寒(後編)
八熱八寒(前編)の続きです。未読の方は先に前編をお読み下さい。



「どう見ても医家の領分じゃないんだ!」
「だったら神社に行けって前々から言っているだろう?」
 すっかり日も落ち、闇に雨が降っている。耳を澄ませば微かに聞こえる雨音を背に、ランプに照らされた二つの影が香霖堂で揺れている。慧音はカウンターに両手を突き、霖之助は滅入るような顔で答えた。落ち着き払った態度が慧音にはもどかしい。
「型が違うだけなんじゃないのか? 霧雨商店の息子と同じようにさ」
「いいや、風邪とは全く違う物だ。そもそも悪寒っていうのは体温が高いからこそ感じるものだろう。あれは違う。実際に体温が低いんだ。それも尋常じゃなくな」
「どのくらい?」
「解らない。体温計に出ないくらいだ。そんな病があるか?」
「低体温症という病気があるにはあるが」
「あるのか!」
「でも、体に霜が浮かぶほど体温が下がっていれば普通凍死している。その子、実はもう死んでいるんじゃないの?」
「死んでないっ!」
「どうだか」
 霖之助は疑わしそうに言った。
「参考までに訊こう。今年の流行り風邪は、通常どのくらい熱が出るものなんだ?」
「三十八から九度くらいだな」
「ふうん。まあ妥当だな。最初はその子もそのくらいの熱があったんだろう?」
 慧音は頷く。
「ああ。少なくとも私が前に行った時はそうだった。訊いたら、それからすぐに体温が下がり始めて、治ったと思ったら平熱を過ぎてもなお下がり続けて、そして今に至るって感じらしい。初めは熱が出た反動か、或いは薬の解熱作用が効き過ぎたためだろうと考えて静観していたらしいんだが」
「実際、薬が合わなかったんじゃないのか?」
「解らない。でもそうじゃない気がするんだ」
「何故だ?」
「いくら何でもありえないだろう! 体が凍っているんだぞ?」
「そうだねえ」
 霖之助は椅子に背を預け、宙を眺めて何か考え込んだ。或いは考え込んでいる振りだけしているのかもしれないが、その判別は慧音には出来ない。
 しばらく無言の時間を挟んだ。霖之助の泰然とした態度は、初めは焦りを、終わりには落ち着きを慧音に与えた。いくらか冷静になった頭で、慧音は何故神社に行かなかったのだろうかと自身の行動を不思議に思った。でも真先に思い付いたのがここだったのだ。過去の事例のお蔭で、香霖堂を異変解決屋と認識しているのかもしれない。少なくともただの古道具屋とは思っていない。
「ところで霧雨商店の息子はどうなった?」
 霖之助が訊ねた。
「どうして今それを訊くんだ?」
「どうなんだ?」
 慧音は肩を落として、
「相変わらず臥せっているよ。見た感じは元気だけれど、熱も高いし、やっぱりあの子の言った通り、私の前だと無理をするのかな」
「ちなみに熱は何度?」
「霧雨君のはそこまで聞いていないな。というか教えてくれなかった。多分私に言ったら余計な心配をかけるだとか、彼なりに考えてくれたのかもしれない」
「かもね。少年も頑張る」
「でも体温計の目盛が吹っ切れたって興奮気味に話してくれたから、相当高いのは確かだよ」
「死んでるんじゃないのか?」
 慧音は溜息をついた。
「お前はさあ、どうしてそう死ぬ死ぬ言うんだよ?」
 霖之助は背後の棚から薬箱を引き出し、中から体温計を探って慧音に手渡した。
「体温計は通常三十二から四十二度までしか測れないようになっている。それは人間の体温がその域を出るってことがまず無いからだ。それを超えてしまうと生命が危機に曝されて、最早体温が目安でなくなる。測ったって意味が無いという臨死の領域なんだ」
 確かに目盛は四十二までしかない。慧音は体温計と霖之助の顔を交互に見やった。
「でも、霧雨君は意識もしっかりしているし……」
「折鶴の子だって死んでいないと。確かに医家の領分じゃないかもね」
「だろう?」
「まあ見てみないと何とも言えないが」
 霖之助は肩の凝りを解すように長く息をした。
「見たところでどうにかなるとも知れないけれどね」
「ともかく見てくれよ」
「仕方無いなあ」
 急かされるように霖之助は立ち上がった。

  ◇

 夜が深まるにつれて雨脚も強くなっていった。小雨とは言えなくなった人里に、霖之助が一人歩いている。紺色の番傘を差した姿は、そのまま雨の中に溶け込んでどことも知らぬ幽冥の世界へ帰ろうとしているかのように映る。
「おい! おい待てったら!」
 その後ろを彼を追いかけて慧音が走ってきた。臙脂色の蛇ノ目を片手に生まれたての水たまりを蹴り飛ばして、水面が密やかな飛沫を立てた。二人は件の少女の家に出向き、三分もせずに出てきた所だ。
 慧音が霖之助の肩を捕まえ振り向かせた。かなり強く掴んだので霖之助は少し顔を顰めた。
「本当に見ただけってどういうことだよ! しかもお前折紙しか見ていなかったじゃないか! 肝心の子供はどうした!」
「僕は医者じゃないんだ。患者を診て何か解る訳じゃない。処置が出来る訳でもない。それにちゃんと見るべきものは見た」
 霖之助は慧音の手を振りほどいて再び歩き出した。
「あの家で僕がすることは何も無いよ」
「どういうことだ?」
「あの子は治せない」
「え?」
 慧音は霖之助の正面に回り込んで足を止めた。
「それって……まさか」
 霖之助は歩みを止めずに続けた。
「いや、死ぬって訳じゃない。ただ、あの家であの少女を治すことは出来無いってことが解ったんだ」
 追い越された慧音は再び彼の後を追う。付いては離れて回る姿は、見ようによっては犬が飼い主に戯れ付く様子に似ているかもしれない。
「折紙を見てか?」
「ああ。あの子は凄いな」
「確かに見事だけれど」
「いや凄いよ。本当に驚いた。恋心の成せる技なのかね。子供だと侮ってはいけなかった」
 霖之助は敬服したように語った。それは折鶴に何か隠された秘密があるのか、それとも単純に出来の良さに感激しているのか解らなかった。
「……それで? お前はどこに行こうとしているんだ?」
「霧雨商店」
「なんで?」
「あまり馴染みが無いから口利きを頼むよ」
「いや、それはいいけれど。何をしに行くんだ? 買い物でもあるのか?」
「解らないかなあ」
 慧音を見ながら霖之助が言った。
「片や高熱、片や凍結。少年と少女は陽と陰。裏と表だ。少女を治すことは出来無いけれど、恐らく少年を治すことは出来る。少年が治れば連鎖的に少女も治る筈だ」
「そうなの?」
「間違っていなければね」
 二人は霧雨商店の前で足を止めた。既に今日の営業は終え辺りには誰もいない。波のように強さを変える雨の音だけが通りに響いていた。

  ◇

「先生、こちらさんは?」
「ああ、里の外れ、というか森の入り口辺りに住んでいる古道具屋で、森近霖之助という」
「屋号は香霖堂だ。宜しく」
「ふうん」
 霧雨少年は布団から半身を起こしながら、目を鬼灯のように光らせて霖之助を睨んでいた。口調自体は丁寧だが明らかに歓迎していない態度が見て取れた。起き抜けのような目付きの鋭さは体調不良に由来するものでは無く、純粋に裡なる激情を瞳の奥で焼べているようであった。少年の部屋は相変わらず寒く、氷室から出してきた氷が枕元の盥に積まれていた。
「で、何をしにここへ? 商売の話なら親父としてくれ。まあこんな時間に訪れるってのは些か常識外れだから良い返事は期待しない方がいいがな」
「千羽鶴はどこだい?」
「あ?」
「先日慧音から貰ったろう?」
「なに先生のこと呼び捨てにしてんだお前?」
「ごめん霧雨君、ちょっとこいつと話してるとイライラするかもしれないけれど、少しの間でいいから彼の言うことを聞いてくれないかな?」
「……まあ、先生が言うんならいいけれど」
 霧雨少年は眉間に皺を寄せ、慧音には聞こえないように舌打ちした。
「ほらそこだ。箪笥の上」
「飾ってはいないんだ」
 慧音が言うと少年は拗ねたように答えた。
「見える範囲に千羽鶴があるといかにも病人って感じで嫌だったんだよ」
 霖之助が手を伸ばし、箪笥の上で横たわっていた千羽鶴を引き下ろした。折鶴同士がこすれ合う乾いた音と共に、少しだけ埃が舞った。霖之助は花束を抱くように千羽鶴を受け、折鶴を一つ一つ手に乗せて慈しむように見ながら言った。
「凄い」
「それで、その鶴をどうするんだ?」
 慧音が訊く。
「そうだなあ」
 霖之助はちらりと霧雨少年の顔を見た。
「何だよ?」
 少年の問いには答えずに、目線を千羽鶴へ戻すとしばらく沈黙した。
 少年と慧音は顔を見合わせた。
「先生、こいつ何なの?」
「ええと、まあ、悪い奴ではないよ。ああ、ところで体調はどうだ? 見た感じ、あまりよくは無さそうだけれど」
「駄ー目だー」
 少年がおどけた口調で言った。慧音は少年の額に手を当ててみた。少年は唇の端に笑みを浮かべた。
「おお、先生の手は冷たくて気持ちいいな。手の冷たい人は心が温かいって言うけれど本当だな」
「凄い熱じゃないか。何度くらいあるんだ?」
「ははは、体温計が限界突破してるぜ。俺は今前人未到の領域へ辿り着こうとしているのさ」
「笑い事じゃないじゃないか」
「ああ、心配してくれるのは先生だけだぜ!」
「慧音」
「何だ?」
 慧音は顔を上げて、少年は半ば殺意と言ってもいいような感情の籠った眼で振り返り霖之助を見た。
「虫取網を用意してくれ。釣りに使う玉網でもいい。道具屋だから言えば一つくらい貸してくれるだろう。それを持って窓の外で待機だ。頼めるか?」
「解った。行ってくる」
 慧音は頷くと立ち上がり部屋を後にした。

 霖之助と少年の二人がその場に残された。
 当然、無言の時間を挟んだ。霖之助は相変わらず千羽鶴に見惚れ、霧雨少年は黒炎のような険悪な雰囲気を全身から醸し出して霖之助を睨んでいた。
 慧音に恋人が出来た、という噂は少年も耳にしている。初めは嘘かと思った。信じたくなかったという個人的な理由があったこともこの際認めなければならない。しかし結論はよくある流言の類だろうと一笑に付していた。
 根拠として、まず噂の出所が仕出屋の女房であるということ。艶聞好きで常に他人の会話に聞き耳を立てているような女性だ。確かに火の無い所に煙は立たぬともいうが、火の粉一つを山火事のように膨らまして広めるような女性だ。そんな言葉は鵜呑みに出来無い。
 加えて、連日多くの人の出入りのある霧雨商店にありながら、噂の特徴に合うような男は一度として見たことがないことだ。もちろん里人の全員が必ずしも霧雨商店を利用する訳ではない。しかし背が高く銀髪で眼鏡をかけている若い男などという目立つ容姿をしていて、狭い里の中で一度もその姿を目にしたことが無いのはどういうことだろう。いないと断ずる訳では無い。ただ可能性は限りなく低いと見ていた。
 ところが今目の前にいる男は、噂に聞く恋人の特徴と正に合致する。背が高く銀髪で眼鏡をかけている。しかも事実、先生とは親しいらしい。自分の中で組み上げてきた仮定など、言ってしまえば自分よがりの幻想に過ぎなかったのだが、それが脆くも崩れ去ったわけだ。
 イラついて仕方が無い。こいつはどこの男だ? 森の入口の古道具屋だと? 見たことも聞いたことも無い。しかし、だから里で見かけなかったのかなどと安易な納得もしない。人として生きる限り、確実に人の中に交じらなければいけない時期と言うものがある。こいつからはそれを感じない。自分はこれでも大店霧雨商店の息子だ。人の本質を覗けるくらいの眼は持っていると自負している。もちろん見抜けるほどではないし、父親や人生経験の豊富な大人たちには負けるだろう。それは認める。けれども少年は己の中にある確信を疑わずにいた。
「おい」
 霖之助が振り向くと、少年が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「お前人間じゃねえな」
 霖之助は目を丸くして、僅かの間動きを止めた。
 音の無い透明な時間を二人は見つめ合った。
 やがて霖之助はふっと力を抜いて感心したような細やかな笑みを浮かべると、奇妙なくらい穏やかな声で言った。
「半分だけね」
 少年は表情を変えずに言った。
「まあ、そんなのどうでもいいんだ」
「へえ」
 霖之助が意外そうに顔を上げる。少年は続けた。
「お前、何のつもりで先生と一緒にいるんだ?」
 霖之助は少し考えて答えた。
「成り行きかな」
 霧雨少年は突如としてこの男を猛烈に殴り倒してやりたいという衝動に駆られた。実際膝に力を入れて立ち上がろうとしたのだが、衰弱した体がそれを許してくれなかった。仕方なく少年は己の中の暴力を総動員した不機嫌な顔で霖之助を睨んだ。霖之助は微笑んだ。
「だから君が彼女に恋をしていたところで一向に構わない。例えば君がその恋を成就させて、将来彼女を娶ったとしても、それはそれでいい」
「それはそれでいい、だあ?」
 少年は大きな溜息をついた。
「お前の余裕ぶった態度が気に喰わない。何一つだ」
「そうか」
 それからまた会話は途切れ、窓の外から慧音が声をかけるまで無言だった。

「さて」
 霖之助は立ち上がった。部屋を見渡し、窓の外で不思議そうに力んで網を握っている慧音に目配せをすると、少年の手元に立てていたランプを消した。途端に部屋は闇となり、雨雲の暗く冷たい光が窓から部屋に染み込んでくるまで、またしばらく待った。
 目が闇に慣れたところで霖之助が千羽鶴を掲げた。
「この千羽鶴はある少女が君の回復を願って一羽一羽心を籠めて折ったものだ」
「おい!」
 窓の外から慧音が顔を突き込んだ。
「それは内緒の事だって言ったろう?」
「いいんだよ別に。君だってこの鶴が慧音のお手製じゃないってことは解っていたろう?」
「え?」
「まあな」
 霧雨少年は言った。
「風邪引いてるのが俺だけならともかく、他にも沢山いるんだ。先生が風邪引きたちに何か贈ろうと思ったなら、きっと全員に平等に同じ物を贈ったろう。そう考えると千羽鶴は手間がかかりすぎる。いや、この見立てが間違っていて、本当に先生が俺だけの為に千羽鶴を折ってくれたっていうんなら最高だけれどさ。でも、それは無いわ。悲しいけれどな」
「話を戻すよ。それで、この鶴にはいわば魔法がかかっている。これだけ美しく作られた折鶴ならば、例え紙であっても呪力は宿る」
「そうなのか?」
「ふうん」
 慧音は驚き、霧雨少年は懐疑的に千羽鶴を見た。
「この千羽鶴は君専用の特効薬のようなものさ。箪笥の上で腐らせておくのは勿体無い。だから」
 と、霖之助は懐から小刀を取り出し、逆手に持つと鶴を纏めている先頭の紐を一気に絶った。
「この鶴に君の熱を持って行ってもらう」
 霖之助は千羽鶴を逆さにし、部屋の真ん中で振り回した。解き放たれた鶴が少年の顔に当たり、思わず怒鳴り声を上げようとしたが、部屋の中の異質な光景に目を奪われて動きを止めた。慧音も窓の外からぼんやりとその風景を見つめていた。
 紐から外れた鶴は床に落ちること無く、全てが宙に舞っていた。その上一羽一羽が白露のように淡く発光し、部屋の中に星空を降ろしてきたかのような幻想的な空間を作っていた。鶴は完全に宙に固定されているのではなく、肌にも感じぬ程の大気の流れに応じて向きや高さを変えた。それが何ともいえぬ柔らかさと温かみを印象付けた。
 言葉を失った二人に挟まれて、霖之助が口を開いた。
「あるべきところへかえれ」
 その声を切っ掛けにして部屋の中で突風が吹き荒れた。少年は反射的に目を瞑り、慧音は思わず顔の前に手をかざした。霖之助を軸に荒れ狂う吹雪のように舞い続けた折鶴は、その勢いを維持したまま次々に窓から外へ飛び出していった。
 そのまま何処かへ吹き飛んで行った。

 嵐の後の静けさが残った。霖之助以外はあっけにとられたように窓の向こうに広がる夜の暗さを見ていた。
「おい、今の何だ? 何しやがった?」
「体調は?」
 そう言われて霧雨少年ははっと布団の上に居直り、首を回したり指を伸ばしたりして、随分長いこと眉間に皺を寄せて唸っていた。
「……治った……。うわっ! この部屋寒いな!」
 霧雨少年は慌てて袢纏を着込んだ。霖之助は窓辺に寄り、未だぽかんとしている慧音に話しかけた。
「それじゃあ君の出番だ」
「え? あ、うん。何をすればいい?」
 慧音は網を握り直した。
「今飛んで行った鶴、回収してきてくれ」
「……へ?」
 慧音の表情が凍った。
「まだその辺に浮かんでいると思うから。ほら急いだ」
「え? おい、ちょっと待て。あれ全部か!?」
「勿論」
「ええーっ!! そんな! まさか私一人でとか言わないよな!?」
「行ってらっしゃい」
「手伝えよ!」
「悪いがまだすることが残っている。それに」
 と霖之助は声を潜めて、
「出来るだけ早く回収して欲しい。だから急いでくれ。今ならまだ近くにいるだろうから」
「……全部?」
「全部」
「……四百三十五羽?」
「数を把握しておいてよかったな。ちゃんと数えてくれよ」
「はあ……」
 慧音は諦めたように溜息をつき、俯いて首を左右に振ると、口を尖らせてちょっと霖之助を見やり、意を決して雨の中を網を片手に駆けて行った。

 霖之助が窓を閉め振り返ると同時に少年が罵声を浴びせた。
「お前コラ! 先生に何やらせてんだよ! 馬鹿か!」
 殴らなかっただけ良心的だろう。霖之助は少年を部屋の中央に押し返しながら彼の口を遮った。
「さて、君には一つして貰わなければならないことがある」
「ああ?」
「折紙はあるかな?」
「ねえよ」
 少年はぶっきら棒に答えた。
「表には?」
「あれは売り物だ。俺の自由にしていいものじゃない」
 霖之助は感心したように腕を組んだ。
「じゃあ書き損じの紙とか、そういうのでいい」
「まあ、それならある。で、何をするんだ?」
「鶴を折ってくれ」
「は?」
 少年は顔を顰めた。
「悪いが俺、折り方知らねえぜ?」
「教えるから心配しなくていい。下手でも一向に構わない。とにかく鶴を折ってくれ」
 少年はしばらく見定めるように霖之助を見ていた。眼を鋭く澄ませ、腕を組み、唸り、やがて根負けしたかのように視線を外した。
「はあ……。仕方無えか。あんなの見せられたしな。解んないけれど、俺が鶴を折ることに意味があるんだろう?」
「ああ」
「……何羽だ?」
「一羽だけ」
 霧雨少年は布団の上に胡坐をかき、文机の下から皺くちゃになった紙を引っ張り出した。

  ◇

 真夜中、降りしきる雨音に混じって、少女の家の戸を叩く音が響いた。床に就いていた家人は相当訝しんだが、戸を開けてみて目を丸くした。
「先生? どうしたんです、こんな時刻に……ずぶ濡れで」
「あはは……すみません。夜分に恐れ入ります。失礼は重々承知で、急を要する用事があったものですから……」
 慧音は苦笑いしながら受け取った手拭いで髪を拭い、服に染み込んだ雨水を出来る限り吸い取らせると、少女の眠る奥の間へと歩んだ。相変わらず窯の中のように暑い部屋だ。ここにいれば濡れた服も一時間もしないうちに乾くだろうなと慧音は思った。
 不思議そうな両親の見守る中、青白い顔をした少女の枕元に屈みこむと、気配を察した少女が夢現に眼を開いた。
「……せんせい?」
「こんな時間にごめんね。これを、あなたに渡したかったの」
 慧音は濡れないようにと必死で庇ってきた不恰好な折鶴を少女に握らせた。それは少女の作った折鶴と比べたら明らかに格の低い、歪み放題の悲惨な折鶴で、もっと言えば折り方を間違えたのか翼が畳まれず扁平で、まさに駄作の代名詞といったような品だった。
 少女は手の中の鶴を奇妙そうに眺めた。
「それね、霧雨君が作ったんだ」
 少女の瞼がぱっと開いた。
「千羽鶴を渡した後、貰いっぱなしは嫌だからって言って折ってくれたの。それで、その鶴を千羽鶴を作ってくれた人に届けてくれって」
 少女は折鶴を食い入るように見つめていた。
「……本当に?」
「鶴なんて碌に折ったことが無いから、将来相当な価値が付くぜ? とか言っていたけれど」
 慧音がくすりと笑う。
「とにかく、それを渡したかったんだ。ごめんね。それだけの用事で起しちゃった」
「霧雨君が……」
 少女は鶯の雛でも抱くかのように優しく慎重に折鶴を抱きしめ、潤んだ瞳で慧音を見上げた。
「霧雨君が……私に……」
 慧音は微笑みながら頷き、少女の頭を撫でた。そこには確かな温度があった。見れば少女の顔には血の気が差して、曇っていた眼も澄み渡っていた。
「霧雨君が……作ってくれた……私に……へへへ」
 少女は頬を紅く染めて、幸せそうに笑った。
 子供の変化に気が付いて両親が駆け寄った。と、少女は今更のように慌てふためいて飛び上がった。
「え!? おとうさん、おかあさん、いたの!? き、聞いてた!? ……あれ? どうしてこの部屋、こんなに暑いの?」
 きょとんとする少女を前に、慧音はようやく肩の荷が下りた気分になった。

  ◇

 風邪の流行は一先ずの収束を見せた。しかし寺子屋はまだ開講していない。
「うー」
「三十八度九分。完全に風邪だな」
 慧音の自宅でうつぶせに臥せる彼女の傍らで、霖之助が体温計を振った。
「君も風邪を引くんだな」
「雨の中を走り回らせたのは誰だ! もう、絶対あれのせいだぞ!」
 力無く吼える慧音に、霖之助は笑った。
「悪い悪い。てっきり君も病に罹り難い人かと思ったんだよ」
「決めつけないでくれよ。半獣だからって、特別病に強い訳じゃ無いんだぞ」
「それが意外だった」
「うー、あたまいたいー」
「はいはい」
 仰向けに返った慧音の額に濡れ手拭いが乗せられた。
「結局、今回はどういうことだったんだ?」
 布団を首まで引っ張り上げながら慧音が訊ねた。
「あの千羽鶴が解決してくれたっていうのは解るけれど、それ以外はよく解らない」
「本当はね、解決してくれたんじゃなくて、あの千羽鶴が原因なんだよ」
「え?」
 思わず身を起こしそうになるのを、霖之助がやんわり制した。再び慧音が問う。
「でもお前霧雨君に言っていたじゃないか。この千羽鶴はある少女が君の回復を願って心を籠めて作ったもので、君にとっての特効薬だって。あれは嘘だったのか?」
「結局、彼の体調を治したのだから嘘では無いな。けれど中身が少し違う。まあ結果は同じだからどうでもいいといえばいいが」
 霖之助は話そうか話すまいか少しの間悩んだ後で口を開いた。
「霧雨商店の息子のあの症状は、折鶴の子が原因なんだ。初めは両方ともただの風邪だったんだと思う。けれどもまあ、壮健な少年が病に罹るっていうのが少女には衝撃だったんだろうね。少女は恋をしていた。純粋な恋だ。寝ても覚めても少年のことを考えていただろう。彼の安否を気遣っていただろう」
 慧音は頷いた。譫言ですら彼の心配をしていたのだ。
「その一途な恋が、ある方向へと固まって力を持った」
「それが折鶴?」
「平面から立体へ。形を与えることは存在を創ること。姿を変えることは在りようを変えること。つまりあの子はな、式神を作ったんだよ」
「え?」
 一瞬の間を置いて慧音は叫んだ。
「ええーっ!! 式神って、あの、文献とかに出てくる、呪い師とかの使う……」
「だから驚いたんだよ」
 霖之助が言う。
「元々幣帛には紙を使うし、紙は神でもある。そういう目的を持って作られたのなら珍しくは無いんだが……。勿論、本人は無意識だろう。でもまさか折鶴如きで式を作るとは本当に思わなかった。これでもし鶴に名前でも与えていたら完全に独立した使い魔として機能していたかもしれない。素直に凄いよ。あの子は魔女の素質がある」
「魔女って……」
「ちょっと勉強すれば、恋の魔法使いにでもなれるんじゃないか? どうだろう、里の退屈している女性陣には人気が出ると思うんだが」
「おい」
 霖之助は楽しそうに続けた。
「まあそれは冗談としてだ。彼女は少年への一途な恋心を、まず献身という形に変えた。今年の風邪は悪寒が特徴だろう? だから彼女は霧雨少年も自分と同様に寒さに苦しんでいると信じた。実際は違ったけれどね。とにかくそういう気持ちを込めて鶴を折ったんだ。彼の寒さが軽減されますように。自分と同じような苦しみに喘いでいませんように。そのためには彼の苦痛を私が引き受けても構いません」
 霖之助は息を吐いた。
「恋も祈りも嫉妬も怒りもみんな呪いだ。方向性を持った感情は何であれ力になるんだ。強い思いを込められ、類稀なる美しさで作られた折鶴はもう立派な憑坐だ。それが一羽二羽だったら何の問題も無かったんだろうが、あの精密さで四百羽以上だからなあ。その結果、折鶴は少女の体から熱を受け取り、少年の体にひたすら注入し続けたんだ。だから少女は温度を失い、少年は高熱を出した。平たく言えば、少年と少女の間で体温の貸し借りが行われていたんだ。その入れ物に使われたのが千羽鶴」
「ちょっと待て。それじゃあもし私が千羽鶴を霧雨君の所に届けなかったら、この異変は起きなかったのか?」
「そうかもしれない。でも、そのためには少女が心を込めて折った千羽鶴を捨てなければならない。君に出来るか?」
 慧音は沈黙し、首を振った。
「……出来ない」
「だろう。だから考えても仕方のないことだ。間違っても悔やんだりしないでくれよ」
 慧音が続けて問う。
「霧雨君に鶴を折らせたのは?」
「保険だね。彼女に自分の心が届いたと思わせて、これ以上魔術を進行させないため」
「霧雨君の部屋から飛んで行った折鶴を回収させたのは?」
「折紙とはいえ一度霊力を帯びたから、放っておくと周囲の霊気を吸着して別の異変の元になったりだとか、妖怪を呼び寄せる撒き餌みたいになったかもしれない。もしかすると折鶴自体が化けるって可能性も無くは無いからね。まあそれは一部の理由で、あとは単純にゴミの回収」
「え?」
「仮に君が少女だったとして、自分が贈った筈の千羽鶴の一部が道端に落ちていたら嫌だろう?」
「……お前、意外と優しい奴なんだな」
 霖之助が複雑な顔をした。ひょっとすると照れているのかもしれなかった。慧音は思わず吹き出してしまった。

 窓の外から鳥の囀りが聞こえた。
「鶯?」
「へえ。随分せっかちな鶯もいたものだね」
「だよな。ちょっと早い」
 見えない鳥の姿を求めて、二人は窓の外を見ていた。外は明るい。しかし雨がぱらついている。お蔭で空気が洗われて、透明感をそのまま保った爽やかな陽気が二人を照らしている。不思議な天気だった。
「冬もようやく終わりか」
「うん」
「さて御粥でも作ってやりますかね」
「いや、いいよ。そのくらいは……」
 と慧音は立ち上がろうとして立ちくらみに沈んだ。
「……やっぱりお願いします」
「そう。弱っている時くらい人に頼るといい。期待もしていなかった人の意外な力を知ることが出来たりするぞ」
「……あの千羽鶴、燃やしちゃったんだっけ?」
「ああ。そうするしか無いからな」
「そうか」
 その後、出された御粥が今まで食べたどんな御粥よりも美味しかったので凄く悔しくなった。

  ◇

 寺子屋が再開したその日の帰り道、霧雨少年に呼び止められて少女は心臓が胸を突き破る程驚いた。
「よう」
「……なに?」
 ぎこちなく無愛想に返すと、少年は変わらぬ顔で言った。
「ああ、鶴のことなんだがな」
「えっ!? 先生言ったの!?」
 少女は目を見開いた。
「いいや。誰がとは聞いてねえよ。ただお前じゃないかなあと思って鎌掛けた」
「え? あ……」
「お前器用だし。ああいうの作れるのは多分お前だろう」
「あ、その……」
 自爆した。少女は思考から指先まで永久凍土のように硬直した。少年はいつもと同じ明るい声で言って聞かせた。
「ありがとう。なんだか仕組みはよく解らねえけれどな、俺の風邪が治ったのはあの千羽鶴のお蔭らしいんだわ。正直かなりしんどかったから、助かった。ありがとう」
「あ、あ、どういた、し、まし、て……」
 顔を真っ赤にしながら何とかそれだけの言葉を捻り出すと少女はすっかり俯いてしまった。柔らかく波打った蒲公英色の髪が眩しくて、少年は少し目を細めた。

 しばらくして霧雨少年が訊ねた。
「ところでお前、先生と一緒にいた銀髪眼鏡に会ったか?」
「……ああ、ちょっとだけ、見た。あの人が先生の恋人なんだよね。仕出屋のおばさんが言ってた」
「チッ、やっぱりそういう認識か……あの野郎、気に喰わねえなあ。先生に何かしやがったら膾にすっぞ」
 少年は鋭い目つきで何処かを睨んだ。
 少女は少年の顔を盗み見て、気付かれないようにこっそり頬を膨らませた。




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                               終   20120313
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香霖堂奇譚 | 【2012-03-22(Thu) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(3)
コメント

初コメントです。

あめふらさんの書く中で奇譚シリーズが一番好きなんですがこのシリーズはもう書かないんでしょうか?
2013-02-19 火 19:49:53 | URL | まりも #- [ 編集]

書きます。が、今は手が回りません。気長にお待ち下されば嬉しいです。
2013-02-21 木 23:35:48 | URL | あめふら #- [ 編集]

霧雨道具店で修行前に香霖堂があるのはどうにも違和感があるなあ
2013-04-24 水 02:44:56 | URL | #- [ 編集]
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