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くおんにねむる 四、五、六
前回からの続きです。未読の方は先に前話をお読み下さい。


  四


「帰れない?」
 博麗神社に帰ってくるやいなや、霊夢の口から出た言葉に少女は目を丸くした。
「ええ。あなた、浦島太郎になっちゃってるのよ」
「どういうことですか?」
「外の世界ではあなたのいた時代からもう百年以上経っているんだって。どうしてそんなことになったのか、私にも解らないんだけど、結界を跳び越えた時に時間も一緒に越えちゃったみたい」
「あ、あるんですか、そんなこと?」
「あるのね。私も初めてだわ」
 一つ溜息を吐くと、霊夢は真剣な顔をして少女へ向かい、
「それで、あなたの処遇なんだけれど、あなたにはこれから二つの道があるわ。一つは百年後の外の世界へ帰る。もう一つは諦めて幻想郷に住む」
 指を一本ずつ立てながら突きつけるように言った。
「誘導するわけじゃないけど、私は二番目をお勧めするわ。外の世界には、あなたのことを知る人はもう誰もいないでしょうし、久世の御宮だってどうなっているか解らない。ていうか世界全体がどうなっているか解らないの。聞いた話なんだけど、何か最近は地面とか建物がみんな灰色になってるらしいわ。あなたはまだ小さいし、悪いけど、そんな環境で生きていけるとは思えない。あとは、まあ、こっちの事情なんだけど、結界の外に人を出すって、すっごい面倒なのよね」
 霊夢が怠惰なわけではない。侵入を防ぐ壁か、外出を防ぐ檻かでいえば、博麗大結界は檻だ。入るよりも出る方が難しい。そもそも常識と非常識の境界という性質上、一方通行に近いのである。
「どうする? 決めるのはあなたよ」
 少女は真剣な顔をして、ぐっと押し黙ったまま答えなかった。
 今、少女の頭の中でどれだけの想いが飛び交っているのか、想像して霊夢は少し同情的になった。選択肢のどちらを選ぶにしろ、少女にとっては故郷を捨てる決断である。大切なもの、残してきた事、それこそ山のようにあるだろう。しかし彼女は永久にそれを失った。家族にも友人にも何の別れも告げず、突然の死にも似た望まぬ偶然で、暴力的に幻想郷へと投げ出された。それは切り落とされた枝葉のように、どれほど切望しても元に戻ることは叶わず、新たに根付くとしても、その土は前と同じでない。
 少女が歳若いのが、せめてもの幸運だろうか。
 それとも酷なことだろうか。
 長く重苦しい沈黙の後、少女はぐいと顔を上げて真っ直ぐに霊夢を見つめ、呟くように、しかしはっきりと言った。
「残ります」
「そう。物分りがいいのね」
 霊夢は微笑みながら柔らかく返した。少女に表情は無かった。むしろそれだけで済んでいることに驚きだ。置かれた状況を考えれば、八つ当たりに泣き喚いて暴れ回っても不思議でないのに、つくづく、しっかりした子供である。少し、しっかりしすぎているような気もする。
 何はともあれ、今をもって幻想郷の住人が一人増えた。
「ようこそ幻想郷へ。よろしく、ええと……そうよ、あなた名前は?」
 随分と間を置いて少女は答えた。
「……雨音です。久世雨音。雨の音と書いて『あまね』」
 少女と出逢って既に数刻、霊夢はようやく彼女の名を知ることが出来た。ふと、「霖」に「霧雨」に、自分と近しい相手には「雨」の字が入っていることに気が付いた。
「雨音ね。憶えたわ。よろしく、雨音。仲良くしましょう。幻想郷は外とは勝手が違うから色々不安でしょうけど、まあそのうち慣れるわ。あなたは気立てもいいし、大丈夫、やっていけるわよ。後で里の人達に紹介してあげる。その時に仕事の斡旋も頼んでみるわ。いや、その歳で仕事ってことも無いか。ああ、誰かの養子になるっていうのも一つの手ね。考えといて。とりあえずは幻想郷の地理を覚えてもらわなきゃ。それと最低限の規律と、一応有力者の名前と、そうよ、妖怪についても知っておくべきね。あとは……」
 言いながら、霊夢はだんだん面倒臭くなってきた。全く、里入り一つするのも大変だ。

 もともと、余所者が集落の中に入るというのは容易な事ではないのだ。
 ここに一つの村があるとする。そこに住まう人々は、村という名の結界で自分達を外部の存在と区別している。自然、人々の心には一共同体としての結束が芽生え、その意識が高ければ高いほど結界の力も強くなり、また疎外の意思も強くなる。
 共同体の外部からやってくる人間をマレビトといったりするが、名の通り「稀なる人」であり、これにはよく「客人」の字を当てる。というのも、客人は来たら帰るからだ。たとえそれが福の神であれ、結界を乗り越えて自分達の領域に入り込んできた異物であるのに変わりは無く、異物には排斥の力が強く加わる。そのため、基本的に彼らは共同体の中に留まる事が出来ない。
 客人ならばそのまま帰ればいい。しかし住人になろうと思ったらこれが大変なのである。
 そこで、もし内部からの勧誘があれば、つまり結界を越える段階で共同体から異物と判定されなければ、その優位性は無い者と比べて天地ほども差が開くのだ。
 幻想郷は比較的、他者を受け入れるということに関して寛容な土地ではあるが、それでも霊夢の口添えが有ると無いとでは事の運び方は違う。雨音のことを考えれば面倒でも手は抜けない。

「住む場所も決めなきゃね。まあ、安定するまでは神社にいていいわ。さ、やることが山積みよ。とりあえず最優先でするべきは……服ね」
 雨音の恰好を眺め回しながら言った。彼女は未だに霊夢の夜着を着ているのだ。
「服なら自分の着物がありますけれど」
「あれ、もう血が乾いちゃってて駄目よ。ていうかあの一着だけでこの先過ごしていくつもりは無いでしょ? よし、そうと決まれば買い物よ。里へ行くわ。付いて来て」
「ええと、この恰好でですか?」
「あー」

 急遽、ファッションショーの開催が決まった。
 服を買いに行くための服を選ぶなんて馬鹿みたいだが仕方が無い。箪笥の抽斗を開け放ち、眠っていた衣類を全て叩き起こす。箪笥から同じ服が次々と出てくるのを、雨音は唖然として見つめていた。
 霊夢はあまり服装に頓着しない。はっきり言うと、霊夢は巫女服しか持っていない。仕事着がそのまま普段着になっている彼女にとって、巫女装束以外の服は箪笥を圧迫するだけの邪魔者だ。服に執着もしない霊夢は、一度着ないと判断した衣類を容赦無く神社から追放してしまう。そのため彼女の箪笥は同年代の女子と比べて遙かに軽い。当然、小さい時に着ていた服など残っている筈も無く、目の前に広げられたデザインの微妙に違う同じ服の山を見て、霊夢は久し振りに服のことで困った。こういう時に洋服は不便だ。和服ならば多少サイズが違っても着まわせるのだが、とりあえず、何となく一番サイズが小さそうなシャツを一枚引っ張り出し、雨音に着せてみる。
「霊夢様、これは何ですか?」
「シャツ。えっと、つまりこれが小袖の代わりよ。いや襦袢かしら? まあどうでもいいわ」
「帯はどこに?」
「帯じゃなくて、ボタンで留めるの。やってあげるわ。こっち向いて」
 手際よく留められていくボタンに、雨音は一々感嘆の声を漏らす。洋服を着ること自体が初めてらしい。急に歳相応の子供らしく見えて何だか微笑ましくなる。
 さて出来上がってみると、やはりというか、彼女には大きすぎる。ワンピースと言い張れるだろうか? いや無理だ。スカートが欲しい。また適当なものを一組探し出して雨音にパスする。
「折って短くして、ベルトで留めれば形にはなるかしら?」
「霊夢様、これは?」
「ドロワーズ。下着よ」
「必要なんですか?」
「必要に決まってるじゃない! 袴じゃなくてスカートなのよ! 大変な事になるわよ!」

 数分後、姿見の前に小さな霊夢が一人出来上がった。こうして同じ服を着て並んでいると、一見してまるで仲の良い姉妹のようである。
 雨音は少し照れくさいのか、右へ左へ視線が落ち着かず、鏡を覗いたり、霊夢と見比べたり、何度も自分の恰好を確かめている。その動きに合わせて、すっかり地面に届いている袖口が金魚のヒレのようにひらひらと揺らめいた。
 霊夢は腕を組みながら一言、
「駄目ね」
「えっ!?」
「考えてみたら、それ、私の服なのよ。私の為だけに作られた、私の為だけの巫女服。迂闊に他の人に着せていいものじゃ無かった」
 着せた本人の言う台詞ではない。
 しかし、霊夢と全く同じ恰好をする者が複数存在するのは御法度というのもまた事実。即ち、博麗の巫女をかたる者が複数いるのと同じになってしまうからだ。
 可哀想なのは雨音である。先程までの浮き立った様子がすっかり陰に控えてしまった。
「す、すみません! すぐに脱ぎます!」
「……そうよ、何も隅から隅まで同じ恰好にすることは無いのよ。雨音、ちょっと待って。上着だけ脱いで」
「は、はい」
 積み木の城を分解していくように、小さな霊夢から一つ一つパーツが外されて、大きな霊夢との差別化が図られていく。
「タイも外して。……袖もいらないわね。スカートも折らなくていいわ。長いままでも引きずらないでしょ? ……そうそう、それでいいの」
 霊夢によって調整を加えられつつ、最終的に、ノースリーブのシャツに赤いスカートという簡素な姿へと落ち着いた。
「これで、ぱっと見、同じものには見えないでしょう。ま、今日だけだから……んー、減らしすぎたかしら? 寒くない?」
「あ、大丈夫です。寒いのは結構平気なので」
「そういえば雪がどうのって言ってたもんね。久世の御宮って寒い所だったの?」
「そうですね、十二月に降った雪が場所によっては五月まで残っていたりしました」
「へえ。半年は雪の下なのね。こっちじゃせいぜいその半分よ」
 六ヶ月も雪の中とは、考えるだけで面倒臭い。一冬の間に何回雪かきをするのだろう。いつだったか、幻想郷でも冬が異様に長く続いたことがあったが、彼女の土地ではその長さが普通ということになる。きっとそこでは春も夏も秋も、冬と冬の間に挟まれた、冬になりきれなかった小さな隙間みたいな季節に過ぎず、だからこそ、その訪れは待ち遠しいものに違いない。

 神社の表に出てくると、雨音はきょろきょろと落ち着かず、まるで遊山に出かけた子供のように熱心に景色を眺めた。そういえば鳥居の下にいた時は意識が無かったのだから、幻想郷の風景をまともに見るのはこれが初めてなのだ。あちこち雀のように動き回り、ふと遠くに見える山の影に目を奪われたらしく、興奮気味に霊夢に訊ねた。
「霊夢様、あのお山は何ですか? 凄いです。あんな大きなお山を見たことが無いです!」
「あれは妖怪の山よ。天狗とかいるからあんまり近寄っちゃ駄目」
 言いながら霊夢は雨音の傍らに立ち、少し屈んで彼女に目線を合わせ、山の稜線に指を這わせる。
「あの山をこう降りていくと、あそこに森が見えるでしょう? そこから手前に辿っていくと、ほら、あれが人里。今から行くのはそこよ。それじゃあ、出発しましょう。遅れないように付いて来てね」
「はい」
 その返事を合図に霊夢が浮かび上がると、雨音の顔は突如としてこの上ない驚愕に染まった。そのまま霊夢を見上げて固まる。霊夢も雨音を見下ろして固まる。
「……いや、固まってないで来なさいよ」
「と……飛ん……!?」
「なに驚いてんのよ。普通じゃない」
「……凄い! 霊夢様凄いです! え? どうやって! えっ!」
「……外の世界でも巫女は飛んでるんでしょ? 早苗飛んでたし。あなたも飛べるんじゃないの?」
 雨音はぶんぶんと首を横に振る。
 霊夢は頭を抱えた。
 しまった。完全に飛べるものと思い込んでいた。
 水面に下り立つように音も無く着地すると雨音の肩を抱きながら暗示のように言った。
「……大丈夫、あなたも巫女なら絶対に飛べるわよ。よし、飛べる。あなたは飛べる。飛びなさい」
「ええっ!? そ、そんな無理です! 私は巫女様でもないですし、そんな、そんなとても!」
「何とかしなさいよ。歩いて行くのは面倒なのよ」
 酷く困った顔をする雨音を見ながら、ふと霊夢が気付いた。
「……待って。巫女じゃない?」
「あ、はい」
「……いや、それは無いわ。だってあなた勤め先は?」
「久世ノ宮です」
「それで名前は?」
「久世雨音です」
「ほら。どう考えてもあなたが『久世の巫女』でしょう。じゃなかったらここに来た時のあの恰好は何よ。巫女装束以外の何物でも無いじゃない」
「……ええと、恰好はそうなんですけれど、巫女様はちゃんと別にいらっしゃいます。私達は巫女様の周りでお世話をさせてもらったり、屋敷内の雑務を担当する役で……。名前は、御宮に奉公が決まると久世家の当主様から久世姓を賜るんです。だから御宮で働く人はみんな久世という名前なんです」
 霊夢は頭の中で思い描いていた久世ノ宮を倍の規模に更新した。
「……なるほど。つまりあなたはアシスタントだったわけね。具体的にはどんなことしてたの?」
「そうですね……掃除、洗濯、炊事に、お客様の応接を時々、道具や書物の整理と、管理も少しはやりました。他には御縄を綯ったり紙垂を切って御幣や人形を作ったり……後は、空いた時間に手習いを、ええと、読み書きにお唄と、お琴を少しくらいなんですけれど」
 しばらく沈黙した後、霊夢が言った。
「……あなた、うちで働かない?」



  


 霊夢によりもたらされた石の杭は、霖之助をかれこれ数時間思考の海に沈めている。時々、思い出したように肩や首を回す以外、彼は彫像のように同じ姿勢でじっと杭を睨み続ける。
 名称は『刺青木』、用途は『巫女を穿つ』こと。
 この用途が大問題だ。『巫女を穿つ』という言葉が、何の隠喩でも比喩でもない額面通りの意味であった場合、最悪、この杭は巫女殺しの呪具という可能性もある。そんなものを霊夢に近づけるわけにはいかない。出来ることならばこのまま永久に倉庫の中に封印したい。
 しかし彼女はこの杭を「貸す」と言った。つまり回収する気満々なのだ。悔しいことに、日頃商品を強引に持ち去るあの霊夢から、杭を護り通せる確信が無い。ならば今自分に出来ることは、少しでも多くの情報を集めて、この刺青木の正体を明らかにする以外に無いのだ。
 手持ちのカードは少ない。名称、用途、形状、材質、あとは外の世界の道具であることが確定しているくらいだ。そこから何が解るだろうか。考えるというより想像するしかない。

 改めて刺青木を見つめる。片尖三角柱の形は、杭というよりは石工の使う鑿に近い。或いは、自分が杭と思い込んでいるだけで本当に鑿かもしれない。握ってみた長さも丁度いい。これで彫刻でもしろと言われたら、出来る。だが、それでは『巫女を穿つ』という用途と合わない。刻むのではない。穿つのだ。つまり穴を開けて貫くのだ。
 懐から煙管を取り出して、表面を軽く叩いてみる。硝子質の硬く乾いた綺麗な音が鳴る。かなり硬質の石だ。これならば人間の体くらい簡単に貫けるだろう。素材にわざわざ金属ではなく石を選んだのには、それなりの理由があるはずだ。まさか金属の加工技術が無いということは考えられないから、恐らくは宗教的な理由。巫女という言葉が出ている以上、この杭を使って何らかの儀式が行われていたことは間違い無い。霊夢に伝えた『儀礼用の杭』という情報は、その意味で全くの出鱈目ではないのだ。儀式の内容がどんなものか、触りでも解れば考えも開けてくるのだが、この杭を持って来たという外界の女の子は、話を訊けるような状態ではないとは霊夢の談だ。

 今、確実に解ることから考えよう。とりあえずは名前だ。名称『刺青木』。『刺青』とは入墨のことである。しかし、まさか杭で入墨を彫るとは思えない。入墨に使うのは針だ。
 針?
 霊夢の顔が脳裏にちらつく。「巫女」ときて次は「針」か。嫌な感じだ。自分の力の及ばないところで、刺青木と霊夢は繋がっているような気がして空恐ろしくなる。
 そういえば、入墨は「彫る」のだ。「刻む」とも言う。
 彫刻?
 いや、それは無いとさっき自分で結論付けたじゃないか。或いはこの側面に彫られた模様のことを指すのか。刺青模様の杭、転じて名を刺青木という?

 材質に似合わぬ『木』という名が付けられているのも気にかかる。形状を模したのか、語呂合わせか、それとも別の由来があるのか。
 ふと思いついた。相剋だろうか?
 万物を五分類して説明する五行思想に当てはめれば、石は「土」だ。それに『木』と名付けることで一本の杭の中に「木剋土」を表しているのではないか?
 木気は青、東、春、青竜、視覚、喜情、胆腑、錫、歳星、爪。
 土気は黄、央、土用、黄竜、味覚、怨情、胃腑、金、填星、そして肉。
 『穿つ』、つまりこの杭で巫女の体を刺し貫くのだとしたら、肉体は「土」、それを「木」で押さえ込むのか?
 何故押さえ込む?
 考えられるとすれば、巫女の霊力が外に流れ出るのを防ぐためだ。丑の刻参りと同じだ。あれは「金」の五寸釘を用いて人形を「木」に打ち付け、「金剋木」の中に閉じ込めることで神木の受けた苦痛を逃がさず人形の中にとどめ、蓄積された苦痛を対象に転嫁する呪法だ。
 それに似たことを人間で行った?
 何のために?
 人身御供?
 無い話ではない。巫女も人形も、もともとは身代わりだ。巫女は人々の身代わりとなって、磔刑に処されたイエスのように、「木剋土」を象徴する石の杭で穿たれる。
 いや、それだったら初めから木の杭を使う。その方が楽だし確実だ。
 そうだ、きっと初めは木だったのだ。それがいつしか石に変わり、名前だけが道具に残ったのか。
 しかし、安易なモデルチェンジなど事の本質を揺るがしかねない。吸血鬼に止めを刺す白木の杭を、勝手に大理石の斧に変えたようなものだ。それでは吸血鬼は殺せない。「白木」の「杭」であることに意味があるのだ。仮に問題が無かったとして、素材を木から石に変えたら、結局「土」で「土」を穿つことになってしまう。巫女の霊力は留まるどころか流れ出る。それでは駄目だ。
 いや、本当に駄目なのか? もしかすると、あえてそういうことをする儀式というものが、知らない所で存在しているのかもしれない。
 あるいは、そもそも相剋という前提は間違っているのか。相性でも何でもなく、単純に名前? それならそれで別にいいが。

 さて、用途だ。しかし考えるまでも無く、杭で『巫女を穿つ』というと、串刺し或いは磔にする様子しか思い浮かばない。恐らくはそれで間違っていないのだと思うが、だとすると重要なのは、何のためにそんなことをしなければならなかったのかだ。幾つか推測はある。しかし決定打が無い。推論という推論が空想の域を出てくれない。深い霧の中を歩いているようだ、と霖之助は思った。

 次に霊夢が姿を見せるのはいつだろうか。予定を立てず、気の赴くままに行動する彼女のことだ。一週間後か十日後か、早ければ明日にも来る。そこで刺青木を取り上げられてはたまらない。まあ話せば解ってくれるとは思うのだが、どうにも気ばかりが焦って参る。

 刺青木を握り締め、疲労してきた眼を軽く押さえて、今一度、顔の前に掲げた。
 想像するのは水である。心を静め、少しずつ溶かし、刺青木の中に自分を溶かし込むようなイメージを描く。自分は道具であり、道具は自分であり、境界が限りなく曖昧となったその一瞬、自分の一部と化した道具の記憶を共有し、無言と無意識で解し言語に変換する。霖之助はそうやって道具の名前と意味を知るのだ。今日一日で幾度と無く繰り返した動作である。そのたびに刺青木は同じ答えを返す。それは百も承知だ。しかし今もまた縋るような気持ちで、その奥に何かを探り取れないかと意識を沈める。
 心を幾分多く溶かし込む。その深い集中は瞑想にも似て、いつしか肉体の感覚が薄れ、鼓動と血の巡る音を残して、自分が消滅したかのような錯覚に陥る。あらゆる音が透明になり、合わせて世界も色を失っていく。
 まだまだ、深く、深く潜る。
 聞こえるはずのものが聞こえなくなり、見えるはずのものが見えなくなり、自分だけが重力に置いていかれるような、取り囲む全てが急速に遠ざかっていくような、乖離の感覚を経た後に、

 気がつくと雪原にいた。

 どこだここは?
 きょろきょろと周囲を見渡す。香霖堂ではない。それどころか恐らく幻想郷でもない。
 なんと色彩に乏しい世界だろうか。
 ただただ広い雪原に、霖之助はぽつんと立っていた。
 暗い灰色の空からは止めどなく雪が舞う。大地はどこまでも白く、地平線は空と混じり合うようで、まるで天地の境目が解らない。鳥の一匹も飛んでいない。木の一本も生えていない。自分以外には生き物の気配が無い、唯々、ひたすらに白い世界。不思議と寒くはない。
 両手を見つめる。どこかで落としでもしたのか、刺青木は無くなっていた。
 そのまま握っては開きを数回繰り返し、体を馴染ませるようにゆっくりと深く呼吸する。肩と首を回し、眼鏡を外して目頭を押さえてコリをほぐし、またすぐに掛け直した。少し耳鳴りがする。雪が音を食べているのだろう。静かすぎる。たまらずに呟いた。
「夢か?」
 自分の声ではないみたいだった。
 まあ夢でもいいか、と霖之助は思った。夢というのは一種の異界だ。精神が肉体の制御を離れ、幽明の中に遊ぶ現象をいう。現実とは対比される言葉だが、夢もまた現に違いない。盧生が一睡の中に見た五十年を誰が否定できるだろう。夢の中で蜻蛉と化し酒の泉を発見した男は、現実にもそれを見つけたではないか。夢と現実は必ずしも切り離されてはいない。ならば、
(……跳び越えた?)
 そうだ、ここは「刺青木の世界」だ。強く集中し、より多くの心を削いだことで、意識が境界を越え、道具に関連した世界へと飛び出したのだ。ということは、この世界で何かを見つければ、それが刺青木の謎を解く糸口となる。
 しかし、こんな雪だらけの空間で一体何処を目指せばよいのか。
 とりあえず前方に足を踏み出すと、不意に足の裏を通る地面の感覚が変わった。見ると雪に混じって飛び石が打たれている。石の行方を眼で追うと、いつしかその周りに蝋燭や燈篭が立ち並び、そして見上げるほどに巨大な屋敷が蜃気楼のように姿を現した。
 霖之助は導かれるように、その屋敷の門前に立っていた。
 門を叩いてみる。反応は無い。扉に手を掛けたら鍵はかかっていなかった。多少軋むが十分に開く。
 冒険心に火が点いた。
 間違いない。ここには絶対に何かがある。無ければおかしい。
 まずは、この屋敷の中で刺青木を探す。或いはそれに関連した文書なり記録なりを入手する。人がいれば話を聴く。
 これが夢だとするのなら、目が覚める前に終わらせなければならない。
 開けた扉の隙間から体を滑り込ませ、霖之助は屋敷の中へと消えていった。



  


 気が付くと、私は御宮の前に一人で立っている。
 夜なのだろうか。一寸先も見えぬという程では無いけれど、暗い。だから目の前の建物も輪郭がうっすらと見える程度なのだけれど、まさか見間違えるはずが無い。
 ここは久世ノ宮だ。

 ぼんやりとした頭が冴えてくるにつれ、奇妙な感覚がふつふつと沸き起こる。
 どうして私はここにいるんだろう? 博麗神社で眠ったはずなのに。着ている服も違う。霊夢様に買ってもらった夜着じゃない。体に馴染んだ鎮女の装束だ。
 これは夢だろうか?
 多分そうなのだろう。それにしては随分と意識がはっきりしている。四肢の感覚も起きている時と変わりない。こんな夢は初めてだ。
 それとも、こちらが現実なのだろうか? 幻想郷も霊夢様も、全て私の見ていた夢だったのだろうか?
 そう考えると恐ろしくなった。出来ればこちらが夢であってほしい。そして早く覚めてほしい。けれど久世ノ宮なのだ。違うと言い切ることが出来ない。それが恐ろしい。
 久世ノ宮で夢なんて、ただでさえ普通じゃないのに。

 祈るように眼を閉じる。たとえ夢でも、この御宮はあまり見たくない。開く。まだ覚めない。再び閉じる。開く。まだ覚めない。御宮は変わらず目の前に建っている。そのうちに眼が暗さに慣れてきて、見たくないというのに周りが見えてくるようになった。
 境内に動くものは無い。夜なのだから、当たり前といえば当たり前だ。みんな眠っているのだろう。心の底から安堵した。よかった。誰とも会いたくない。知っている人と出くわしたら、もしくは心臓が止まるかもしれない。

 不気味なほどに物音がしない。おかげで自分の鼓動が鉦のように大きく聞こえる。境内中に響いているみたいだ。誰かが音に気が付いて、眼を覚ましてきそうで怖い。
 胸を押さえる。涙が出てきた。行き場を失くした血が目から溢れるみたいに。
 嫌だ。ここにいたくない。
 たまらず御宮に背を向けた。背を向けると、振り返れなくなった。不気味な蛇が大きな口をあけて、私のすぐ後を這い寄ってくるみたいだ。少しでも遠くへ行こうと歩き出す。足が鉛のように重くて思った通りに動いてくれない。凍った池の上を歩くように俯き足元を確かめながら一歩一歩前に進む。こわばった爪先に階段がぶつかった。
 階段?
 顔を上げると、石畳の上に短い階段が作られて、上った先には両開きの扉があった。
 門? 門なんて無かったはずだ。眼を凝らしてみる。扉の左右には板塀が長く伸びていて、高さもかなりある。
 違う、壁だ。塀じゃなくて、一面の巨大な壁だ。なんだこれは? 何でこんな物があるのだろう?
 そういえば、どうして雪が無いのだろう? 融けてしまったのだろうか。そんなまさか。地面は乾いているのだ。もしかすると冬じゃないのかもしれない。確かめようと空を見上げる。しかし空は真暗で、月も星も見えなかった。
 違う、空そのものが見えない。何かが天を覆っている。まさか、境内が丸ごと巨大な建物の中に収められている?

 なにこれ?
 手が震え出した。解らない。私の知っている久世ノ宮と違い過ぎる。良く似た別の建物なのだろうか? もしそうならば、そうであってほしい。とにかく、早く外へ出たい。早くこの門を抜けよう。扉は……

 ……開くよね?

 胃の奥から恐怖が込み上げた。慌てて階段を駆け上がろうとして転んだ。痛い。そのままうずくまって泣きたかった。でも駄目だ。早く外へ。外へ。手摺に縋って体を持ち上げる。自分の体を投げるようにして一気に扉の前まで躍り出る。その勢いのままぶつかった。扉は開かない。手の甲を思い切り擦り剥いた。痛い。でもそれ以上に怖い。嫌だ。この中は嫌だ。ここに閉じ込められたら気が狂う。環状の把手にしがみ付いて力の限り引っ張る。重たい。でも開く。外から灰色の乾燥した光が漏れてくる。獣の悲鳴のような軋む音が谺する。ひょっとするとこの音で何人かは目を覚ましたかもしれない。けれど構っていられない。とにかく外へ。外へ!
 やっと通れるくらいの隙間が出来たと同時に、身を滑り込ませ、転がるようにして飛び出した。

 足がもつれて転ぶ。倒れた体が受け取ったのは、土ではなく板張りの感触だった。
 息が荒い。整うまで伏していると、ふと頬に灰のような物が落ちてきて融けた。
 雪?
 それにしては冷たくない。息も白くなければ、肌に寒さも感じない。
 体を起こすと、眼の前に大きな木が立っていた。この木には見覚えがある。久世ノ宮の御神木だ。雪が枝の先に積もって、葉や花の代わりに青白く咲いている。周囲には幾本も赤い人形の御幣が立てられていて、それが雪の白と鮮やかな対比を成している。この人形は私も作ったことがある。ならばやはりここは久世ノ宮で間違い無いのか。
 問題はそれを更に回廊が囲っていることだ。こんなもの知らない。
 なにこれ? 中庭? 箱庭?
 確かなのはここが外ではないことだった。御神木の上に屋根が無いだけで、四方はすっかり壁に囲まれている。完全に建物の中に取り込まれている。
 わけが解らない。何もかもが違う。どうしてこんなことになっているんだろう? ここは本当に、本当に久世ノ宮なんだろうか?
 ふと昼間聴いた言葉を思い出した。
 「外の世界ではもう百年以上経っている」
 「久世ノ宮だってどうなっているか解らない」
 まさか、ひょっとして、これが百年後の久世ノ宮?

 思考が止まった。

 御神木の下に誰かがいる。
 私と同じ服を着た、髪の長い少女が立っている。
 私を見ている。
 目が逸らせない。
 嘘だ。
 そんなはず無い。
 彼女がいるはず無い。
 これが百年後の久世ノ宮だとしたら、絶対にいるはずない。
 彼女が近づいてくる。
 ああそうか、これは夢なんだ。生々しいからうっかり忘れていた。そうだ夢だ。夢。ただの夢。私の夢。夢。夢。早く覚めろ。早く。早く。
 彼女が近づいてくる。
 動けない。声が出ない。息が詰まる。息が出来ない。
 嫌だ。
 やだ。やだ。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
 目の前にいる。
 目が離せない。

「おかえり、時雨」


 日も昇らぬ早暁に、霊夢は悲鳴で眼を覚ました。
 悲鳴の主は、布団の上で膝を抱えて小さく震えている。
「どうしたの?」
 霊夢の声が耳に入っていないのか、それどころではないのか、反応が無い。薄暗い中でも酷く呼吸が荒いのが解る。
「……大丈夫?」
「大丈夫です……」
 目を伏せたまま、喉が上手く動かないらしい、搾り出すように答えた。
「ちょっと……嫌な夢を、見た……だけです……」




続く
くおんにねむる | 【2011-11-25(Fri) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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