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あめふら

Author:あめふら
二次創作のお話を書いたり、書かなかったり。
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pixivで描いた漫画をまとめました。


『OVERCOLL2』 とらのあな
booth
制作
作ったものを売っています。


『レジンフィギュア・物部ハト』 とらのあな

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香霖堂奇譚 第六話  紫煙羅(前編)



 ちらちらと雪が舞っている。山や木々を彩っていた紅葉は、今や一面の銀白の下で眠りに就いている。裸となった枝には葉に代わり雪と氷柱が咲いている。
 幻想郷に冬が訪れていた。
 冴え渡る空は雲一つ見えない。とすると、この雪はどこか遠くから風に乗って運ばれて来たものなのだろう。その一片が、道行く銀色の髪にふわりと乗って、ゆっくりと、滑らかに融けていく。
 いつも不思議に思うのだ。自然が作り上げたこの六角の芸術品は、なぜこうも完成された形をしているのだろう。きっと結晶を形作る天の秩序が、完成されたものであるからなのだろう。しかし一つとして同じ形のものは無い。幼い頃は空の上に、雪を専門に作る熟練の技工士が何人もいるものだと信じていた。
 慧音はマフラーを持ち上げ、口元を覆った。冷たい空気に当てられて、耳や頬が林檎のように赤い。吐く息が白煙のようにたなびく。今朝の冷え込みの為に、半分凍った硬い雪の上をざくざくざくと砕くように歩いていく。それ以外に音は無い。
 冬は静かな季節だ。雪が音を吸い取ってしまう。音だけでない。ありとあらゆる色彩も、人の動きも、みな雪に薄く覆われて、どこか柔らかなものに変わる。ただ大気だけが鋭く冷たい。

 目的の建物が見えて、慧音はふうと息を吐いた。心のどこかで建物が残っていたことを安堵している。「香霖堂」というこの建物には、少し目を離した隙に幻の如く消えてしまっているような、そんな雰囲気が少なからずある。恐らくはこの廃墟めいた外観と、そこに住まう男の所為だろう。
 相変わらず人気の無い建物である。全てを柔らかく演出する雪も、ここでは怪しさを強調する装置にしか見えない。
 建物の周りに雪かきがされた形跡は無い。軒に下がった氷柱の群れが、獣の牙のように近づく者を威嚇している。迂闊にその下を歩こうものなら、いつ噛まれるか判ったものでは無い。
 これで店だというのだから可笑しな物である。一体私の他に、ここに古道具屋があることを知っている人が何人いるだろうか。いや、そもそも、ここに人が住んでいることを知っているだろうか。
 慧音は頭や肩に付いた雪を払って、香霖堂の扉を開いた。
「ごめん下さい」
 店内はいつも通りに薄暗い。雪明りも店の中までは照らしてくれないらしい。外にも増して静かだ。
「ああ、入る前に外で体の雪を払ってくれ」
 カウンターの向こうから声が聞こえる。もっとも声の主は、山のように積まれた本の陰になって少しも見えない。
 そういえば、返事をしてくれるようになったなと思う。最初の頃は酷かった。訪れる度に居留守を使われ、嫌われているのかと悩む程にぞんざいな応対をされていた。それが何時頃から変わり始めたのか、てんで記憶に無い。気が付いたらそうなっていて、慧音もそれを当たり前に受け入れていた。
「もう払ったよ。それに今日のは積もるような雪じゃないから」
 マフラーを外しながら言う。
 店の中は暖炉でもあるのかと思うくらいに暖かい。見たところ暖房設備は無いのに、それが不思議で慧音は辺りを見回す。思えば夏は暑かったのだから、単に気密性が高いのかもしれない。暖かい空気に混じって、どこか甘い香りが漂っている。香でも焚いているのだろうか。
「そうなのかい?」
 霖之助が本の山から顔を覗かせる。
「そうなのかいって、外出してないのか?」
「外は寒いからね。そんな日は家で読書でもするに限る」
「それじゃあ冬の間は外に出られないじゃないか」
「冬は万物が眠る季節。人だって然りだ」
「人は冬眠しないぞ」
「そうかな。夜が長い分、夏に比べて睡眠時間は増えていると思うんだが、君は違うか?」
「ん、そう言われると、そうだな。夏よりは遅く起きるし」
「その延長さ。自然の延長。人と自然を切り離して考えちゃいけない」
 霖之助は読んでいた本に栞を挟むと、本の山の上に積み上げた。
 ああ、こうやって物を適当な場所に置いて片付けないから、こういう無秩序な空間が出来るのだろうなと慧音は思った。
 一体何年放っておけば、こういう状態になるのだろうか。もっとも霖之助に言わせれば霖之助なりの秩序はあるそうなのだが、慧音にはそれが理解出来ない。理解する必要も無いので、本を適当に除けてスペースを作る。
 切り立った本の崖に挟まれて二人は顔を突き合わせた。落ち着かない。今にも崖崩れを起こしそうだ。
 霖之助が面白そうに言った。
「モーゼに先導されて紅海を渡ったイスラエル人は、きっと君みたいな顔をしていたんだろうな」
「何の話?」
 霖之助はそれに答えず、慧音を置いて店の奥に消えた。その隙に慧音は本を全て脇に片付けた。
 と、カウンターの中に硝子で出来た細長い壷のようなものが置いてあるのに気付く。二つの長い瓶の口同士を繋げたような形で、中程から一本の管が伸びている。顔を近づけてみると気分が悪くなるような甘たるい香りがする。どうやら店内に充満している甘い香りは、この瓶から出ているらしい。香炉のような物だろうか? 眺めていると、霖之助が焙じ茶を淹れて戻って来た。綺麗さっぱり片付いたカウンターを見て一瞬動きを止め、眉をしかめる。慧音はちょっと勝ったような気分になって思わず笑った。
「あげないぞ」
「ごめんごめん」
 慧音は湯飲みを包み込むように受け取り、冷えた指先をじんわり暖める。
 焙じ茶の香ばしい香りがする。鼻腔の奥に残っていた甘たるさが洗われるようだ。
「それ何だ?」
 と、霖之助の横の奇妙な瓶を指す。霖之助は顔だけそちらに向けると、
「名称『水煙草』。用途は喫煙」
「たばこ? それが?」
 自分の知る煙草とは随分違う。
「どうやって吸うんだ?」
「吸ってみたい?」
「いや、煙草は吸わない」
「そうか」
 霖之助は身を屈めて、瓶から伸びた管を指に絡ませて引き上げる。
「多分、これが吸い口だ」
「多分?」
「いや、手に入れたはいいんだが、使い方が解らないんだよ」
「えっ」
 思わず顔を上げる。霖之助は気にせず、瓶を持ち上げながら説明を続ける。
「煙草と言うからには当然火をつけて煙を吸うんだろう。けれどこれは水煙草だ。どうすれば水から煙を創り出せるのか。とりあえず試みに付属の草を焼いてみてはいるが」
「ええと、ちょっと待ってくれ」
 慧音が口を挟む。
「ここは一応、古道具屋なんだよな?」
「ああ」
「なのに、店員が商品を把握していないのか?」
「問題あるかい?」
「あるだろ!」
 霖之助はきょとんとして、かえって慧音を諭すように話した。まるで間違えているのは君だと言わんばかりに。
「道具屋というのは結局のところ、道具と、新しく持ち主となる人との仲介だ。道具にとっては香霖堂も中継地点にすぎないのさ。もちろん僕の手元にある内は大切にするが、それは道具のあるべき姿じゃない。きちんと道具を理解し、正しく使い方を心得ている人の下へ、最終的に辿り着ければいいんだ」
 いいわけっぽいなあ、と不審な目で睨む。
「けれど、例え商品に興味を持ってもな、これは何ですかと店員に聞いて、解りませんなんて言われたら購買意欲は湧かないぞ」
「あのね」
 と霖之助が湯飲みを置く。
「購買意欲って何だ? 売る側が使う、買わせる為の技術のことだろう? そういうのは真実の意味で買い物とは言わない。欲しくも無い物を欲しいと錯覚させて買わせるのだから、悪く言えば詐欺の一種だ。本当に欲しいものがあったら、客は店側が何も言わなくとも商品を買っていく。適切な時期に、適切な値段で。それは彼らが道具を理解しているからだ。そういう人が現れるのを、道具は待っているのさ。だから必要以上の接客はしない。もちろん訊かれれば答えるし、頼まれれば見繕う。でもそれだけだ。いわば香霖堂は待合所なんだ。色々なものがここを訪れる。誰かと出会って、通り過ぎて消えていく。留まらないのさ」
 慧音は少し考えてみたが、彼が何を言わんとするのかよく解らなかった。自分の接客態度の悪さの、単なる正当化のようにも聞こえたし、片一方では真実を鋭く説かれたような気もした。
 もやもやとした後味の悪いものが胸の奥に残った。何故だろう?
「……なんか、釈然としない」
 諦めたように焙じ茶を啜る。
「つまり君は、この水煙草を所持するべき人ではないということだ」
「まあ、別に欲しいとも思わないけれどさ」
 一息吐いて、店内を見渡す。例えばこの古びた皿も、いつ現れるともしれない理想の主を待ち続けているのだろうか。随分とロマンティックだ。けれど、出来ることならば自分を理解してくれる人の下へ身を寄せたいと願うのは、当たり前のことだし、解る。
 と、皿に感情移入していた自分に気付いて、頭を振って思考を追い払う。霖之助がにやにやと見ていた。少し恥ずかしくなった。
「客が来ない理由が解ったな。いや、解ったというか、また一つ明らかになった」
「おいおい」
 霖之助が呆れたように笑う。慧音もつられて笑う。静かな店内に二人の笑い声だけが小さく響く。
「でも、何で仕入れた時に使い方を確認しなかったんだ?」
「それが出来たらしているよ」
 ああ、流石に無秩序に買い漁っているわけじゃないのか、と言いかけて、店の有様を見て止めた。
「一体どういう仕入れをしているんだ? たまに里で古市なんかやるけれど、そういう時?」
「それは言えない」
 言えないって何だ。
 慧音は腕を組み、目一杯想像を膨らませてみたが、どう考えても明るい取引をしているようには思えなかった。
 闇取引?
 していないとも言い切れないのがこの男のやっかいなところだ。仮に鬼や天狗を相手取っているといわれても、ひょっとするとそうかもしれないと思えてしまう怪しさがある。少なくとも、彼が人当たりよく朗らかに交渉している姿を見るよりは、ずっとあり得そうなことだと思う。
「どうして使えないのに仕入れたんだよ」
「形が面白かったからな」
「そんな理由?」
「面白いだろう? 煙草と言われなければとても煙草には見えない。花瓶かランプか燈台か、それとも蒸留装置か。けれど煙草と言われれば煙草にも見えてくる」
「いや、見えない」
「見えない?」
「うん。見えない」
「僕にも見えない。けれどこれは煙草なんだ。煙草と名付けられ、喫煙という用途を与えられた。どうしようもなく煙草だ」
「なんでそう言い切れるんだ? 実は全然違う物かもしれないじゃないか」
「解るんだよ」
「はあ」
 慧音は思考を打ち切った。きっと反論するだけ時間の無駄だ。彼の中ではこの妙な硝子の造形物は煙草として完結してしまっているのだ。根拠も怪しいのに。そもそも根拠があるのかすら怪しいのに。

「ところで」
 と、姿勢を正して話題を変える。真剣な口振りだったので、霖之助は茶請けの金平糖を抓む手を止めた。
「前に迷子を捜して水の中に入ったことがあっただろう? その時に貰った薬はまだ残っているか? もしあったら分けて欲しいんだ」
 薬というのは、以前慧音が霖之助と共に、迷子になった少女を追って水の中に建つ奇妙な屋敷へ赴き、そこの主である赤腹井守から土産にと渡された膏薬のことである。心傷以外は何でも治すという妙薬で、里に一つ、香霖堂に二つあったのだが、里のものは既に空になっている。思えば彼との付き合いはそれから始まったのだ。霖之助も少し懐かしむような顔をして、
「ああ、あれか。非売品だよ」
 さらりと言い放った。
「そこを何とか貰えないか? 対価も払うし。ああ、でも今持ち合わせが少ないから、あまり大きな金額だと」
「いや、金銭の問題じゃなくてさ。あれ便利なんだよ。人にあげるのが勿体無い」
「あのなあ、お前……」
 慧音は頭を抱える。普通、そうした便利なものこそ売るべきだろうが。抱え込んでどうする。なるほど客が来ない筈だ。来る筈がない。来てたまるか。私が客ならこんな店認めない。商品を私物化するなんて、さっきと言っていることが違くないか。狭量だ。お前こそ詐欺師じゃないのか。ああもう。
「で、どうして薬が必要になったんだい?」
 一転、霖之助が真摯な声で訊ねる。その声に慧音は落ち着きを取り戻した。
 からかわれたのかもしれない。
 こほん、と咳払いをして、居住まいを正す。
「里で火事が出たんだ」
 少しだけ霖之助の顔色が変わる。
「へえ。いつ?」
「おととい」
「火元は?」
「助六さんっていうお爺さんの家で……」
羅宇助ラオスケさんか?」
 霖之助が驚いて言う。
「知ってたのか?」
 慧音がそれ以上に驚く。
「ああ。刻みを買いに行ったことがある」
「へえ」
 口をぽかんと開けて、失礼なくらい感心してしまった。
 心底意外である。
 何となく森近霖之助という人物は、厭世的で隠者のような生活を好み、他者との交流は可能な限り絶ち、何が起ころうとこの香霖堂から動かない、そんな印象を人に抱かせ、実際慧音もそのように思っていたのだが、なんだ、きちんと人里にも訪れるんじゃないか。
 考えてみれば、いくら何でも魔法の森の周辺のみで身の回りの全てを賄える訳ではないのだし、時折里に下りるのは当然だ。けれど彼が里に現れるという現象自体が酷く場違いな出来事のような気がして、それが必要以上に慧音の感心を煽った。例えるなら、真冬に紫陽花を見たような。
 彼も人と同じように、買い物とかするのか。一体どういう買い物をするのだろう。例えば林檎一つ買うにしても、あれこれ理屈を付けて買いそうだ。青果店の店先で目を鋭くして林檎を選ぶ霖之助を想像すると、途端に彼が人間臭く思えてきた。ただの買い物なのに。
「でも、里でお前を見かけたことが無いな」
「行動範囲が違うんだろう」
「ああ、きっとそうなんだろうな」
 霖之助なりに、私の知らないところでコミュニティを築いているのかもしれない。私の知らない。まあ今だって彼のことを知っているわけでは無いが。
「しかし驚いたな。羅宇助さんが火事とは」
 霖之助が噛み締めるように言う。信じ切れないといった様子だ。慧音もそれに合わせて、
「私も聞いた時は驚いたよ。人一倍火の用心をする人だったから」
「原因はやっぱり煙草か?」
「ああ。歴史を読んで確認済みだ」
 と、少し目を逸らし、呟くように続ける。
「煙草屋が煙草で火事なんてな。何というか、皮肉というか」
「けれど、あの人が火を出すとすれば煙草以外には無いからな」
「そうだな。助六さんも、もう歳ということなのかな」
 そこで会話が途切れた。二人とも、羅宇助のことを考えていた。

 助六は里で煙草屋を開いている老人である。
 歳は還暦を過ぎているが、頭の回転は速く、人情的で茶目っ気のある好々爺で、里でも広く名を知られていた。
 羅宇助というのは彼のあだ名で、羅宇とは煙管の吸い口と雁首を繋ぐ管のことをいう。煙管は使用するうちに羅宇の中に汚れが溜まってしまう。その羅宇の清掃や修繕を専門とする「羅宇屋」という商売が昔あった。助六は煙草屋の傍らこの羅宇屋も兼ねており、その手際の巧みさから、羅宇といえば助六、転じて羅宇助と呼ばれるようになった。
 彼の調合する刻み煙草は少々割高だが、味が良く、また質も良いため、里では常に一定の需要があった。また彼の人柄もあって、彼の店には煙草を買いに行くというよりか、彼と談笑するために行く者の方が多かった。助六もそういう雰囲気を好いていて、店内では常連客と煙管を交えて、お互い煙を吐きながら談笑している姿が日常であった。
 子供はおらず、妻も既に先立っている。
 妻無き後、一度は店を畳もうとしたのが、客からの要望もあって、店の規模を縮小し、以後一人で切り盛りしていた。

 助六は煙草を愛していた。
 煙草屋を開いたのも、ただひたすらに美味い煙草を追い求め、そのうちに自分で作るようになり、気が付いたらそれが商品として十分な水準に達していたからだ。そういった意味では、彼も商売人ではなく趣味人である。
 また愛するが故に反面、その恐ろしさもよく知っていた。だから彼の家から出火した時、誰もがまさかと思った。しかし彼の家から火が出るとなると、それは煙草以外に考えらない。実際、慧音が現場検証に呼ばれ、歴史を読んでその原因を煙草と断定すると、皆どこか納得したような心持になった。そして、羅宇助でも火事を起こしてしまうのかと、各自より一層火の用心を強めるのだった。

 慧音は煙草を吸わないから、羅宇助の店に行ったことは無い。往来で顔を合わせれば軽く挨拶する程度の関係である。こちらが頭を下げると、羅宇助は黒く染まった歯を見せて、にっと笑う。その笑いがいやらしくなく、なんとも愛嬌があるのだった。

「羅宇助さんは無事なのか?」
 霖之助が訊ねた。
「幸い命は助かった。でも煙を随分吸ったらしくて、ずっと意識が無い。火傷も酷い」
「そうか。店はどうなるんだろうな」
「どうだろうな。建物がすっかり焼けてしまっているし、本人があの状態だし。回復しても、店を続けるのは難しいんじゃないかな」
「そうか。残念だ」
 霖之助がしみじみと言った。そして水煙草の上で炙られている煙草の葉を灰皿に捨てる。薄い絹のような細い煙が、甘い香りを残して宙に消えていく。慧音は何となくその煙を見ていた。頬杖を突き、霖之助の挙動を見守る。
「煙草か」
 呟くように言った。
「お前も火の始末には注意してくれよ」
「してるさ」
「ならいいけれど、本当に気を付けてくれよ。ただでさえこの時期は火が回り易いんだから。ここはごちゃごちゃしているし、埃っぽいし、火種で出来ているみたいなものだ。火が点いたら終わりだぞ?」
「かもね」
「おまけに里から離れてる」
「近所に燃え広がる心配は無いな」
「そうじゃなくて、助けが来ないってことなんだぞ?」
「その時はその時だ」
 慧音は溜息をついた。霖之助は本当に何でも無さそうに言う。余裕すら感じさせる。どこまでが真意かは解らない。潔いのか、諦観なのか、ただ何も考えていないだけか。多分、彼は本当にその時にならないと行動しないのだろうな、と慧音は思った。そしてそのまま逃げ遅れるような気がする。なにせこの店内だ。緊急時の出口確保なんて出来そうにない。それに彼が土壇場でここぞとばかり俊敏に動く様が想像出来ない。心配だ。しかしこんな場所を住処にしているのだから、意外と咄嗟の対応は速いのかもしれない。
 本当に、何故わざわざこんな不便な場所に住んでいるのか疑問である。普通の人間はこんな所で生活したりしない。だが、果たして彼は普通の人間かと問われると返答に困る。案外こことは別に、もっとちゃんとした家がどこかにあって、そこから通っているのかもしれない。いや、外に私以外の足跡は無かったじゃないか。そういえば店の奥には居住スペースがあった。やはりここに住んでいるのだろう。とすると、この場所に特別な意味でもあるのだろうか。解らない。
 ふと、歴史を読んでみようかな、と思った。だが即座に頭の中から消した。もし何らかの理由があったとして、それはきっと彼にしか解らないような理由だろう。水煙草を選んだみたいに、意外と適当な理由なのかもしれないけれど、それでも妄りに人の過去を探るのは良くない。

 不意に霖之助が店の奥へと姿を消し、握り拳程の壷を持って帰ってきた。ことりと慧音の前に置かれる。きょとんとする。
「これは?」
「名称『蠑螈えいげんの膏薬』。用途は傷を癒すこと。持っていくといい」
「え?」
 驚いて霖之助を見る。
「いや、さっき非売品だって……」
「売るつもりは無いと言っただけだ。使わせないとは言っていない。事情があるなら猶更だ。羅宇助さんの火傷を治してやるんだろう?」
「ああ、そのつもりだが」
「道具はそれを求める者に使われてこそ本望。お代もいらない。早く行ってあげるといい」
「ええーっ!!」
 店内に慧音の絶叫が谺する。確かにこれが目的で来たのだが、まさかこんな簡単に貰えるとは思っていなかった。
「何をそんなに驚く?」
「いや、だって……いいの?」
「ああ」
「本当に?」
「そう言っているじゃないか。元々半分は君のものだ」
「後からとんでもない額の使用料を請求したりしない?」
「君が僕のことをどう思っているかよく解った」
 霖之助が冷ややかに言った。慌てて慧音が返す。
「あ、いや、そんなつもりじゃなくて……ええと、本当にいいのか?」
「くどい」
「そうか……。ありがとう」
 素直に頭を下げる。
「まあ、どうしても対価を払いたいというのであれば、今度来る時に酒でも持ってきてくれると嬉しいね」
「酒かあ。あまり詳しく無いんだが」
「とりあえず酒であればいいよ。……何だその顔?」
「……なんか、凄く駄目な人の台詞だ。一応聞くけど、ちゃんと食べてる?」
「別に摂らなくてもいいんだよ。なに、酒があれば生きていける」
 慧音は思わず頭を押さえた。薄々予想していたが、これは酷い。いつか栄養不足で倒れるぞ。そんな食生活でよく今まで生きてこれたものだ。
「食べ物を持ってきます」
 一語一語強調して突きつけるように言ったら、霖之助は不機嫌に眉を曲げた。嫌いな野菜を食べさせられる子供か、お前は。

 薬を受け取って香霖堂を出ると、雪はすっかり止んでいた。外は寒い。やはり店内は暖かかったのだなと噛み締める。
 慧音は来た時の自分の足跡を辿り、まっすぐに人里へ帰った。知らぬ間に服に染み付いていた甘い香りも、歩くうちにすっかり抜けた。
 里に着くと、そのまま羅宇助の元へ向かう。家族のいない羅宇助は、煙草屋の常連たちに交代で看病されている。その微に入り細を穿つこと、流石羅宇助の人徳というか、喫煙者の絆の強さに驚かされる。
 件の膏薬の良く効くことは既に周知であったため、慧音が当番の男に薬を手渡すと大層喜ばれた。
 視界に横たわる羅宇助の姿が入る。死んだように眠っている。救出された当初は咳き込んだりして大変だったものだが、今日は安定しているようだ。もう数日もすれば眼を醒ますかもしれない。慧音も、人々もそう思った。

 しかし、羅宇助は目覚めなかった。
 膏薬は抜群に効き、体の三割近くにまで広がっていた火傷は完全に治った。だが、この薬は外傷にしか効き目が無い。火傷が治ったからといって、羅宇助の意識が戻ってくる訳ではない。
 それは予想されたことであり、そしてその通り、羅宇助は昏々と眠り続け、体も徐々に痩せ衰えていった。

  ◇

 幽霊話が持ち上がったのは、それと時を同じくしてのことである。

 最初に幽霊を見たというのは、やはり煙草屋の常連の男だった。
 夜中、彼は自宅で一人煙管をふかしていた。もちろん羅宇助の店で買った煙草である。何を見るともなく、ただ煙草を吸うために吸い、味わうにつれて、どうしても思考は羅宇助の下に流れ着く。
 一命は取り留めたが、彼はこの後どうなるのだろう。未だ目覚めないと聞く。ひょっとすると、このまま眠り死んでしまうのかもしれない。年を考えればおかしくは無い。むしろ長生きした方だ。しかし、彼がいなくなると、この美味い煙草はもう味わえなくなるのか。店はどうなるのだろう。もうほとんどが焼けて、既に無いようなものだ。そのうち本格的に取り壊されるのだろう。
 男にはそれが堪らなく寂しかった。だからといってどうにか出来るわけでも、どうにかしようと考えているわけでもない。どうにもならない。無くなるものは無くなる。生きていれば、そういうこともある。
 手元にある羅宇助の手から直接買った残り少ない煙草が、我が子のように愛おしく思えた。
 羅宇助と、彼目当てで来た他の客と、下らない話に華を咲かすことの出来た、あの空間が愛おしい。
 男は居ても立ってもいられなくなり、冬の夜の人里を冷え込みも雪も気にせず、ただ煙草だけを持って羅宇助の居ない店へと歩き出した。本当に無くなってしまう前に、取り壊されてしまう前に、もう一度あの場所で煙草を吸いたい。

 羅宇助の煙草屋は小さく、あまり目立つような外観ではない。そうと知らなければ、ここが煙草屋と気付く人も少ないだろう。それは「煙草屋は地味でなくちゃいけない」という羅宇助の哲学を存分に表していた。
 しかし今は黒く煤けていて、白い雪の中に嫌でも映える。壁も扉も無い。屋根もほとんど崩れ落ち、風も雪も自由に吹き込んでくる。これでは外とあまり変わらない。当然である。外と内とを区切る境界は既に無い。
 男は比較的焼けていない畳の上に腰を下ろした。焦げ臭さに混じって、煙草の香りが幽かにする。
 店内は暗い。屋根が無いのだから、それは夜の暗さがそのまま落ちてきているに過ぎない。雪明りに照らされて、ぼんやりと物の輪郭が見えるだけである。男は転がっていた灰皿を傍に寄せて、普段羅宇助が脇息代わりにしていた小さな箪笥からマッチを取り出した。暗くとも、何がどこにあるかすぐ解る。店の何処に何があるか、通ううちにすっかり覚えてしまった。恐らく常連客全員がそうであろう。
 マッチを擦ると、赤い光が青く暗い店内を一瞬明るく照らす。そのまま煙草に火を点けた。このマッチの火も、店を焼いた火も、同じ火なんだよなと思いながら、マッチを雪に突っ込んで消火する。
 煙管を銜え、ゆっくりと吸う。
 煙と雪が空中で交差する様をぼんやりと眺める。
 この煙草盆は羅宇助が日頃使っていたものだ。それだけでない。マッチも刻包丁も、この店のありとあらゆる道具は、彼の物だ。もし羅宇助が戻ってこなかったら、もうこの道具達は使われなくなるのか。なんと寂しいことだろうか。貰い手がいないのであれば、自分が代わりに使ってやりたいものだ。しかし自分がこれらの道具を使っている映像が、どうしても想像出来なかった。
 男は煙を吐いた。
 青く白く立ち昇り、焦げた室内に満ちていく。灯の無い為か、煙はやけに白く浮かび上がって見える。目を閉じれば、直ぐそこで羅宇助が、いつものように黒い歯を見せて笑っている気がする。しかし目を開けると、焼け跡と煙が見えるだけだ。
 これ程に、この店を広く感じたことは無い。やはりここは羅宇助がいてこその場所だ。男は煙管の灰を落とすと、また新しく刻み葉を詰め直した。

 そこで明らかに煙の量が多いことに気付いたのである。
 見回すと既に店中に白煙が漂っている。まさか、まだどこかで火が燻っているのか?
 その間にもどんどん煙は濃くなる。雲の中に居るかのようだ。目に沁みる。お蔭で目がまともに利かない。兎に角ここを離れようと立ち上がった瞬間、男は自分の目の前に立ちすくむ影を見た。
 何だと思った瞬間、影の足元から突然火の手が上がった。灯明のような細い火であったが、男を驚かせるには十分である。慌てて叩き、雪を被せて鎮火する。
 火が完全に消えたのを確信し、一息ついて汗を拭うと、いつの間にか視界が晴れていた。影も見えなくなっていた。
 男はしばらく奇妙な心持で火元を眺めていたが、やがて体が冷えてきたので家へ帰った。

 翌日、男がそれを他人に話すと、噂は瞬く間に里中へ広まった。どうも、最近怪しげな影を見たという人が、自分一人では無いらしいのだ。
 ある夫人は買い物中、往来でそれを見たと言い、ある少年は辻に立つ雪煙の中にそれを見たという。男のように焼け落ちた煙草屋の中にそれを見たという者もあれば、八百屋の前でぼんやり立ち竦んでいるのを見たという者もいた。昼夜問わず、場所問わず、人の有る無し関わらず、気が付けば目撃譚は両手で数える程になっていた。
 「あの影は羅宇助である」という噂が立つのにあまり時間はかからなかった。依然目覚めない羅宇助の魂が、影となって彷徨っているというのだ。

  ◇

「どうすればいいだろう?」
「ほっとけば?」
 香霖堂の奥で、慧音と霖之助が昼食を囲んでいる。
 予告通り、薬の礼にと野菜を両手に一抱えも持って来た慧音が、どうせ料理なんてしないんだろうと台所を借りて作った物である。
 ところがいざ調理場に立ってみれば、定期的に使用された跡はあるし、食材の備蓄もしているし、調味料もやけに充実しているし、挙句の果てに霖之助も調理に参加して、隣で南瓜の素揚げなんか作っていた。人は見かけによらないものだなと、慧音は随分驚いたものである。
 お蔭で今日の香霖堂の昼食はなかなか豪勢だった。食卓に並んだ料理を眺めて、霖之助は「こんな昼食は久しぶりだな」と、珍しく素直に嬉しそうな顔を見せた。
「そういう訳にはいかない」
 慧音が小松菜の煮浸しを摘まみながら言う。
「何でさ」
「目撃譚の中で共通している要素は、人影と、煙と、火だ。煙が出てきて、人影が見えて、最後に燃えて無くなる。おおよそこういう現象が起きている」
「それがどうかしたのか」
「つまりな、今里の中には、見えない放火魔がうろついているみたいなものなんだ。今のところ大きな事故は起こっていないけれど、例えば、家の中で急に火の手が上がったとか、歩いているうちにいつの間にか着物が燃えていたとか、そういうことになったら、最悪命に関わる」
「君がどうこうする問題じゃ無いと思うけれどなあ。各自、煙が見えたら水の用意をするとかすればいいんだ。仮に何かに燃え移ったって、そのまま黙って焼け落ちるのを待つ人はいないだろう。対処の仕方なんて幾等でもある。各自で十分対応出来る。別に、里全体が不安に取り憑かれているって訳でも無いだろう?」
「それは、まあな。却って皆火の用心に勤めるようになったくらいだ」
「よかったじゃないか」
「でも、不安の種は取り除いておきたいだろう」
「多少の不安はあった方が楽しい」
「お前は……」
「とにかく相談する相手を間違えている。異変を疑うなら神社に行けばいい」
「それはそうなんだけれど……」
 と、慧音は目を伏せる。
「ちょっと考えてしまってな。やっぱり、件の影は助六さんなんだろうか?」
「だろうね。里人の推測は当たっていると思う」
 漬物を齧りながら霖之助が言う。慧音は顔を上げて、
「それじゃあ、巫女さんに依頼したら、助六さんは討伐されてしまうのかな」
「されても仕方ない」
「でも……日頃あんなに人に慕われていた人が、最後には悪霊として退治されてしまうなんて」
「君は巫女のことを殺劇装置か何かと思っているのかい?」
「そうじゃない、そうじゃないけれど」
 確かにあの人は、大怪獣相手に大立回りの方が似合う人ではあるが。
「助六さんが気の毒だよ……」
 慧音が呟く。
「確かに、寝ているのをいいことに付け火の犯人扱いだからな。まあ、羅宇助さんはその程度のことなら笑い飛ばす人だけれど」
「……うん、多分、そうなんだろうな」
「だから放っておけばいいんだよ。火気の異変が続いたもので、みんな火に敏感になっているんだ。噂の一つくらい立つさ。そのうち消える」
「七十五日?」
「四十九日で十分」
 霖之助が箸を置いた。
「ごちそうさま。美味しかったよ。久し振りに昼食らしい昼食をとったな」
 そう言われて、慧音も少し心を緩める。
「お粗末さまでした。でも、お前も厨房に立たないって訳じゃないんだろうに」
「酒のつまみくらいしか作らないからな」
「そんな感じだろうなとは思った」
「お茶飲む?」
「あ、貰う」
「じゃあ片付けをお願い」
「えー、仕方ないなあ」

 お茶を飲みながら一息ついて、話は元に戻る。
「そもそも、助六さんが眠り続けていなければ、こんな噂も立たなかったんだろうけれどな」
「じゃあ羅宇助さんを起こしてみたらどうだい? 彼の魂が火を点けて回っているというなら、彼が目覚めれば解決だ」
「そんなの最初からやっているよ。私だけじゃなく、みんなが回復を祈っている」
「でも起きない、と。煙の毒もいい加減抜けただろうに、やはり年かな」
「どうもお医者さまが言うには、助六さんは元々肺腑を患っていたらしいんだ。だから余計に治りが遅いとか」
「へえ、初耳だぞ」
「私だってそうだ。けれど、まあ、納得はしたよ。思い当たる節もあったから」
「なんだい?」
「歴史を読んだ時に見た、出火当時の状況だ。助六さんは煙草を吸っていて、それから急に咳き込んで倒れたんだ」
「発作か?」
「多分。それで気を失って、吸っていた煙草の火種が散らばって、小包に燃え移って、で、火事になった。助六さんがあの小さな店から逃げ出せなかったのはそういう訳なんだ」
「なるほどね。ああ、だからか」
 霖之助は一人で納得したように頷いた。
「そうだ。火傷の具合はどうだい?」
「ああ。お蔭さまばっちり治った」
「なら、寝ているように見えて実は死んでいるって事では無いわけだ」
「お前失礼な奴だな。ちゃんと生きているよ。体温もある。呼吸もある」
「でも生きているのとは違う。死んでいないってだけだ」
「そういう言い方は感心できないな」
 慧音が語尾を強める。不穏な空気を察したのか、霖之助は話題を変える。
「ところで、焦げ跡はあったのか?」
「何に?」
「影と同時に現れたという火にだ」
「どうだろう? 確かめて無いけれど、きっとある筈だ。なにせ火だからな」
「ふうん」
 と、霖之助は顎に手を当てて考え込む。
「その焦げ跡に何かあるのか?」
「確認してはいないんだよね?」
「ああ、うん」
「じゃあ、確かめなければならないな」
 霖之助は湯飲みを空にすると席を立った。慧音もそれに続いた。



後編へ続く
香霖堂奇譚 | 【2012-01-09(Mon) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
コメント

はてさて、真相やいかに……!?

>「じゃあ片付けをお願い」
>「えー、仕方ないなあ」

なんだ、ただの通い妻か
2012-01-10 火 21:39:00 | URL | #aIcUnOeo [ 編集]

霖之助を知らない人には、こう見えるんだなあって慧音の視点が新鮮
後編待ってます
2012-01-11 水 23:35:51 | URL | #- [ 編集]
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