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あめふら

Author:あめふら
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pixivで描いた漫画をまとめました。


『OVERCOLL2』 とらのあな
booth
制作
作ったものを売っています。


『レジンフィギュア・物部ハト』 とらのあな

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くおんにねむる 十三、十四、十五
前回からの続きです。未読の方は先に前話をお読み下さい。


  十三


「さとりー。居るー?」
「開けます……今開けますから! 扉は壊すものではありません!」
 博麗神社の裏手にある温泉はその片隅にぽっかりと大穴が開いており、そこから奈落の底の旧地獄へと降りることが出来る。旧地獄というのもおかしな響きだが、この広大な地下空間はかつて地獄の縮小化に伴い切り捨てられた土地であり、現在では地上で忌み嫌われた、或いは自ら地下へと潜伏した妖怪達によってある種のコミュニティが築かれている。
 灼熱地獄跡地に建つ地霊殿もその一つであり、沢山の動物達に囲まれて、その主古明地さとりは住んでいる。

 品のいい扉の向こうから現れたこの何となく眠たそうな目をした少女は、名の示す通り「覚」の一族である。携帯音楽プレーヤーのような外付けされた三番目の眼で人の心を読み取る能力を持っている。
 大多数の人間にとって、心の裡を強制的に晒されるこの力は嫌われるものであり、さとり自身嫌われていることを自覚している為にこうして地下に身を隠している。
 しかしあくまで嫌われているのは能力であって人格では無い。彼女自身は非常に優しい心の持ち主である。それを象徴するように地霊殿には数多の動物たちが犇いている。皆さとりを慕って集まってきた者達だ。以前登場した火車のお燐も何を隠そう彼女の愛玩動物の内の一匹なのである。

 地霊殿の門をくぐった後、犬っぽいへなへなした生き物に案内されて応接室へと通された霊夢は、神社には無いソファーの弾力を楽しみながら館の主が現れるのを待った。
 さとりはトレーに紅茶とビスケット乗せて運んでくると背の低い硝子のテーブルに丁寧に並べて、霊夢の正面に腰を下ろした。
 紅茶は、まあ不味くはないが、質から言えば吸血鬼のそれに劣るといった具合だった。
「あら、お口に合いませんでしたか? ……あ、そういうことじゃ無いのね。でも御免なさい。家に緑茶は無いので」
 さとりが目を細めて言った。
「キロ単位で揃えておきなさい」
「無茶言わないで下さい。それで今回は……」
「あなた、寝てる人の思考って読める?」
 霊夢が答えた。さとりとの会話では別に声を出す必要も無いのだが、何となく会話をしている気分になれないので霊夢はなるべく喉を使うようにしている。
「眠っている人の? それはまたどうして……ああ、そう。雨音というのね、その子は……眠って……夢? ……ああ、なるほど。過去を」
 しかしさとりは問いかけるだけで一足飛びに話の結論を出してしまうため、霊夢の地味な反抗にもあまり意味は無い。
「つまり、眠り続けるその子は自分の過去を悪夢に見ている可能性がある。そこから原因を探れないかと」

 霊夢の考えというのはこうである。
 初めて逢った日から雨音は、眠る度に酷く魘されていて、以来本人は隠しているつもりであろうが安眠するということが無い。あれはつまり思い出したくない過去の映像を夢に見ていたのではないか。だとすれば仮に今眠っている雨音が同じ夢を見ていた場合、どうにかしてその夢を覗き見ることが出来れば、それはそのまま彼女の過去を覗き見ることになりはしないか。
 しかし他人の夢に干渉するなど一体何をどうすればいいのだろう。そこで思いついたのがさとりの存在である。心をダイレクトに見ることの出来る彼女ならば或いは可能かもしれないと思ったのだ。

「出来るか出来ないかを訊いているの」
 やや鋭い口調で霊夢が訊ねる。さとりは柔らかく指を組んで、
「どうでしょうか……そういえば、身を入れてやったことがありませんね。睡眠中の心は基本的に無意識の支配下なので」
「やってみなければ解らない?」
「そうですね。そういうことになります」
「じゃあ、あなたちょっと神社まで来てくれない?」
 霊夢がビスケットをつまみながら言った。シナモンの利いた香ばしいビスケットだった。
「それが出来れば話は早いのですが、ご存知の通り私達地底の妖怪は、妄りに地上へ出ないという協定を結んでいます」
「私がルールよ」
「ええっ!?」
 さとりは霊夢を窺うように見て、
「……うわ、何ですかその自信は……ああ、解りました、行きます! どうしてそう乱暴な方向へ思考が傾くんですか……」
 と顔を伏せ溜息をつきながらしぶしぶと立ち上がった。そのまま適当な家人に博麗神社まで出かけてくる旨を伝えて、ビスケットを齧りながら無言で急かす霊夢と共に、彼女は本当に久し振りに日の光を浴びることとなった。
 霊夢の為に言っておくが、彼女は何も本当に屋敷ごと爆破しようとか考えている訳ではないし、勿論実行するつもりも無い。しかし霊夢の心の奥底に、彼女自身知らないほどの深淵には、触れるものを皆即死させるような絶対零度の意思が隠れていて、その片鱗が時折遠雷のように閃くのを遙か遠くからでも見てしまえるさとりは、どうしても霊夢に逆らえないところがある。基本的に霊夢は口に出す言葉がそのまま本心なので、そんな心配はする必要が無いと頭では解っているのだが。

 地下から飛び出すと地上はなんと光に溢れた世界か身に沁みて解る。桁外れの光量は引き絞られた矢のように目に刺さり、霊夢は直ぐに慣れたが、さとりは順応するのに少し時間がかかったようだ。険しい顔で瞼をぎゅっと閉じて、その上から念入りに掌で押さえている。こうして明るいところで並んでみるとさとりの病弱なまでの肌の白さはより一層際立つ。
 神社に上がり、精巧な人形のように横たわる雨音を挟んで二人は腰を落ち着けた。
 さとりが、まずこの子のことを知っておきたいと申し出たので、霊夢は頭の中で雨音に初めて合った時から今日までの出来事を適当に並べ立てた。状況、服装、行動、発言、疑惑、等々。こういう時さとりの能力は便利だなと思う。わざわざ説明する手間が省けるし、言い忘れるという事が無い。
 しかしさとりにしてみればバラバラのパズルのピースを投げつけられるようなものなので、全体の把握には結局それなりの時間を有した。
「……大体解りました。そうですか。お燐が既に逢っていたのですね。それにしても……なんというか、不審な子供ですね」
 言いながらさとりは雨音の顔を一つ一つ点検するように眺め、顔を上げて霊夢と視線を交えた。
「それでは今からこの子の意識を読んでみますが、あまり過度な期待はしないで下さいね。先程も言いましたけれど、夢は無意識の産物です。まずまともに読めるかどうかも解らないし、読めたとしても、それが有意義な情報である可能性は低いですから」
「そうなの?」
「例えばあなたが時計を食べる夢を見たとして、だからあなたは時計を食べるのが大好きです、という風にはならないでしょう?」
「まあそうね」
「それと、ちょっと混合されているようなので言っておきますが、私の能力は記憶を読むのではありません。意識を読むんです。心は記憶の貯蔵庫ではありません。一つの意識から別の意識へ次々に連想させて、結果的にその人の記憶を読むに近いことは出来ますが、それは相手に意識があることが大前提です。だから、どうかあまり期待はしないで下さい。……ええ。そうですね。何もやらないよりはましです」
 さとりは雨音の手に自分の掌を重ね合わせ、太古の神聖な儀式のように両目を閉じた。首からぶら下げられた無骨なアクセサリのような三番目の眼だけが小さく無機質に揺れながら雨音を見つめている。厳粛な雰囲気が漂い自然と沈黙を強制する。
 霊夢はじっとその様子を見守っていた。やがてさとりが口を開いた。
「……雪、ですね。一面の雪です。曇り空で……ただ、雪が降っています」
「雪国出身らしいからね。他には?」
「……大きな屋敷が。青い屋根の……二階? いや、三階建てですかね」
「屋敷? 神社じゃなくて?」
「……そうですね。神社って感じでは無いです」
「大きいってどのくらい? うちの神社よりも大きい?」
「圧倒的に。……悔しがらないで下さいよ。……地霊殿よりも広いかもしれません。ぐるりと白壁の塀に囲まれていて……でも、門の横に献灯台がありますね。やっぱり神社なのかもしれません。あまりそんな感じはしないのですけれど」
 霊夢は頭の中で精一杯屋敷の外観を想像してみた。
「んー。中はどんな感じ?」
「ちょっと待って下さいね……入れるかな? ああ、入れた」
「どう?」
 さとりは答えない。
 そのまま体がゆっくり前に倒れて、眠っている雨音にどさりと覆いかぶさった。
「……さとり? あんたまで何やってんの? ……さとり?」
 さとりは答えなかった。



  十四


 屋敷の門が閉じた瞬間、太い紐が切れるような音がさとりの頭に響いた。同時に朧げていた視野が不気味な程明瞭になり、逆に博麗神社の様子が全く見えなくなってしまった。
 何が起こったのか解らなかった。さとりはしばらく電池の切れたラジオのように沈黙した。
「……巫女さん?」
 呟いた声は、土と埃と黴が混ざったような廃墟の臭いがする重苦しい廊下の中に吸い込まれた。生ぬるい沼の中へ落ちていくみたいだった。

 何だ? 何が起きた?
 引きずり込まれた?
 接続を切られた? 何故?
 踵を返し扉に手をかける。びくともしない。今入って来たはずなのに開かない。
 背中に冷たいものが流れた。
 まずい。これはまずい。
 肩が外れるかと思う程の力を込めて引いても、半身を潰すほどに体重をかけて押しても扉は動かない。勢いをつけて体ごとぶつかってみたが軽々と跳ね返される。
 こうなったら仕方が無い、弾幕で扉ごと吹き飛ばそうと右手をかざした。ところが何も起こらない。きっと集中が乱れているせいだろう。深く息を吐き、再び意識を引き絞るように集中する。しかし煙一本出ない。驚愕する。何度やっても駄目だ。思わず掌を見つめた。弾幕が出せない? まさかと思って地面を蹴った。体が浮かない。当たり前の重力に従って当たり前に体が落ちた。
 まずい。これはまずい。
 空から逃げるってことも出来ないのか。仮にこのまま屋敷の中に閉じ込められてしまったら、私はどうなる? 人の心の中に入り込んだまま出られなくなったら、一体私はどうなる?
 不幸の予感が頭の中を塗り潰すように這っていった。狼狽した。渾身の力を込めて扉を思いっきり蹴ったが戸板は岩のように固く、反動でさとりは盛大に転んだ。そのまま扉を前に座り込んで途方に暮れる。
 どうしよう?

「諦めて柱となれ」
 突如意図せぬ位置から声が聞こえて全身が跳ねた。反射的に声のした方角へ顔を向ける。玄関の直ぐ脇の暖簾の先、袋状になった物置らしき空間に誰かが立っている。男のようだ。顔は見えない。作業着のような白装束を着ている。足元に血溜りが広がっている。
 血溜り?
 そんなものさっきまで無かったじゃないか。
 突然強烈な耳鳴りに襲われた。首筋から心臓を抜き取られるような高音のノイズだ。さとりはとっさに人影から顔を背けた。
 あれは怨霊だ。改めて見なくとも気配だけでそれと解る。旧地獄にも山程居るが、だからといって慣れる類のものではない。傍にいるだけで肌がちりちりと炙られるように痛い。
 動いた。近づいてくる。いけない。ここにいたら最悪取り殺される。さとりは慌てて立ち上がり、箪笥だらけの土間廊下を奥へ奥へと駆け抜ける。突き当りを左へ折れ曲がり、扉を開けて仕切られた部屋へと飛び込んだ。

 戸を閉めて背中を預け、息を荒げながらよろけるように座り込んだ。久し振りに走った気がする。この距離で息が切れるとは、我ながら体力の無さに笑う。
 耳鳴りが止まない。
 息を整えながらよくよく気配を巡らしてみれば、右からも左からも前からも後からも、果ては上からも下からも嫌な音がする。そこら中怨霊だらけだ。何だここは?
 落ち着こう。まずは落ち着こう。狂った兎のように跳ね回る心臓をぎゅっと押さえて、努めてゆっくりと深く呼吸する。私は? 古明地さとり。ここは何処? 雨音という少女の夢の中だ。けれどただの夢とは言えない。悪夢だ。それもただの悪夢とも言えない。異常な悪夢だ。弾幕は? 使えない。空は? 飛べない。恐らくこの屋敷はこの屋敷独自のルールに支配されていて、それに外れた行動は取ることが出来ないのだ。
 どうしよう?
 どうしようも何もとにかく神社に戻らないとまずい。ではどうすれば神社に戻れる? 恐らくこの屋敷から出る必要があるのだろう。ではどうすればここから出られる? 玄関は駄目みたいだ。他に出口は?
 現実の私はどうなっているのだろう? 意識の主導権がこちらにあるから、多分、雨音という少女と同じように昏睡しているのだと思われる。眠り続けるというのはまさかそういうことなのだろうか? 自分自身の夢に囚われている? でも何で? 何がどうすればこんなことになるのだろう?
 頬を抓ってみる。痛かった。目は覚めない。それどころか夢というにはあまりにも現実的な痛みを残した。現実世界で巫女さんが叩き起こしてくれたりしないだろうか。この際どんな暴力的な手段でもいい。
 膝を抱いて小さく丸くなった。耳鳴りが消えない。耳を押さえる。押さえたところでどうにもならない。小さな絶望感が背中に張り付き始めた。

 「覚」というのは基本的に後の先を取る妖怪だ。自ら攻撃を仕掛けることは無く、相手の思考を読むという圧倒的な優位性の下、避けようの無いカウンターを決めるのだ。それゆえ日常的にも、まず相手の心を伺ってから自身のとるべき行動を選択する癖のあるさとりは、その優位性が奪われた時信じられないほどに脆くなる。突然盲目になったような恐怖が降りかかって体が竦んでしまう。根本的に彼女は臆病なのだ。人は彼女を称して「怨霊も恐れ怯む」というが、はっきり言って怨霊なんて大の苦手だ。大抵の場合、奴らは別次元で話が通じない。心を読まれているという脅威を認識する知性も無ければ処理する理性も無い。ただ一方的に暴力を押し付けるだけだ。そういう人は怖い。

 何故人の心の中に怨霊がいるのだろうとさとりは思った。自分以外の人格が存在しているなんて普通はありえない。この感覚の生々しさといい、ここは本当に少女の心の中なのか疑いたくなる。けれどもそうで無いとしたら一体何だというのだろう。全くわけが解らない。心を読もうとしただけなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう?

 さとりはしばらく丸くなっていたが、思い切って顔を上げた。蹲っていても仕方が無い。嘆いていても誰も来ない。自分で何とかしなければ。
 とにかく、玄関以外の出口を探そう。大きな屋敷だからきっと裏口があるはずだ。弾幕が使えない。つまり怨霊と正面から対抗する術が無いから、可能な限り接触は避ける。逢ったら逃げる。幸い気配くらいは感じ取れるのだ。隠密に隠密に行動していれば何とかなる。
 大丈夫。何とかなる。

 重い腰を上げた時、自分を囲む空気の違和感に気が付いた。少しして、それは耳鳴りが消えているためだと解った。耳がノイズに慣れてしまったのかと思ったが、しかしあれほど執拗に聞こえていた耳鳴りは確かに影も無く消えていたのだ。代わりに熱に浮かされた後のような体の重さと、深海のような沈黙を残した。
 静かになればなったで、先程とはまた違った不安に襲われる。
「……なによ、こんな屋敷。地底に比べればずっと明るいじゃない」
 言ってみたが、想像していたよりもずっと自分の声が怯えているのに驚いた。少し恥ずかしくもなった。気を紛らわそうと辺りを見回したら、壁に開いた窓の向こう側を不意に誰かが横切った。
 ぎょっとして視線が凍る。
 既に窓の向こうには誰もいない。
 足先から少しずつ体が強張るのが解った。嫌な予感がする。妙な圧迫感が、心が潰れるような何か嫌なものが、そろりそろりと音も無く近寄ってくる。ここもきっと危ないのだ。早くどこかへ移動してしまおう。

 この時にさとりは土間廊下へと戻るべきだった。そうすれば、いずれ避けられない衝突ではあったのだが、その先延ばしくらいは出来たのだ。
 しかしさとりは仕切られた部屋の奥へと向かってしまう。それは玄関で遭遇した怨霊のイメージが脳裏にこびり付いて、引き返すという選択肢を無意識に避けた結果でもある。また今すぐにここを離れなければならないという焦りが冷静さを失わせていたためでもある。もしさとりが普段の明瞭な頭脳の働きを取り返していれば、先程窓の向こうを横切った何かが一体どの方向に進んでいたのか、取り零したりしなかった筈だ。しかし怯えを誤魔化して中途半端に奮い立った心は余裕を欠き、ついに鉢合わせするまでそれに気付かなかった。

(青い人?)
 目の前に現れた彼女を見て、さとりはそう思った。青い袴に、どういう理由か上半身を露出させて、露わになった肌が顔までも隙間無く青い。
 痣? いや、刺青?
 不思議に思っていると膝がかくんと折れた。
 あれ?
 どうしたんだろう? 立てない。体が動かない。
 青い女が一歩さとりに近づいた。
 おかしい。何故私はこの女の接近に気が付かなかったんだろう? 心は……
 やばいと思ったときには遅かった。
 目が合った。

「!!!!!!!!!!?????????」
 突然さとりは頭を抱えてその場に倒れ込んだ。
 なんだこれ! 痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
 耳元で何十人も同時に叫んでいるみたいだ! 耳鳴りが消えたんじゃない、声が多すぎて拾えなかったんだ!
 規格外だ! 嘘だろう、なんだこれは!? なんで一人の中にこんなに沢山の心があるんだ!!
「あああああああああああああああああああああああ!!!!」
 のた打ち回る。
 痛い! 痛い! 体の中から刺されてるみたいだ!
 頭が割れる! 悲しい! 悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい!!
 悲しくてたまらない! 痛い! 痛い! 悲しい! 悲しい! 悲しい!
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 自分で叫ぶ声が全く聞こえない。というかさとりは自分が叫んでいることに気付いていない。涙を流していることにも、自分の手足が女と同じように青く染まっているのにも気付いていない。七転八倒するさとりに、女がすぐ触れるような距離まで近づいていることにも気付いていない。それどころじゃない、それどころじゃない!

「あああああああああああああああああああああああ!!」
「さとり! 落ち着きなさい! さとり! さとり!」
「っ!!??……」
 急に体が楽になった。一瞬、自分がどこに居るのか解らなかった。
 隣から流れてくる意識が霊夢のものであると、真っ白になった頭が理解するのには少し時間がかかった。ここは博麗神社で、霊夢がさとりの体を押さえつけるように抱いていた。
 ようやく意識がはっきりした。
 さとりが完全に眼を覚ましたと解ると霊夢は安堵の息を吐き、さとりは全身の力が抜けて、されるがまま霊夢にもたれかかった。まるで全力疾走した直後のように息が荒い。実際疲労感もある。固く強張った体に、小動物のように眼だけが震えていた。
(戻ってきた……?)
 よく解らないけれど、とりあえずは無事に帰ってこれたことを喜ぶべきだろう。
 と気を抜いた瞬間突然背中に激痛が走った。
「……っ!!」
 肩を抱きながら歯を食いしばって必死に耐えると、僅か数秒で痛みは嘘のように消えた。はっと息を吹き返す。硬直した体が解けると僅かに残っていた力も完全に失って、さとりは自身を支えることが出来なくなり霊夢の膝の上に落ちた。
 何だ今のは? 残っていた体力を全て持っていかれた感じだ。涙が出てきた。慌てて袖で拭う。
「何があったの?」
 霊夢が言った。
「何を見たの?」
「……大丈夫……大丈夫、ちゃんと、説明します……うまく言えるかどうか、解らないけど……でも、その前に、少し休ませて下さい……」
 乱れた息でそう返すと、さとりは霊夢の膝から転がって何とか体勢を立て直そうとしたが、力が入らず、結局畳の上に横になった。



  十五


 ようやく平素の調子を取り戻したさとりから聞かされた屋敷の様子は、霊夢の想像を絶するものであった。
 一通りの聞き取りを終え流石の霊夢も頭を抱える。糸を解こうとして余計に絡まった気分だ。
「意味解んない」
「私にもさっぱり……いいえ、ありません。心がこんなことになっている人なんて見るのも聞くのも初めてです」
「でしょうね。心の中が別世界ってどういうことよ?」
「……中、っていう感じでもないんですよ。あれは」
 湯飲を両手で包みながらさとりが言う。
「心の中というのはもっと雑然としたものなんです。無意識ならば尚更に。けれど、それにしては出来すぎてるというか、細部まで見事に作りこまれていて、夢と言ってしまうには、あまりにも独立していて」
「怨霊は?」
「間違いなく本物の怨霊でした。夢の中の登場人物っていうのなら、結局はその人の心の一部だし、ちゃんと判別出来ると思います」
「ああそう」
 霊夢は顔を顰める。つられてさとりも眉を寄せる。
「……確かに、心の中に入って、違うところに出るというのは私もおかしいと思います。でも、やっぱり私には、あれが彼女の心の中だったとは思えません」
「じゃあ何だったのかしら」
「……多分、罠みたいなものだと思うんです」
 怪訝な顔の霊夢に、さとりは言葉を選ぶように続ける。
「こう……何と言いますか、鼠捕りってありますよね? ……いえ、そっちじゃなくて、籠みたいな形の方です。餌に釣られて中へ入ると、入口が閉まって閉じ込められてしまう。それに似たような、ええと、あの子自身が餌で、迂闊に心に近づけば、その人を違う世界の中に閉じ込めてしまう。感覚としてはそんな感じでした」
「いや、わけ解らないわよ。何それ?」
「でもそう感じたんですよ」
 さとりが困ったように俯く。彼女自身まだ混乱している部分がある。もっとも混乱具合から言えば実際に屋敷を見ていない霊夢の方がずっと上だ。
「ねえ、それって雨音自身の心はどうなってるの?」
「それが、見当たりませんでした」
「なんで?」
「解りませんよ。私の見た範囲で共通点といったら雪くらいです。……魂飛んでって体すっからかん状態? そうですね。そう言ってもいいかもしれません。心と魂が同じものであるかは、ちょっと解りませんけれど」
「で、代わりにお化け屋敷が詰まってる訳ね。……どういうことよ?」
「……どういうことでしょうね?」
「ああもう。何で疑問が増えるのかしら」
「結局、過去も何も解りませんでしたから……。でも、逆に言うなら、普通じゃないということは解りました。きっと過去に、普通じゃない何かをされたんだと思います」
「何だと思う?」
「さあ……」
 それきり二人は沈黙してしまった。

 湯飲が空になったところで、さとりが席を立った。
「そろそろ帰ります」
「そう。悪いわね、呼んどいて。大丈夫? 一人で帰れる?」
「大丈夫です。大分休んだし……だから、大丈夫ですって。そんな子供じゃないんですから」
 どこか儚げな微笑みを残してさとりは去った。
 さとりを縁側で見送って、彼女の姿が完全に視界から消えてしまうと、普段通りの閑静な博麗神社が戻ってきた。誰かが帰った後の切り取られたような静寂は嫌いではない。しかし今感じている静けさの中にはどこか空虚なものが混じる。今の博麗神社には二人の人間がいる。けれど音は一人分しか聞こえない。それが空虚を生みだしている。
 霊夢は縁側から雨音の枕元に場所を移した。陶器のような彼女の額を慈しむようにゆっくりと撫でる。反応は無い。解っている。
「起きている時は普通だったじゃない」
 独り言のように呼びかけた。静寂は続く。解っている。
 霊夢はさとりから聞いた夢の中の館を思うがままに想像してみた。心の中に抱え込むものといったら、悩み事とか、隠し事とか、恋心とか、欲しかったのはそういうプライベートな情報だ。まさかお化け屋敷が出てくるなんて誰が予想出来るだろうか。
 一体この子の中では何が起こっているのだろう。心とお化け屋敷が入れ替わるという世にも不可思議な病気でもあるのだろうか。体がすっからかんになったからお化け屋敷が入ったのか、それともお化け屋敷が入ったから体がすっからかんになったのか。
 解らない。

 考えるのが面倒になって、雨音の体を動かした。自力で動けない彼女は、時々体勢を変えてやらないと血が滞ってしまう。ごろんと転がすようにして仰向けから右向きへと直す。続けて敷布の下に座布団を差し込んで、体が仰向けに戻らぬよう背の方に傾斜を作る。
 ふと雨音の首筋が青く染まっていることに気が付いた。
(あ、痣になっちゃったかしら)
 確認のため衣文を抜いてみると、首から肩にかけて広がるように青い。これは失敗した。ちゃんと消えるだろうか、あとで永琳に聞いてみよう。こんな鱗のような痣が残ったら可哀想だ。
 鱗?
 はっとして痣を食い入るように見つめた。これは模様だ。鱗のような痣は、まさしく鱗なのだ。一部しか見えないが、長い胴に鱗。
 蛇?
 そうだ。見れば見るほど蛇だ。肌に蛇の模様が浮き出ている?
 その後霊夢は神社の中に蛇が上がり込んでいないか一日かかって隅々まで探したが、無論蛇など一匹も出てこなかった。

 地霊殿にさとりが帰ってきた。
 丁度玄関近くにいたお燐は、くたびれた様子の主に気が付くと直ぐに駆け寄った。
「さとり様お帰りなさい。神社に行ってらしたんですって?」
「ええ……」
 さとりが力無く答える。
「お疲れですか?」
「そうね……少し疲れたわ……悪いけれど、私、今日はこのまま休むわね。ご飯もいらないから。……他の子たちにもそう伝えておいて」
「ああ、はい。解りました」
「……大丈夫よ。ありがとね」
 大きな音を立てたら掻き消えそうな笑顔を見せて、さとりはよろよろと地霊殿の奥へ姿を消した。
(本当に久し振りの地上だものね。お疲れになるのも当然か)
 お燐はそんなことを考えながら主の背中を見送っていた。

 一人廊下を進むさとりは、近くに誰もいないと解るとガクリと姿勢を崩して壁に手をついた。
 眠い。
 博麗神社を出る頃には全く感じなかったのに、地霊殿に近づくにつれ、待ち伏せしていたかのような強烈な眠気に襲われている。頭の中に濃密な霧がかかったようだ。両目は一向に焦点を結ばず、視界の全てが陽炎のように揺らいで、体も重くて仕方が無い。
 どうしてこんなに眠いのだろう? 気を抜いたら立ったままでも寝てしまいそうだ。それはいけないの一心で体を引きずるようにして歩き続ける。その動きは水飴のように鈍い。
 何とか自室まで辿り着く。倒れかかるように戸を開けると、部屋の中央にあるベッドが目に入る。さとりの足は無意識にベッドに向かい、到達と同時に膝から崩れる。ベッドに縋り付くようにして体半分まで乗り上げ、完全に体が横になる直前で、枕の上に両腕を杖のように突いてぐっと力を込め動きを止めた。
 眠い。眠くてたまらない。手足がたまらなく怠い。もう何も見えない。海の底の怠惰な魚のように呼吸が深く、既に体はすっかり眠る準備を整えている。このまま今すぐベッドの上に身を横たえたい。ふかふかのシーツに体を沈めたい。柔らかい枕に顔を埋めたい。簡単だ。体を支える腕の力を抜けばいい。
 でも、これは駄目だ。どう考えてもおかしいじゃないか。この異常な眠気に身を任せるのはよくない。このまま眠っては駄目だ。絶対に駄目だ。
 今にも折れそうな体を何とか持ち上げる。たったそれだけの作業なのに凄まじい倦怠感に襲われ、さとりは訳も解らないものに怯える動物のような呼吸をする。
 駄目だ。眠い。抵抗を続けていた最後の意識が途切れ始めた。眠い。眠い。でも駄目だ。寝たら駄目だ。駄目だ。駄目……。

 軽い音を立ててさとりは倒れた。その後一瞬もしないうちに、彼女は安らかな寝息を立てていた。




続く
くおんにねむる | 【2012-04-21(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
コメント

零はホラーゲームってことぐらいしか知らないけど面白いですね
今のところこれといった実害がないのが逆に怖い
2012-03-08 木 02:25:10 | URL | #- [ 編集]
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