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あめふら

Author:あめふら
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『OVERCOLL2』 とらのあな
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香霖堂奇譚 第一話  古井守(後編)
古井守(前編)の続きです。未読の方は先に前編をお読み下さい。


 慧音の後を、男が追う。二人は徐々に里から離れていった。
 たまきの影を追いかけながら、振り向かずに慧音が問う。
「なあ、イモリかどうかがそんなに重要なのか?」
「重要さ。僕はイモリという前提で考えを進めているんだ」
「じゃあ、イモリじゃなかったらどうなるんだ?」
「ただの無駄足」
「……そもそも、何でイモリなんだ?」
「イモリは井の守り。水界の精だからね」
「はい?」
 思わず立ち止まった。
 振り向くと、男は慧音を不思議な顔で眺めている。
「……まさかお前、たまきが居なくなったのは、そのイモリの所為だって言いたいのか?」
「だって、それ以外に考えられないだろう?」
 男はさらりと返した。
 一体、この男は、何を言っているのだ?
「井戸が涸れたのも?」
「ああ」
「まさかイモリが飲み干したとか言うんじゃないだろうな?」
「そんな訳は無い。水ごと移動したんだろう」
 慧音は意味も無く夜空を仰いだ。あーやっぱりまともじゃなかったんだ。
 男の綿密な暇潰しに付き合わされているような気がして、なんだかどっと疲れた。
 イモリが人を消す? 何をどうすればそんな結論に行き着くんだ?
「……疲れた」
「だろうね。日の落ちる前から歩き回っていたんだろう。目的地まではまだ遠そうかい?」
「……そういうことでなく」
 薄々後悔したところで、今更引き返す訳にもいかない。

 半刻程も歩いて、二人はようやく彼女がトカゲを拾ったその場所へ辿り着いた。大人の足でそうなのだから、たまきも随分遠くまで来たものである。
「ここか」
 男が言った。
「ああ」
「彼女は確か、草叢でトカゲを拾ったんだったよね?」
「ああ」
「池じゃないか」
「……なんで?」
 慧音は気の抜けた声を出した。二人の目の前には六十畳程の池が広がっていた。
「確認するけれど、ここで間違い無いんだね?」
「……ああ。五日前の歴史では、ここは草叢だったんだ」
「成る程」
「……どういうことだ?」
「簡単なことさ。井戸の水がこちらへ来たんだろう。とすると……」
 男は池の中央辺りを見つめ沈黙した。慧音もつられて目をやる。
 何も考えずに眺める分には、なかなか美しい池である。縁をぐるりと背の高い草に囲まれて、池だけがぽっかりと望月のように水を湛え、ただ水面が月光に揺らいでいる。ふと、我を忘れて見入ってしまう、そんな池だ。
「たまきって子はこの中だな」
「!!??」
 男の言葉で我を取り戻した慧音は、躊躇いもせずに池の中へ飛び込んだ。

「……分かってたなら止めてくれたっていいじゃないか」
「そんな暇無かった癖に何を言う」
 男はずぶ濡れの慧音に言った。心なしか顔が笑っているのが憎らしい。
「君は面白いな」
「うるさいっ」
「ああ、悪かったよ。彼女がこの中に居るっていうのは、この池に沈んでいるって意味じゃあないんだ」
「じゃあなんなんだ?」
「正確には水の中の世界だ」
「お前の言っていることが何一つ理解出来ない」
 慧音は口を尖らせた。
 髪からは際限なく水が滴り落ちる。水を吸った服が重い。スカートの裾を絞ると、塊になって落ちた水がぼたぼたと足元で跳ね返る。まったく、そろそろ夜も冷え込んでくる時期だというのに、なんで濡れ鼠なんかになっているのか。しかも原因が早とちりであることを思うと悲しくなってくる。
「水の中の世界って何だ?」
「浦島太郎の物語を知っているかい?」
「馬鹿にするな。知ってるよ」
「あれでいう竜宮城みたいなものさ。水を境界としたあちら側の世界。つまりは異界だね。古来より水中は人の認識の範囲外だ。そういう所に異界は出来る」
「なんだ? じゃあ、たまきは今、浦島太郎になっているとでも言うのか?」
「その通りだ。僕の推測が正しければ、彼女はこの池の水を境界とした異界の中に居る」
 と男は池の真中を指差した。
「ちょっと待った。たまきは井戸で消えたんだぞ? なんで池の中に移動しているんだ?」
「だから、井戸の水がこちらへ来たのさ」
「それが解らん」
「イモリが繋げたんだよ」
「もっと解らん」
「いいかい? イモリっていうのは水辺のトカゲだ。水が無いと生きていけない」
「まあ、だろうな」
「彼女の拾ったイモリって言うのは、元々この土地のイモリだったんだろう。それが何かの理由で水を失った。そこへ彼女が水を与えたんだ。それも最高の水をね」
「最高の水?」
「さっきも言ったけど、イモリは水界の精だ。同時に井戸の守りでもある。だからイモリにとって、井戸の中の水っていうのは文句無しに最高の水だ。彼女は百点満点の回答をしたのさ。それで力を取り戻したイモリが、水ごと元の土地に戻って来たんだろう」
「いや、だからそれがおかしいだろう。戻って来たって、あの井戸とこことは随分距離があるんだぞ」
「問題無い。距離は無視していい」
「何で?」
「井戸の中も異界だから」
「はあ!?」
「井戸の中って言うのはそれだけで隔絶された一つの世界を表すんだ」
「全然解らない……」
 慧音は頭を抱えた。
 一体なんなのだこの男は?
 辻褄しか合っていないじゃないか。というか幻想的過ぎる。普段どういう思考をしていれば、こんな結論をさらりと提示出来るのだろう。
「とりあえず、その子は生きていると思うよ」
「本当か!?」
「彼女は水が無くて弱っているイモリに、最高の水を、しかも惜しみなく大量に与えたんだ。君がイモリだったらどうする?」
 つまり喉が渇いて死にそうなところに、新鮮な水を山程与えられたらどうするか。
 慧音は想像する内に、何故か香霖堂で飲んだお茶を思い出した。
「……それは、当然礼をするだろうな」
「だろう? 命の恩人を邪険に扱ったりはしない。それで彼女は招かれたんだ。井戸越しに、歓待のためにね」
「はぁ」
 慧音は力無く返した。男はもう、説明すべきことは全てした、という顔をしている。
 彼は教師に向かないだろうな、と慧音は思った。生徒を置き去りにするのだから。
「……いや待て、答えになっていないぞ」
「何が?」
「何がって、たまきが池の中にいることの説明になっていないだろう? 彼女が消えたのは井戸が涸れた後だぞ? 水ごと移動するにしても、たまきは一度水の中に入らなきゃいけないんじゃないのか?」
「解らないかなぁ」
「うー」
「唸らないでくれ。要するにだ。この池の水は井戸の水で、つまりここは井戸の一部。井戸に落ちたんだから、井戸水の中に居るのは当たり前だろう?」
「そんな馬鹿な……」
「それに君が言ったんじゃないか」
「え?」
「『水に飛び込むみたいに消えた』んだろう?」
「あ」
「問題は、だ」
 男が言う。
「こちらから向こうに行く手段が無いことだ」

 ぽかんとした。
「……無いの?」
「無いんだ」
「駄目じゃないか! 今までの話は何だったんだ!」
 慧音が男に食って掛かる。
「仕方が無いだろう。普通行けない場所だから異界というんだ。そういう所へ行くには、大抵向こうからの導きが必要なんだ。でないと、さっきの君みたいになる。浦島太郎が亀無しで竜宮城に行けると思うかい?」
「……それは、思わないけれど」
「まあ、いる場所が解っただけでも良いじゃないか。別にこちらから迎えに行かなくても、放っておけばそのうち戻ってくると思うし」
「本当か?」
「浦島太郎だってちゃんと陸に戻ってきただろう。三百年かかったけれど」
「駄目だ駄目だ! 冗談じゃない! 三百年も逢えないなんて親からすれば死んだのと同じだ! なあ、何か方法は無いのか?」
「思いつかないなあ」
「思いついてくれよ! 頼む、ここまできたらお前が一縷の望みだ。お前のことを信じるから」
「ああ。今までは信じていなかったと」
「……今から信じるから」
「そうだなぁ」
 男はそう言うと、再び池を眺めて黙りこくった。慧音も男と同様にぼんやりと池を眺めた。
 相変わらず、ただ何も考えずに見る分には美しい池である。
 二人が黙ってしまうと、急にあたりの静けさが増したような気がした。
 その穴を埋めるように一筋の風が吹いた。草を揺らし、水面を揺らし、濡れた服に当たって体温を奪った。

 もちろん慧音はこの男を、何から何まで信用したのではない。
 歴史というのは、本来単純な「事実」の積み重ねだ。だからというわけではないが、慧音は確実なる現実に即して物事を考える癖があるし、人里で普通に暮らす分にはその方が都合がいい。
 しかしこの男、言っていることに根拠があるようにみえて全て仮説であるし、そこから導かれる結論は、まるで現実離れもいいところだ。今夜の捜索に子供一人の命が懸かっていることを、多分理解していない。
 けれど、慧音一人では、ここまで辿り着くことも無かった。今の所この一点だけは評価しても良い。
 この男は、自分とは間逆に近い思考をする。ひょっとすると、自分には見えなかったものが、この男には見えるかもしれない。そのくらいの期待はしても良い。

 数分経って、男がようやく口を開いた。
「これは賭けだが」
 その声に、慧音は若干の期待を籠めて男を見つめる。
「異界に行く方法がもう一つある」
「本当か?」
「ああ。自分を境界的な存在にすることだ」
「解りやすく言ってくれ」
「例えば夢があるだろう?」
「夢? って、寝てる時に見るあの夢か?」
「そう。その夢も異界の一つだ。夢っていうのは、覚醒と熟睡の間で見るだろう?」
「まあ、そうだな。それで?」
「つまりああいう、どっちつかずのあやふやな状態を人為的に作る。境界を跨いだ不安定な存在というのは、どの世界にも転びやすい。後は上手いこと目的の場所に転べるように確率を上げていけば……」
「結局は運ってことか?」
「そうだね。どうする? 乗る?」
 男が慧音を見る。
 これまた実感の無い話ではあるが、慧音の心は決まっている。まっすぐに男を見つめ返し、しっかりとした口調で言った。
「乗る」

「それじゃあ、まずは手を」
 男が右手を伸ばす。
 慧音は軽く頷いて、その手を取る。
 手を繋いだ二人はゆっくりと池の中へ入っていく。
 静かな水面に、二人の通った痕を残すように、ざわざわと小さな波が起こる。
「目を閉じて」
 慧音は言われた通り素直に目を閉じる。
 その間も足は止まらず、水が膝から腿へ、そして腰へと上がっていく。
 体が徐々に沈んでいく。
 横の男はどうなっているのだろう?
 目を閉じた慧音には解らない。ただ掌越しに彼の気配が伝わる。
 男は迷っていない。ならば私はそれに従おう。
 水位がどんどん上がる。
 ふと、気が付く。
 若い男女が、手を取り合って、水の中に身を沈める?

「ちょっと待てぇぇぇっ!!!!」
 慧音は手を振り解き、目を見開いて叫んだ。その顔に先程までの勇ましさは無い。
 水面はもう肩にまで達していた。隣で叫ばれた男は、鬱陶しそうに慧音を見た。
「何?」
「これ心中じゃないか!!」
「そうだよ」
「私は嫌だぞ!?」
「僕だって嫌だ」
 男はしれっと言う。
「だけど、今僕らの存在を不安定にするには、半死半生になるのが一番手っ取り早い」
「だからって何で!」
「心中というのは男女の恋における一つの最終形態だ。イモリは恋情の強い生き物だから、それに訴えかける。上手くいけば向こう側に行ける筈だ」
「上手くいかなかったら?」
「彼岸には行けるかも」
「な」
「だから賭けだと言ったんだ。どうする? やめようか?」
 男の声に揺らぎは無い。恐らく、賭けに相当の自信を持っているのだろう。
 しかし、慧音は考える。
 正体不明の男が唱える荒唐無稽非現実的幻想仮説に命まで懸けろというのか?
 慧音は男をキッと睨みつけた。
「失敗したら化けて出てやるからな! 毎晩毎晩お前の枕元に出てやるからな!」
「それはいい。怖いもの見たさで客が集まるかもしれない」
「お前は……」
 再び、男の手を取る。
「信じるからな」
 それを聞いて、男はどこか満足そうに頷いた。
 そうだ。世界は一様ではない。自分の知らないことも沢山あるのだ。私が正しくて彼が間違っているなんて確証は無いのだ。何より、たまきと、それを待つ親のことを考えれば、何もしないで済ますなんて出来ない。したくない。
 慧音は数回気持ちを落ち着けるように深呼吸して、目を固く閉じ、男と並んで池の中に消えた。
 人が沈んだばかりだというのに水面はやけに静かで、波紋が月光に閃いては、やがてそれも消えた。

 苦しい。
 当たり前だ。水の中なのだから。
 必死に止めていた息ががばがばと溢れ出る。
 入れ替わるようにして水が入ってくるが、体が欲しがるのは空気だから、反射的に拒絶して更に苦しくなる。
 苦しい。
 閉じた目の奥で何かがちかちかと光っているような気がする。
 頭の中に黒い靄が広がっていくような気がする。
 自然と、繋いだ手に力が籠もる。
 苦しい。何も考えられない。考えるどころじゃない。けれどここで考えることをやめたら、そのまま意識は黒い靄の中に沈んだまま、二度と浮上しないような気がして、必死に頭を働かせる。
 しかしその回転も目に見えて遅くなっていく。
 慧音は思う。命が終わる時というのは、大体このような感覚なのだろうか。

 不意に体が軽くなった。
「もういいよ。目を開けても大丈夫だ」
 男の声がする。一瞬それが何なのか解らなかった。遙か遠くから知らない言語で語りかけられているように感じた。
「聞こえてる?」
「え!? あ、ああ」
 ようやく知性が戻ってきた慧音が、調子外れな声を返した。
 うっすらと目を開ける。
 古い小さな門が見える。
 二人は黒い屋敷の前に立っていた。 
 驚いて辺りを見回すが、屋敷の他には小石や岩、それに纏わり付く水草のようなもの以外に何も無い。それらも、常に陽炎のように揺らいでいて、はっきりと判別が出来ない。
 ふと気が付いた。先程まで水を吸って体に纏わりついていた服が、何故か濡れていない。
「そろそろ放してくれないか? 痛い」
「え? あっ! すまん」
 慌てて繋いでいた手を解く。掌が真っ白になっている。随分力を入れていたようだ。
 動かした手の軌道に沿って空間が小さく揺らぐ。
「……なんだここは?」
 慧音は驚愕する。
 陸の上と同じように、体も自由に動かせる。呼吸も出来る。が、体を動かす度に空気が波打つ。吐いた息は泡になって昇っていく。
 まるで水の中じゃないか。
「彼岸じゃないよな?」
「ああ。多分」
「たぶん?」
 慧音とは対照的に、男は落ち着き払っている。
「行こう」
 男に引き摺られるように、二人は屋敷の中へ入っていった。

 妙な屋敷であった。広いのか狭いのかよく解らない。まるで夢の中を歩いているようだ。人の気配は無いのに、不思議と掃除は隅々まで行き届いている。今し方まで誰かが生活していて、二人の気配を察した瞬間に消滅してしまったかのようだ。
 慧音は一番近くにあった襖を開けて、中の部屋を覗いた。何の変哲も無い座敷だが、迂闊に入っても良いのだろうか。意見を聞こうかと振り返ると、男は無遠慮に箪笥や引き出しを漁っていた。
「……何してるんだ?」
「調べているんだよ」
「その中にたまきは居ないと思うぞ」
「居るかもしれないじゃないか」
「楽しそうだな、お前」
「まあ、こういう場所にはなかなか来られないからね。どんな面白い道具があるか」
 言いながら男は手に取った何やらよく解らないぐねぐねした物を見てにやけている。
「……泥棒」
「違う」
「でもそういう顔してた」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」
「ポケットの中身を全部出しなさい! 袖の中もだ!」
「それ酷くないか? 何も盗っちゃいないさ」
「信じられない」
「悲しいね。さっきは信じると言ってくれたのに」
「むー。あのな、たまきを探すのが目的なんだぞ。こんな所で時間を潰している場合じゃ無いだろう」
「そんなに焦らなくても大丈夫だ。きっと屋敷のどこかに居るから。何だったら君一人でも探しに行けば……」
「駄ー目ーだっ! 一緒に来い!」
「信用無いなあ。解ったよ」
 男はやれやれと大袈裟に手を広げてみせ、屋敷の奥へと歩いていった。
 それに付いて行きながら、慧音はこの男が下手な事をしないようにしっかり監視しておこうと心に決めた。

 男が奥の襖を開けると、広い座敷の真中にたまきが膳を挟んで、黒い狩衣を着た何者と向かい合って座っていた。
「あ、せんせい」
「たまき!」
 慧音はたまきに駆け寄り、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「よかった、無事で……」
 目にはうっすら涙が浮かんでいる。
 抱きしめられたたまきの方はいきなりの事にきょとんとしている。怪我は無く、消えた時と全く同じ服装であった。
「せんせい、どうしたの?」
「どうしたのって……ああ、いや、それそりもたまき、一体どうしてここに?」
「えーとね、おじいさんが」
 そう言ってたまきは目の前に座す人影へと顔を動かした。慧音もそれにつられて目を向ける。
 ぎょっとした。
 老人である。しかしその目はやけに大きく、顔の実に二割近くを占める。鼻と耳が欠け落ちたように無い。口も大きく裂けている。
 恐ろしい顔だ。慧音は生まれてこの方、このような顔を見たことが無い。
 どこか爬虫類のような印象を受ける。爬虫類が無理をして人間になろうとしているような顔だ。
「……おじいさん?」
「うん。おじいさんが、お水ありがとうって。見て! お菓子もらった!」
 たまきにはこれが普通の老人に見えているのだろうか。
 老人は丸いぎらぎらとした目で慧音を見るとも無しに見ている。睨まれている訳でもないのに、慧音はそれから目が離せない。
 こいつは一体何者だ?
 人でないのは確かだ。追及せんと口を開きかけた慧音を、つと男が遮った。
「この水辺の主様でいらっしゃいますね?」
「如何にも。古よりこの土地に住むあかはらである」
 老人はしわがれた声で答える。
 慧音は驚いて、両者の顔を交互に見た。男が続ける。
「突然の訪問をお許し下さい。私共はたまきの両親に依頼され、彼女を迎えに上がった者で御座います。なにせ外では既に三日が過ぎております故」
「おお、そうか。それは気が付かなかった」
 老人は三日月のように目を細めた。多分、笑っているのだと思う。
「三日が過ぎておったか。これは失礼した。人と話すのは久し振りでな。つい長居させてしまったようだ。先程の入水はお前達か」
「はい」
「成る程。終ぞ無い混ざり物同士の心中だから何かと思ったがそういうことか」
 と老人は楽しそうに笑う。男も笑った。たまきもつられて笑った。慧音だけが一人笑わない。
 なんで会話が成立しているんだ? 怪しい者どうし何か惹かれるものでもあるのだろうか。
「よろしければ、彼女をここへ招くに当たった経緯をお聞かせ願いますか?」
「いいだろう」
 男の問いに老人が答える。
「儂は大昔からここに住んでおるのだが、先日昼寝をしていたら寝すぎてしまっての。その間に水脈が移ったらしい。目が覚めたら水が干上がっておった。それで儂も土地を移ろうとしたのだが、永らく住んだこの土地に、つい愛着してしまっての。迂闊にも出発を遅らせた。そのうちに体が乾いてしまったのだ。儂ももう歳じゃ」
 一体何年眠っていればそんなことが起こるのだろう? 追求したい気持ちを慧音はぐっと堪えた。
「そこへ彼女が水を?」
 男が問う。
「然様。お蔭でこうして生き永らえた。いや、優しい子だ」
 と老人はたまきに微笑みかけ、たまきは照れたように笑った。
「そんな子を長らく引き止めておくのはいけないな。元々出立前に一言礼が言いたくて呼んだだけの事。たまき、こちらへ」
「はい」
 たまきは慧音の元を離れて、とたとたと老人の前へ進み出ると、ちょこんと座った。
 老人は何処から取り出したのか、鞠程の大きさの壷をたまきに手渡した。
 不意に男の目の色が変わった。
「これは『蠑螈の膏薬』と言ってな、これを付ければどんな傷でも忽ち治る。心の傷以外はな。これをお前にやろう」
「いいの?」
「勿論だとも」
「本当! どうもありがとう!」
 老人はたまきの頭を撫でてカッカと笑った。
 満面の笑みを浮かべるたまきにつられて慧音もくすりと笑う。いい子だな、と思う。
「何かの縁だ。お前達にも一つずつやろう」
 老人はいつの間にか、たまきの貰ったそれよりも一回り小さい、握り拳程の壷を二つ持っていた。
「え? いいえ、私は……」
「では僕が彼女の分も受け取ります」
「!?」
「そうか。ではお前に渡そう」
「ありがとうございます」
「……お前は」
 慧音の射抜くような視線を無視して、男はなんとも嬉しそうである。ちょっとつついたら高笑いしそうだ。
 老人は優しい目で三人を見渡した。
「さあ。お前達を陸へ帰してやろう。水の貯えも出来た。儂も直ぐにここを去ろう。たまきよ、どうもありがとう。達者でな」
「うん。おじいさんも元気でね!」
 老人がぱんっと手を叩くと、辺りは一瞬にして細かい泡に包まれたようになり、視界は白い闇に飲まれてしまった。

 慧音は気が付くと、池のあった草叢にずぶ濡れで立っていた。横には同じくずぶ濡れの男と、壷を抱えたたまきが並んでいる。
 辺りを見回すも、池は何処にも無く、まるで初めから存在しなかったかのように、ただ野の草が生い茂るばかりである。
 そして明るい。既に夜が明けて太陽が天高く昇っていた。
「……屋敷に居たのはせいぜい十分くらいだったと思うんだが」
「時間の流れが違うんだろう。よくあることだ」
「よくあってたまるか」
「ねえ、どうして先生たちはずぶぬれなの?」
「あれ? そういえば、何でたまきだけ濡れていないんだ?」
「招待客と飛び入りの違いさ」
「そういうものなのか?」
「そうさ」
「はあ」
 慧音はその場に座り込んだ。短時間で色々なことがあり過ぎた。
 男を見上げる。
 最初から最後まで得体の知れない男だった。
 しかし、なんだかんだで、たまきを捜し当てたのは彼である。彼が居なければ、たまきは三百年経っても帰って来なかったかもしれないのだ。
「結局、お前の言う通りだったな。ありがとう。礼を言うよ」
「別にいいさ。運が良かっただけだし、君が居たから向こうにまで行けたんだ。収穫もあったしね」
「そうだお前、あの壷……いや、もういい……」
 きっと、この男には何を言っても無駄だろう。
「そういえば、お前は最初からたまきの拾ったトカゲをイモリと言っていたな。何でだ?」
「ああ、井戸とトカゲからの連想」
「……それだけ?」
「それだけ」
「嘘だろ……」
 慧音の全身から力が抜けた。
 謙遜無しに本当に運が良かっただけじゃないか。よくもまあそんな根拠で行動していたものだ。普段からそうなのだろうか。それでよく今日まで命が持ったものだ。
「せんせい、だいじょうぶ?」
 たまきが心配そうに覗き込んでくる。
 座っている場合じゃないか。とりあえず、彼女を家まで送り届けねばなるまい。
「ああ。大丈夫だ」
 慧音は立ち上がった。
「さあ、お父さんとお母さんの所に帰ろう。みんな心配しているぞ? なんせ二日、ああ、日が変わっちゃったから三日か。兎に角、たまきはずっと留守にしていたんだから」
「わたし、そんなに長くおやしきにいなかったよ?」
「まあ、そうなんだけれどね。でも信じられないけれど本当だ」
「本当に三日?」
「ああ、本当に」
「……おこられないかなあ?」
「大丈夫。先生がちゃんと訳をお話してあげるから」
 そうは言ったが、どう説明したものか。説明も何もあったものじゃない。いっその事、この男に説明させてみようか?
 いや駄目だ。話が十重二十重に拗れそうだ。
「お前はどうするんだ?」
 慧音が男に問いかける。
「帰る」
 男は端的に答えた。
「何時までもずぶ濡れのままではいたくないからね。君も彼女の家に行く前に服を着替えた方がいい」
「あ、ああ。そうだな、そうするよ。……ええと、それじゃあ、気をつけて」
「ああ。それじゃあ」
 そう言い残して、男は里とは逆の方向に姿を消した。

「ねえ、せんせい」
 男の姿が完全に見えなくなった後、たまきが慧音に訊いた。
「あの人だれ?」
「ああ、あいつは……」
 そこまで言って、慧音は初めて気がついた。
 そうだ。名前を聞いていなかった。

 たまきを連れ帰ると、たまきの両親は泣いて我が子を抱きしめた。
 慧音はひとしきり説明をした後、結局自分にもよく解らなかったし、あまり役に立つようなことも出来なかったと付け加えた。謙遜ではなく素直な気持ちである。
 何はともあれ、たまきの両親は我が子が無事に帰ってきた事に深く感謝し、慧音は里での評判をまた一つ上げることとなった。
 翌日、涸れていた井戸が再び水を張り始めた。しかし以前程の水量は無く、里人はやはり水脈がずれたのだろうと結論付けた。
 池のあった草叢は、後に慧音が調べたところによると、八十年程前、確かにあの場所に水辺があったことを確認出来た。
 たまきが老人から貰った薬は、生傷はもとより、火傷や肩こり、骨のヒビから古傷まで治すとあって、里で静かな評判を呼んだ。不思議なことに、薬はたまきが使う分には全く減らなかったが、彼女は薬を求め来る者全てにそれを分け与えたため、壷はあっというまに空になってしまった。

 男が持ち去った方の薬は、その後どうなったか知れない。




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                               終   20091121
                             (20101022 加筆修正)
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香霖堂奇譚 | 【2010-10-30(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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