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あめふら

Author:あめふら
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『OVERCOLL2』 とらのあな
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『レジンフィギュア・物部ハト』

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香霖堂奇譚 第七話  八熱八寒(前編)



 氷のような冷たい雨が、針のような細さで音も無く降り注いでいる。よく見なければ雨が降っているとも解らない。軒先の水滴や十二分に湿らされて色味を増した木の幹や地面を見て初めて雨の存在を確認するような細い細い雨だ。それでも雨は地表から熱を奪い、自身の冷たさを置き去りにして、洞窟の底に溜まったような掃い様の無い冷気を残していく。
 季節は冬から春へ移り変わろうとしていた。とはいえ気候的にはまだまだ冬の勢力の方が強い。いつもそうだが冬は嵐のように突然始まり、去る時は名残惜しむようにゆるゆると去っていく。冬の長い後ろ髪に人も草木も獣も大人しく首を窄めて、暖かな陽気と春告鳥を待っている。せめてあの灰色の雲が去ってくれれば、いくらか気温も高くなるのだろうが、切れ目一つなく全天を覆った広大な雲は最低でもあと三日は居座りそうな気配を見せていた。

 こんな日だから普段賑わいを見せる里の目抜き通りにも人は少ない。皆必要最小限の用事を済ませる以外には、自宅に閉じこもってじっと冬の残滓をやり過ごしているのだ。
 加えて今は風邪が流行っている。人里では数年に一度、伝染力の強い風邪が流行ることがあるのだが、どうやら今年はその当たり年のようだった。慧音の寺子屋でも生徒の約四分の一がこの風邪に倒れ、現在は学校閉鎖状態となっていた。

 慧音は目抜き通りを北へ歩いていた。こうして誰もいない通りを歩いていると、沼の底で静かに春を待つ魚のような気分になる。実際水の中で魚たちがどのようにして冬を乗り越えているのかは知らないから、あくまで想像でしかない。凍え死ぬような水の冷たさも、意外とそこに住む魚たちにとっては居心地のいいものなのかもしれない。暗く冷たい世界は総じて陰鬱だと私たちは決めかかっているけれど、果たして実際にそうなのかどうかはまるで解らない。ただ、どうせなら自分は陽の下で生きていきたいなと慧音は思った。そもそも私は魚じゃないのだ。

 慧音は風邪を引いて臥せっている生徒達の家を一つ一つ訪ね回っているところだった。
 幸いにして皆症状は軽く、家に閉じ込められて退屈の際にあった子供たちは明るい顔で慧音を迎えてくれた。子供にとって風邪など大した問題でも無いのだ。それよりも身に降りかかる退屈といかに戦うかの方がずっと重要な命題なのだ。
 慧音はしばらく子供たちの話を聞いたり、暇潰しの花札に付き合ったり、恐ろしく小さな折鶴を見せられて驚嘆したりした後、親御さんと短い話をして、名残惜しむように元気よく見送られてを数日に亘って繰り返していた。

  ◇

「ほら、これがその折鶴」
「おお、小さいな」
「だろう? あまりにも小さかったからお前にも見せてやろうと思って」
 香霖堂のカウンターに乗せられた折鶴は、溜息一つで地の果てまでも飛んで行ってしまいそうな危うさを見せていた。このごちゃごちゃとした店の中だ。一度カウンターから落ちてしまえばもう二度と見つかることは無いだろう。見つからなかったところで所詮折鶴なのだが、慧音も霖之助も慎重になってその鶴を扱った。
「まあ僕ならもっと小さく作れるがね」
「子供と張り合ってどうする」
「いやいや大人は子供よりも優位な存在でないといけないぞ。でなければいざという時子供は頼り所を見失ってしまう」
「それは一理あるけれど折鶴にその話を出すなよ」
 慧音は笑った。温かいカップを包み込むように持つ。本格的な冬が終わったとはいえ外はまだ冷たいので温かい飲み物は素直に嬉しい。少しとろみのあるこの甘い飲み物は「ココア」というらしい。初めて香霖堂でココアを出された時は汁粉の亜種かと思って、そういう準備をさせた舌で飲み込んだため大いに噎せた。落ち着いて飲んでみると全く違ったものだった。さらりとした甘みと濃厚な香味に、後ろからそっと抱きしめるようなささやかな苦みが見事に調和している。最近の慧音のお気に入りだ。里で売っていないのが残念で仕方が無い。
 少し分けてもらえないかと霖之助に談判してみたことがあるが、これは外界の商品で貴重だから非売品だと一蹴されてしまい取りつく島も無かった。どうして彼はこう、欲しがる物に限ってそれを売らぬのだろう。恐らく彼には本気で商売をするつもりが無いのだ。
 いや、それは少し違うかもしれない。正確には利益を追求する心積もりが無いのだろう。彼が時々俗世から離れた隠者のような印象を与えるのはきっとそのためだ。達観して見えるのだ。
「結局、休んでいる子供全員の家を見舞ってきたのか」
「まあね」
「それはご苦労だったじゃないか」
「別に大したことでもないさ。どうせ寺子屋も休みで、家にいても本を読むくらいしかすることがないんだし……って言うと何だかついでみたいだな」
「君も無意識に暇潰しを求めていたのかもな」
「そういう言い方をされるとむっとするぞ」
 霖之助は慧音の表情の変化を面白そうに見ながら、
「悪いことじゃないじゃないか。効果的な時間の使い方を模索して実行したんだから。風邪は百病の長だが、退屈こそ死に至る病と言うしね」
「それにしてはこのお店の番は退屈そうですけれどね」
 慧音が口を尖らせる。
「何を言う。大忙しなのが見て解らないか」
「どこが。霧雨商店を見習ったらどうだ」
「ああいう大店とは忙しさの質が違うんだ」
「私はどこかに奉公に出たってことがないから、そういう話をされると『ああそういうものなのかな』って思うけれど、でもお前の場合は自信を持って違うと言える」
 慧音は少し勝ち誇ったかのように言った。どうだ、何も言い返せないだろうとふんぞり返ってみたかったが、霖之助の反応が変わらず淡泊だったので止めた。
 実際、香霖堂に通うようになってから今まで、客らしき人の姿は一度たりとも見たことが無い。たまたま行き違いになっているだけなのかもしれないが、多分違うだろうことはかなり初期から解っていた。
 実はこの店を訪れているのは自分一人なのかもしれないと慧音は思った。私だって客のつもりで香霖堂を訪れている訳ではない。それは果たして店と呼べるのだろうか。しかしそうだとすれば、彼はどうやって収入を得ているのだろう。しっかりした台所があるのだから、霞を食べて生きているのではないことは確かだ。とするとせめて食材を揃えるだけの余裕はあるのだ。店中のガラクタにしたって、言い換えれば物持ちでもあるのだ。きっと私の知らない秘密があるのだろう。そしてその秘密は私の知っている微々たる情報よりもずっと数が多いのだ。
「随分な評価だな」
 霖之助が言った。受け流すような口調だったのは、恐らく客入りの多い店でないことを自覚しているからだろう。そのくらいの自覚も無いようだったら流石に心配だ。
「かといってお前がキビキビ働いていたら何事かと思うけれど」
「ほら、結局のところそういうものなのさ。一律に敷かれた基準なんてものは厳密には無いんだ」
 フォローするつもりで言ったのだが、逆に上げ足を取られたようだ。ああ言えばこう言う。慧音は諦めたように溜息をつくとココアを一口飲み、話題を変えた。
「お前は風邪を引いていないみたいだな。よかったよ。今年の風邪は大人も子供も見境無しに罹るから、ちょっと心配していたんだぞ。こんな何もない所で、独りでぐったり床に臥せっていたらいかにも淋しいからな」
「それはどうも。幸い病には罹り難い体質でね」
「そうやって油断していると痛い目を見るぞ。気を付けろよ。そういう人ほど一度病気になると人よりも重い症状が出たりするんだから」
「ふうん」
「今回で言えば霧雨君がそうだったもの」
「霧雨商店の息子?」
「そう」
 霖之助が無言で次を促したので、慧音は霧雨商店を訪れた時の様子を語って聞かせた。

  ◇

「すみませんね先生。わざわざ見舞いに来て下さって。あいつも普段馬鹿みたいに元気な分、たまに病気に罹るとこれだ」
 里でも指折りの大店、霧雨商店の店主はまだ三十代の活力に溢れた男性である。その性質を受け継いで、息子の彼も病気一つしたことない溌溂とした少年だった。だから彼が病に臥せっている姿を見ると、それだけで何かとてつもない異変が起こっているような気がした。
 実際里の中では、霧雨屋の息子が風邪に負けたという話題がそのまま、今年の流行病の猛威を語る言葉となっていた。それほどに普段の彼の様子を知っている者からすれば、彼の病は衝撃だったのだ。慧音とて例外ではない。
 頭を掻きながら恥ずかしそうに笑う店主に連れられて、慧音は普段足を踏み入れることの無い店の奥へと招かれた。襖を開けると窓から冷たい空気が舞い込んだ。慧音が思わず両腕を抱くと、店主は申し訳なさそうに言った。
「ちょっと涼しいですがどうぞお許し下さい」
「いえそんな。換気は大切ですから」
「そういう訳じゃないんですよ。こうして風を入れておかないと、あいつ体が火照って仕方無いって言うもんだから。実際熱もそこそこあるんですわ。ほら、起きろ。先生が来て下さったぞ」
 霧雨少年は部屋の中央に大人しく寝かされていた。
 普段彼が慧音に見せる有り余るほどの快活さは何処かへ消え失せ、代わりに見たことも無いような気怠さを顔に浮かべていた。風通しの良い部屋で、開け放たれた窓から絶えず冷たい風が吹き込んでくるため、余計に寒々しく、顔色も悪く見えた。
 初めて見る少年の様子に慧音は思わず立ち竦んでいると、少年が慧音に気付いた。霧雨少年は高熱に浮かされた重い頭を傾け、ぐったりとした目つきで慧音を眺めた後、額に乗せられた氷嚢を押さえながら弱々しく起き上がった。
「ああ……先生……」
 慧音は慌てて彼の元へ駆け寄った。少年の体に手を添え、少年はごく自然にその手を握り返した。まるで乳飲み子のように弱々しく、触れた掌からでも十分に熱の高さが窺えた。
「無理して起き上がらなくてもいいよ。大丈夫? かなり辛そうだな」
「俺はもう駄目だ……」
 少年は慧音にもたれかかり、潤みを帯びた瞳で彼女を見上げた。普段の彼の様子からは想像も出来ないような儚さだった。病気とはここまで人の心を弱くしてしまうものなのか。慧音は少年の肩を優しく抱いた。
「そんなこと言わないで。らしくないぞ。ちゃんと休んでいればすぐに良くなるさ」
「きっと先生が膝枕してくれれば治ると思うんだ」
「え?」
「調子に乗んな」
 次の瞬間父親から少年の頭上に容赦の無い拳骨が打ち下ろされた。少年は突然俊敏な動作で頭を抱え、はきはきとした口調で父親に噛みついた。
「いっ!? ……ってえな!! 何すんだよ糞親父! 俺は病人だぞ! もっと玉体の如く扱えや!」
「だったら大人しく寝てろってんだ! べたべたしやがって恥ずかしいわ!」
「先生見たか! これ家庭内暴力だろ! ああ、先生、タンコブ出来てないか見てくれ。ついでに痛いの痛いの飛んでけーってしてくれ」
 慧音は彼の豹変にぽかんと口を開けて硬直していた。
「あ……ええと、意外と元気そうですね……?」
 店主は切れのある動作で頭を下げると、
「本当にすみません。こればっかりは薬でも治らねえ」
「酷えな。俺結構無理してるよ?」
「だから寝てろって言ってんだろうが!」
「まあまあ、お父さん」
 少年は夢見るような声で、
「お父さん、っていい響きだよな。先生、もうちょっとこう、お義父さんって感じで言ってみてくれない?」
「お前いい加減にしねえと疾中だろうが何だろうが吊し上げるぞ?」
「きゃーこわーい。このオヤジこわーい」
「あはは……」

  ◇

「それのどこが重症なんだ?」
 霖之助が呆れ顔で言った。
「ところが重症だったんだよ」
 慧音が答える。なお不審な顔をする霖之助に話を続ける。
「笑いながら『無理してる』って言っていたけれど、やっぱり本当に無理をしていたみたいで。何度か様子を見に行ったんだけれど、その度に熱が上がっていてな。未だに下がっていないんだ」
「免疫が無かったのかもな」
「いや、お医者様が言うには、どうも彼だけ風邪の型が違ったみたいなんだ」
「型」
 慧音が頷く。
「一口に風邪と言っても、咳が続くやつとか、頭痛が酷いやつとか、鼻が出るやつとか色々あるだろう? 今年の風邪は激しい悪寒と節々の痛みってのが特徴だったんだけれど、霧雨君の場合はひたすらに高熱が出る」
「彼の他にそういう症状の人はいないのか?」
「いない。だから作り置きしておいた薬も効かなくて、今彼に合わせた新しい薬を調合しているところなんだそうだ」
「不思議だな。どうして彼だけが?」
「それは解らないさ。病の出所なんて目に見えるものでもないし、話を聞く限り原因にも心当たりが無い。というか心当たりのある発症の方が珍しいと思うけれど。とりあえず里では、普段病に罹り難い人だからこそ、こういう物珍しい風邪に憑かれてしまうんだろう、って結論付けている。実際そうなんだろう。だからお前も気を付けろよ」
「はいはい」
 正に他人事といった霖之助に、慧音は例え後に彼が風邪で倒れても看病なんかしてやらないぞと心の中で誓った。
「やんちゃ坊主は色々と縁を作りやすいから、本人も覚えていない所で何かしでかしたんじゃないか?」
 霖之助が言った。
「何の話?」
「風邪はどうしてカゼと呼ばれるのか知っているかい?」
「さあ。考えたことも無かったな」
「君の言う通り、病の出所が見えなかったからさ。死体から感染するとか、特定の食物を口にするとか、そうした決まりきった条件も無しに引き起こる。もちろん細かいことを言えば、体を過度に冷やしたりだとか、寝不足とか、季節の変わり目で調子を崩していたりだとか原因は色々あるけれど、何れにせよ目で見て推し量れるようなものでは無い。大抵、風邪って引いた後で風邪だと気付くだろう? すると当人にしてみれば、何の前触れも無しに突然風邪に罹ったような気分になる。思い返してみても原因に心当たりは無い。正確には覚えていないだけなんだが、とすると、この病は一体何処から来たものか? 身近な物ではあるまい。目に見える類のものでもあるまい。ならばきっと、どこか遠くから風に乗って病の種子が運ばれて来たんだろう。蒲公英が綿毛を飛ばすようにね。そして自分はその悪い風にたまたま当たってしまったんだろう。と、こう連想された訳だ。故に病気の名にそのままカゼという音を当てた」
「でもそれって、結局出所の説明にはなっていないよな? 他所から来たっていう押し付けた理由だけで満足している」
 霖之助は頷く。
「構わないのさ。要はその時だけ納得が出来ればいい類のものだから。どうせすぐ忘れる。風だって留まるものじゃない。ただし名前だけは残った。一応、出所がはっきりしているのもあるよ。精霊風とかミサキとか、風が病を運ぶという性質じゃなくて、風であり病そのものでもある者達だ。独立した名前を持った分普通の風より強いから、どちらかというと行逢神に近いね。こういうものには逢っただけで終わりだ。いくら健康な人でも病気になる」
 慧音は少し考えてから言った。
「もしかして、霧雨君もそういう悪い神に遭遇してしまったのかもしれないって言いたいのか?」
「さあね」
 慧音は睨むような目付きで言った。
「……余計な不安を掻き立てるような言動は止めろ」
「可能性の話だよ。それにもし本当に悪魔ヶ風の神がいたとしても、今頃は幻想郷じゃないどこか遠い土地へ飛んで行っていると思うよ。風を捕まえることなんて出来無い。風は通り過ぎるものだ。病だってそうさ。病が風に乗ってやって来るというなら、風に乗って去りもするんだ。放っておけば治る」
「そういう突き放した言い方は気に入らないけれど、でも結局はそうだよなあ。治るのは本人次第だから」
 慧音は両手でマグカップを持ちながら、ぼんやり霧雨少年のことを考えた。彼自身つむじ風のような性格なのに、風に当たって負けるだろうか。子供は風の子という言葉を地で行く彼なのに。だが実際に負けている。やはり自然は強いのだ。
「或いは君が出入りするから熱が下がらないとか」
「はあ? どうして?」
 思いがけぬ霖之助の言葉に慧音は目を丸くした。
「彼は君に熱を上げているみたいだからな」
「……一瞬でも真面目に聞いた私が馬鹿だった」
 霖之助は楽しそうに続ける。
「案外あると思うけれどね。病に臥せっていれば心を移した女性が訪ねて来てくれる。そういう下心が無意識に快癒を拒否しているっていうのは珍しいことじゃない。たまに病気になれば見慣れた人の反応も変わる。誰でも優しくされるのは嫌いじゃないしね」
「お前も?」
「僕は病に罹らないからその心配は無い」
「ああそう」
 答えながら慧音は霧雨少年の言動を思い出してみた。確かに病気と言う状況そのものを楽しんでいるようにも見えたが、それだけだとすれば逞しいことこの上無い。もっともその方が彼のイメージには合っている。慧音は溜息をついた。
「しかし、この間も似たようなことを言われたよ。私が行くから霧雨君が無理をするんだ、って」
「へえ、なかなか鋭いじゃないか。誰に?」
「ああ、この鶴をくれた女の子なんだけれど……」
 と指先で折鶴の頭を撫でながら言った。

  ◇

 少女の手元には色取々の折り紙が丁寧に重ねられていた。冬物の分厚い布団をかまくらのように肩から被って、机の上でせっせと鶴を折っている。机の端には今までに折られたものであろう、一目見ただけでも三百羽以上はある折鶴が、これも紙で出来た箱の中に積み上げられていた。きっと床に臥せてから少女は折鶴を折ることだけをひたすらに続けてきたのだろう。そのため少女の小さな手は今や熟練の域に達していた。
「凄いな。一人で折ったの?」
 慧音が言うと、少女はちらりと顔を向けて無言で頷いた。蒲公英色のいかにも柔らかそうな髪が少女の動作に合わせて揺れた。少女は直ぐに顔を背けてしまうと、再び机上の作業に没頭し始めた。
「千羽鶴? 先生も手伝おうか?」
 慧音が少女の隣に座ると、少女は口をへの字に曲げて、
「いい。私が全部折るの」
 と慧音の前にあった折り紙の束を自分の方へと寄せた。なんだか不機嫌なところにお邪魔してしまったのかもしれないなと慧音は思った。
「じゃあ、一枚だけ紙をくれない? 千羽鶴は関係無しに、先生もちょっと折ってみたくなったんだ」
 にこやかに言うと、少女はしぶしぶと薄青色の紙を慧音に手渡した。慧音は早速机に向かって紙を畳み始めた。
 まずは四つに折って折り目を付け、次に三角に折って、初めに付けた折り目に沿って角を内側へ折り込む。基本の正方形が出来ると、手前の二辺を対角線上で重ねるように折り、最上の一枚を捲りあげて菱形に潰す。裏も同様に折る。
 少女は慧音の手元をちらちらと気にしながら、必死で興味の無い振りをしていた。その動作が伝わってきて慧音は自然と微笑みを浮かべた。
「出来た! どう、悪くないでしょう?」
 久し振りに折ったにしては整った形の鶴が出来上がった。少女時分に散々慣れ親しんだ工程は想像以上に手に焼き付いているものなのだ。慧音は少女の前に自作の鶴を掲げて見せたが、少女の評価は辛かった。
「へた」
「ええー」
「私ならもっと上手く折れるもん」
「本当? やってみせて」
 少女は紙を一枚自分の前に置き、慧音の顔をちらりと覗くと、瞬間歯車が噛みあったように幾百と繰り返されたであろう滑らかな動作で鶴を折り始めた。最早机の上で指がそれぞれ独立して舞を舞っているようだった。
 ジャスト四十五秒。非の打ち所のない折鶴が出来上がった。
「凄い」
 慧音は心の底から言った。まるで折り紙がその身に折鶴となるべき宿命を最初から内包しているかのような作業だった。あれ程の速度で紙を折りながら、僅かの歪みも無い。
「凄いよ。こんなに綺麗な鶴は生まれて初めて見た」
 言うと少女は顔を紅くして、喜びを隠そうとして失敗した得意げな不機嫌面を見せた。
「もっと小さいのも折れるよ」
「本当?」
 そうして出来上がった鶴は小指の爪の更に半分程しか無かった。

「ねえ先生、霧雨君もお休みしてるって本当?」
 いつの間にか機嫌を直していた少女が内緒話をするように慧音に訊ねた。
「ああ本当だよ。珍しいよね」
 言うと少女は目に見えて顔を曇らせた。
「そうなんだ……。霧雨君、大丈夫だった? 寒そうじゃなかった? 震えてたりしなかった?」
 上目使いで訴える少女を、慧音は勇気付けるように優しく微笑んだ。
「大丈夫だったよ。流石に本調子という訳では無かったけれど、でも元気だった」
「それは先生が行ったからだよ」
 少女が頬を膨らまして言った。
「だって、霧雨君……先生の前だと恰好付けるもん……」
 言った後で少女は膨らんだ頬を紅く染めて、ふいとそっぽを向いた。その紅潮はどうやら高熱のせいではなさそうだった。
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも霧雨君は誰の前でもあんな感じじゃない?」
「違うよ。先生の前だけだよ」
「じゃあ、私の見ていない所で、霧雨君ってどんな感じ?」
「それは……ええと……でも……」
 少女は耳まで紅く染めて、天道虫のように布団に潜り込んだ。この子は彼のことが好きなのだ。
「だから……霧雨君、無理してるんだよ」
 しばらくして布団の中からもぞもぞと曇った声が聞こえた。可愛らしく思って眺めていると、少女はヤドカリのように頭だけ布団から出した。
「あのね、先生。お願いがあるの」
「ん? なあに?」
「私ね、鶴をいっぱい折ったから、霧雨君にあげたいの。まだまだ千羽には足りないけれど、全部折れたら、霧雨君に届けてくれる?」
「そうだな、でも先生としては、あなたが自分で届けに行った方が霧雨君も嬉しいと思うよ?」
「え? いや、だって……恥ずかしいもん……」
 少女は再び布団に潜り込んだ。うっかり陽の下に出てしまい慌てふためいて転がるモグラのようだった。
「それに、先生が行った方が霧雨君喜ぶもん……知ってるもん……」
「そんなことないって。女の子から贈り物をしてもらって、嬉しくないなんてことはないよ」
「本当?」
 少女が恥ずかしそうに顔を覗かせる。
「本当だよ。ほら、その為にはまず風邪を治さないとね。でないとお外にも出られないぞ?」
「あっ!」
 突然少女が大声を上げた。
「どうした?」
「どうしよう? きっと私が千羽折るより霧雨君が治る方が早い……」
「あ……ああ、うん。そうかもしれない」
 目の前の少女と霧雨少年とを比べて、どちらが先に風邪を治しそうかと問われれば、里人は全員一致で霧雨少年を選ぶだろう。明日にでもけろっとしているかもしれない。少女は涙目になって狼狽えた。
「どうしよう? 治ってからあげても変だよね?」
「そうだなあ」
 確かに見舞いの品には適切な時期というものがあるのだ。しかしこのまま少女の心を反故にしてしまうのも忍びない。慧音は咄嗟に頭を働かせた。
「じゃあ今ある分だけで纏めてしまったらどうだろう?」
 少女は驚いた様子で、
「でも……千羽じゃないもん」
「千羽鶴の千っていうのは、必ず千羽折らなくてはならないって意味じゃないんだ。数が多いってことの例えなんだよ。だから数えてみたら百しかない千羽鶴でも全然構わないんだ。それよりも大切なのは気持ち。だろう?」
「そうなの?……そう、かな?」
 少女は自問自答するように慧音の顔を見上げては俯いてを繰り返し、やがて冬眠から覚めた熊のように布団から出てきた。
「……じゃあ、作る」
「紐と針はある?」
「ある」
 少女は机の下から赤い糸と縫い針を取り出した。
「先生も何かする?」
「いい。私一人でやる」
 あくまでも自分の手で仕上げた物を渡したいのだろう。慧音は慈しむような目を向けて、ただ少女の作業を見守った。実際慧音が手伝う余地などなかった。仮に手伝ったとしても恐らく足を引っ張るだけだろう。少女の手は木々の間を抜ける微風のように滑らかで、見ていて気分がいいほど手際が良かった。そもそもが器用なのだろう。少女は時々手を止めて連続した色の配置を考えながらみるみる折鶴を繋いでいった。
 慧音は感心しながら紐に通されゆく鶴の数を数えていた。途中で少女が数合わせに作り足したものを加えて、折鶴は四百三十五体あった。それが丁度二十九ずつ十五本の紐に纏められ、最後に華やかな組紐で束ねられた。
「出来た」
 少女が得意げに掲げると、折鶴はさらさらと笹の葉のような羽音を立てて鳴いた。慧音は思わず嘆声をもらした。全体としては少々小振りな千羽鶴だ。しかし却ってこちらの方がよかったかもしれない。手ごろな大きさに品良く纏められ、これならば気軽にどこへでも飾れる。配色も見事だった。やや青味が足りないが、絶妙な鶴の配置でそれを隠していた。
「じゃあ、先生、お願い」
 少女はもじもじと慧音に千羽鶴を託した。
「解った。ちゃんとあなたからだって言って届けるよ」
「それは駄目!」
 少女は慧音に縋り付いた。
「でも、言わなきゃ解らないよ? 私からの贈り物だって勘違いさせてしまうかもしれない」
「いいの! 駄目だけどいいの! その……今は……」
 少女は林檎のように頬を染めて顔を背けた。慧音は少女の頭を柔らかく撫で、
「解った。じゃあ今回だけね。あなたのことは霧雨君には内緒にしておくよ」
「うん」
 その後、慧音は千羽鶴を携えて、その足で霧雨商店に赴いたのだった。

  ◇

「微笑ましいじゃないか」
「だよね。可愛いよね」
 ほのぼのとした和やかな空気が二人を包んだ。
「こういう、何て言うのかな、感情が発露していく過程みたいなものは見ていて好ましいよ」
「人を育てる醍醐味ではあろうな」
 霖之助が穏やかな声で言った。何となく彼は子供が嫌いだろうと決めてかかっていたので、慧音にはその様子がひどく新鮮に思えた。試しに霖之助が寺子屋の子供たちと仲良く遊んでいる姿を想像してみたら、自分でも驚くくらい笑えた。慧音が急に笑い出したので霖之助は首を傾げた。
「何?」
「ああ、いや、何でも無い」
 慧音は涙目を擦りながら言った。
「でもお前、意外と自分の子供とか出来たら猫可愛がりしそうだよな。ああ、けれどなんだか陳ねた性格になるかも」
「そうしたら君の寺子屋に通わせて君を散々困らせよう」
「嫌な奴だなお前」
 慧音はまた笑った。

  ◇

 香霖堂からの帰り道、慧音はふと思い立って少女の家を訪ねてみることにした。きちんと霧雨君に千羽鶴を届けたことを報告せねばなるまい。小雨の降りしきる中、少女の自宅の前まで来た所で、家から飛び出してきた彼女の母親と鉢合わせした。
「あ! 先生!」
「こんにちは。丁度今お宅にお邪魔しようかと思っていたところでした。しかし何やらお急ぎですね」
「先生、すみません、少しの間家の子を見ていて下さいませんか?」
「へ? それは構いませんが……どちらに?」
「お願いします。お医者様の所に行ってくるんです」
 母親は居ても立ってもいられぬ様子で傘も差さずに走り去った。
 慧音は心がざわめくのを感じ、早々に玄関に上がると、少女の寝室へと急いだ。襖を開けた瞬間、閉じ込められていた熱気の塊が顔にぶつかって思わず目を瞑った。
 暑い。何だこれは?
 少女の布団の周りには幾つもの火鉢が並べられ、部屋全体を蒸し上げるように濛々と熱を発していた。蜃気楼のように焼付く空気の向こうで祭壇に寝かされた生贄のように横たわっていた少女は、慧音の姿を見ると弱々しくも驚いた顔をした。
「……あれ? 先生?」
 少女の台詞に合わせて白い息が上がった。
「お母さんに頼まれて……一体どうしたんだ?」
「解らない」
 火鉢を一つどかして少女の枕元に座る。少女の顔は数日前に訪れた時よりも明らかに血色が悪かった。肌もいよいよ白く、目まで白く濁り、目の前の慧音の姿もしっかりと見えているのか怪しかった。まるで気配だけで慧音の居場所を確認しているようだ。少女は布団を肩まで被りながら絶えず震えていた。部屋全体に渦巻く熱気も少女の周辺でばったり絶縁されているように思えた。
 何だこれは?
 慧音は内心の焦りを少女に気取られぬよう慎重に隠しながら、熱を測ろうと少女の額に手を当てた。掌が少女の肌に触れた瞬間、あまりの冷たさに思わず手を引いた。少女の額には触れた個所だけ鮮やかな跡が付いていた。
 霜?
 そんな馬鹿な!?
「ねえ先生、鶴、霧雨君に届けてくれた?」
 少女が焦点の定まらない目で慧音を見た。
「あ、ああ。ちゃんと届けたぞ」
「その……喜んでくれていた?」
「うん。まあ誰からとは言わなかったから、どちらかというとびっくりしていたけれどね」
「へへへ……」
 少女は恥ずかしそうに笑った。しかしその笑みはどこか死に際の冬鳥のような印象を慧音に与えた。
「あのね、先生。私、まだ鶴を折っているんだよ」
 少女が言った。
「今度はちゃんと千羽折るの。凄いでしょう、目を瞑ってても折れるようになったんだよ」
「それは凄いな。でも、今は折紙は休んで、しっかり寝ていた方がいい。無理をしたら駄目だぞ」
「大丈夫だよ。だって、霧雨君も無理をしているんでしょう? 霧雨君もきっと、私と同じように寒い思いをしているんだもん。でも霧雨君は辛いとか苦しいとか言わない。だから私も頑張るの」
「その気持ちはとても大切だよ。けれどね、今は病気を治すことを頑張るべきだよ。霧雨君もその方が喜ぶよ」
 少女は慧音の話を聞いていなかった。ただ譫言のように「霧雨君、大丈夫かな? 寒くないかな?」と繰り返すばかりだった。
 少女の母親が医者を連れてくるのと入れ違いで、慧音は香霖堂に走った。



後編へ続く
香霖堂奇譚 | 【2012-03-15(Thu) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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