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あめふら

Author:あめふら
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pixivで描いた漫画をまとめました。


『OVERCOLL2』 とらのあな
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『レジンフィギュア・物部ハト』 とらのあな

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香霖堂奇譚 第一話  古井守(前編)




 上白沢慧音は悩んでいた。いや、途方に暮れていたという方がしっくり来る。
 彼女はただの人間ではない。森羅万象に通ずるという霊獣ハクタクの血を半分譲り受けた世にも稀なる「半獣」である。体の組成が人と異なる故に人よりも多少は長く生きて来たのだが、しかし今日程途方に暮れる日は数える程しか経験しない。
 慧音は今、長い藻に絡め取られて沈んだような暗い顔をして、人里と魔法の森の中間辺りを歩いていた。
 それも道に沿ってではなく、あちらへふらふら、こちらへふらふらと、まるで風に飛ばされた帽子を追いかけるように歩いている。
 季節は秋の口、宵の月が空に浮かぶような時刻に、女が一人で、である。別に明確な理由があって彷徨しているのではない。かといって散歩などという風雅なものでもない。ただ、歩かずにはいられないのだ。しかし、それが彼女の悩みをすっきり解決させてくれるような効果が無いことは、彼女自身気付いている。そうと知っていても、何か行動せずにはいられないのだ。

 一体何があったのだろう?

 慧音は人里で寺子屋を営んでいる。
 そこで里の子供達を相手に教鞭をふるっているのだが、彼女の生徒の一人に「たまき」という名の少女が居る。年はまだ二桁にも達しない。友達も多い。成績も悪くは無い。両親の仲も良い。優しく、誰にでも好かれるような、ごく普通の里の子供である。
 そのたまきが突然失踪したのだ。

 慧音がその知らせを受け取ったのは今から二日前の夜のことになる。
 急に訪ねてきたたまきの親から「娘がまだ帰って来ていない」との連絡を受けた。
 慧音は昼間、たまきが他の生徒と一緒に下校するのを見送っている。とすると、そのまま遊びに行って未だ夢中になっているか、そのうちに迷子になってしまったと考えるのが妥当だろう。
 ともかく時間が時間である。慧音はたまきの親と相談し、近隣の里人に呼びかけて、たまきを探してもらうことにした。

 それが二日前のことだ。
 たまきは依然見つからない。着物の切れ端すら無いのだ。
 子供の行動範囲だからと甘く見ていたためだろうか? 捜索範囲を広げてみたが、しかし彼女の足取りは掴めない。共に下校した子供達も、たまきとは直ぐに分かれてしまったらしく、その後の動向はまるで分からないという。
 こうなると、誰の心にも最悪の展開が浮かぶ。里を離れて、深い淵にでも嵌ってしまったか。仮に魔法の森に入ろうものなら手がつけられない。或いは、最近滅多に聞かなくなったが、妖怪に食われてしまったのかも知れない。
 たまきの両親は必死に我が子を探す。里に漂う空気もどこか張り詰めたものに変わりつつある。これがあと三日もすれば、諦めの風に変わるのだろう。

 たまきは慧音の大切な生徒である。
 慧音は人でありながら、完全に人とも言えぬ中途半端な身の上である。故に里人との交流は、それがどんな種類のものであろうと、彼女にとっては何にも代え難い。
 だから慧音が、たまきの親と同じくらいに心を苦しめているのは、いわば自然のことである。
 が、彼女の心を更に深く落とし込んでいるのには、もう少し理由がある。

 上白沢慧音は歴史を喰い、歴史を創るという能力を持っている。
 実際の出来事を、公的な認識にまで昇華させる力である。聖獣ハクタクに象徴される権威ある能力であり、彼女はこの力で人里の、及びそれを囲む幻想郷の歴史を、いうなれば管理する役を負っている。
 勿論そのためには、彼女はその土地で実際に起きた出来事、即ち歴史に触れていなければならない。恐らくはハクタクの力の一環として、過去視のような能力も持っているものと思われる。
 この文章では、そのサイコメトリー能力を「歴史を読む」と表現する。以下多用するので、覚えておいて頂きたい。

 さて、慧音はたまきを探す際、当然この能力を使用している。
 迷子や失せ物を探すのに、これ程都合のいい能力も無い。本来ならば、たまきはその晩の内にでも発見されただろう。
 実際、慧音はたまきの最後の足取りを掴んでいる。
 たまきが寺子屋を出るところから歴史を読み、下校時のたまきの行動を追跡したのだ。
 その日たまきは道草を食わず、遊びに行くという友達と別れ、まっすぐ帰路に着いた。やがて家が見えてきたが、彼女は家に入らず、近くの涸れ井戸まで歩いて行き、その井戸で消えてしまった。
 そう。消えてしまったのだ。
 だからその後の足取りが掴めない。それ以上歴史を追うことが出来なかったのだ。
 件の井戸は念入りに中を調べたが、何処にもたまきは居なかったし、横穴のようなものも無かった。
 過去の幻影とはいえ、目の前で人が消えるなど、慧音には初めての経験である。
 例えば自分は「他人の認識」に「自分の認識」を上書きして、事実を隠蔽することは出来る。しかし、事実そのものが消えた訳ではない。人が死んで、その人が死んだという歴史を隠したとしても、その人が生き返るわけではない。消えたというのも、姿が見えなくなっているだけであり、死の確証ではない。ならばたまきも必ず何処かに居る筈なのだ。
 慧音はそう考えた。そして他の捜索隊と同じように、迷子の手がかりを求めて歩き回った。
 自分の見た歴史については、まだ誰にも伝えていない。この情報が有益なものなのかの判断が付かなかったし、慧音自身、見たものが果たして事実なのか確信を持てなかった。
 いや、間違い無く事実なのである。歴史を読むとき、彼女の目にはその場で起きた事実しか映らない。
 それが慧音の不安を煽った。

 もう一つ、不安を増幅させる要素がある。
 たまきと涸れ井戸との関係である。
 後に述べるが、これも慧音にとってはあまり理解の出来ないことだった。

 彼女がこうして一人捜索を続けているのは、勿論たまきが心配なのもあるが、自分の能力が通用しなかったある種の不気味さに駆られてのことなのだ。捜索と言っても手がかりが無いのだから、ふらつくしかない。歴史を読む力を得て以来、全くのゼロからの捜索というのは初めてであった。
 里人による今日の捜索はもう打ち切られている。
 辺りは静かである。時折吹く風が森の木々を震わす以外、夜はしんとした状態を保っている。

 ふと気が付くと、慧音は魔法の森の直ぐ近くにまで歩いて来ていた。
 通常里の人間は不用意に魔法の森へは入らない。それは子供達にもよく言いつけてある。だから今までは捜索範囲から外していたのだが、事によっては森の中を探す必要があるかもしれない。
 草を軽く掻き分けながら森の入口をうろつく内に、慧音の目に一軒の建物が留まった。
(こんなところに……廃屋か?)
 慧音がそう思ったのも無理は無い。
 目の前の建物にはごちゃごちゃと大小様々なよく判らない物が重なっており、まともな感性を持つものならば、廃屋か、せいぜい資材置き場にしか見えないだろう。
(……子供であればこういう所に好んで入って行くかもしれない)
 慧音は建物の扉をくぐった。

 中もまた、外に負けず劣らず凄まじいものであった。
 壷やら何やらが所狭しと敷き詰められている。埃も積もるに任せているようだ。
 ただ、どうも人の出入りはあるらしい。それも最近だ。棚や物品の端々に、人の手が加わった形跡があるし、長らく放置されていたにしては蜘蛛の巣が無いのだ。
 暗い廃屋の中を慎重に奥へ進む。
 ふと棚にあった猫の柄のカップに気を取られた時、突然後ろから声を掛けられた。
「何かお探しかい?」
「うにゃあっ!!!???」
 素頓狂な声をあげて、跳ねるように後ろを振り返ると、小さなランプの灯に照らされながら慧音をじっと眺めている者がいた。
 男である。
 銀色の髪をして薄い眼鏡をかけ、レンズの奥に金色の瞳が見える。見た目からするとせいぜい二十歳といったところか。
「あ……す、すみません。人が居るとは思わなかったもので」
 慧音は男に向かって頭を下げた。
 男は特に気にした様子も無い。
「いえ、どうか気にせず。それで、こんな時間に我が店へ何の用かな」
「店?」
「表の看板を見なかったのかい? ここは香霖堂。日用品から外の世界の道具まで取り扱う古道具屋だ」
「……廃屋じゃなかったのか」
「客でないなら、出口は向こうだ。歩いてお帰り」
 男はそう言うなり慧音から眼を背けて、外した視線を手元の本に落とした。

 驚いたのは慧音である。
 店?
 何かの冗談だろう?
 この場所に古道具屋があるなんて知らない。
 外の世界の道具まで扱うと言っていたが、まさか乱雑に積み上げられているこれが商品か?
 それに、あんな無愛想な店員は見たことも無い。苦情の一つも言いたいところだ。
 しかし、今はそれどころではない。慧音は男に呼びかけた。
「あの、店員さん」
「何か買うのかい?」
「いえ、買いませんけれど」
「出口は向こうだ」
「ご安心を。ちゃんと出て行きます。けれどその前に質問してもいいですか?」
「構わないが」
「女の子を捜しているんです。七歳くらいの。見かけませんでしたか?」
 男はようやく本から目を離した。
「人間の女の子だよね?」
「他に何が居るんですか」
「だったら見てない」
「見てないというのは、この……店? の中でですか?」
「店の中でも外でも。とにかく、最近この付近でそれらしい子は見ていないね」
「そうですか」
 慧音は少しだけ肩を落とした。
「迷子かい」
「はい。もう二日も見つからなくて」
「ああ、それは大変だ」
 男はまさに他人事といった感じで答えた。
 なんなのだこの男は?
 人を不快にさせるのが随分上手いじゃないか。話すのが嫌いなのだろうか? だとしたら店員として致命的ではないか。
 最早苦情を言う時間すら惜しい。居ないと判った以上、もうここに用は無いのだから。
「有難う御座いました。では」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 思いがけず呼び止められた慧音は、わざと気が立ったような声で答える。
「はい?」
「貴女の名前を教えてくれ」
「はい?」
「あと、迷子になっている女の子の情報も欲しい。見かけたら連絡するから」

「成る程。半人半獣の教師か。そんなものが居るのか。世界は広いな」
 慧音は香霖堂のカウンターに男と向かい合わせに座っている。
 何時の間に用意したのか、目の前には湯飲みに注がれたお茶が熱々と湯気を立てている。あまり上等な茶葉ではないものの、日の落ちる前から歩き回っていた慧音にとって、単純に水分が嬉しい。こういう気遣いもやれば出来るのかと、少し認識を改める。
 一方男は手元の紙に何やら簡単にメモを取っていた。
「それで」
 と、男が筆を止める。
「迷子になったたまきという子だけれど、何か彼女の動向を知る手がかりは無いかい? 例えば、最後に目撃された場所とか」
「ああ、家の近くの井戸に落ちたところだ」
「なんだって?」
「あ」
 お茶に気を取られて、つい口を滑らしたかと思ったが、もう遅い。
「……」
「……」
「……まさか君は」
「ち、違うぞ! 私は歴史を読んだだけで、実際はたまき一人だったんだ!」
「歴史を読む?」
「あー、つまりだな、そういう能力なんだ。簡単に言うと、私は過去を見ることが出来る」
「ほう」
「それで、たまきが寺子屋から帰る時の歴史を追いかけてだな、たまきが井戸を覗き込んで、井戸の中に消えるって所までは確認済みなんだ」
「それじゃあ、彼女は井戸の中には居なかったのか」
「ああ。井戸の底まで降りてみたけれど、たまきは居なかったし、横穴みたいなものも無かった」
「底まで降りたってことは、涸れ井戸かい?」
「そうだ。といっても新しい涸れ井戸だな。四、五日前に急に涸れたんだ」
「急に?」
「ああ。夜にはあった水が、朝になるとすっかり無くなっていたらしい」
「大変じゃないか」
「まあ、人里は水に困るような土地ではないから、しばらくは隣の井戸から水を貰ってくればそれで済む」
「それにしたって井戸が一晩で」
「珍しいことだが無いことじゃない。
 水が今までよりも深く流れるようになったのかもしれない。或いは水脈そのものがずれてしまったのかもしれない。元々小さい井戸だったしな」
 と、慧音はお茶を一口飲んだ。まだ少し熱いくらいの温度だが、それが心地いい。
「それで、その後は?」
 男が言う。
「ん?」
「井戸に落ちた彼女はその後どうしたんだ?」
「それが……分からないんだ」
「どうして?」
「たまきの足取りはそこで途切れてる」
「そんなの君の能力を使えば簡単だろう」
「消えてしまったんだ。井戸の中で」
 吐き出すように言った声の中には、慧音自身の不安と自責が混じっている。肝心な所で力の及ばない自分に対する呪詛が混じっている。
 男は何も言わない。
 コチコチと時計の針の音だけが、様々なガラクタに反射して店内に響く。

「消え方は?」
「え?」
 予想だにしない質問だった。
 男は続ける。
「消え方はどうだったんだい? 色々あるだろう? 灯を消すみたいにぱっと消えたとか、徐々に影が薄くなっていったとか」
「ああ、ええと……」
 慧音はその時の状況を思い返す。
 たまきが井戸を覗き込み、そのまま前のめりになって、全身が井戸に落ち込んたと思ったら姿が消えていた。
「……落ちたと思ったらもう消えていたから、そうだな、一気に消えたんだと思う。何て言うかな、こう、水に飛び込むみたいに」
「ふむ」
「あの、それがどうかしたのか?」
「その子、井戸に何かしなかったかい?」
 慧音の肩が小さく跳ねた。その顔には驚愕が浮かんでいる。
 男はただ慧音の次の言葉を待っている。
 数秒の沈黙の後に、慧音は男に向かって言った。
「……どうしてそれを?」
 慧音は心の底から驚いていた。
 なんなのだこの男は?

 たまきと涸れ井戸の関係は、彼女が慧音だけに教えてくれた秘密だ。
 この話は四日前、件の井戸が涸れていたことに端を発する。
 最初にそれを発見したのは、朝水を汲みに来た近所の女だった。昨日まで一杯に湛えていた水が一晩で消えてしまった事実は、その井戸を使っていた近所の住人の間でちょっとした騒ぎとなった。狭い人里である、話は瞬く間に広がり、その日の夕刻には慧音の耳にも届いた。
 しかし、先程も述べたが、人里は水に恵まれた土地だ。井戸が一つ涸れたところで、明日乾き死ぬ訳ではない。水汲みに歩く距離が少し増えただけのことだ。それは住人も承知していたから、この件は結局、近所を少しだけ騒がした小さな事件、というだけで幕を閉じた。

 その翌日。
 授業が終わり、子供たちを帰した後、翌日の準備をするために慧音は寺子屋に残っていた。
 何ということはない、慧音の教師としての習慣の一つである。明日使う道具や資料を引き出して、どのような授業を展開すれば最も子供たちに理解してもらえるか考える。また消耗品の残量を確認する。足りなかったら後で補充する。それらがあらかた終わると、簡単な校内の見回りを始める。
 大抵何事も無いのだが、その日は珍しく教室に生徒が一人残っているのを発見した。
 たまきである。
「こんな時間まで残ってるなんて珍しいじゃないか」
「あ、せんせい」
 慧音に気付いた少女は、顔をこちらへ向ける。何か思いつめたような顔をしている。
 慧音も新米の教師ではない。その顔を見て、この子は私に何か伝えたいことがある、ということを悟った。
 そこで慧音はたまきに目線を合わせて優しく言った。
「どうした? 何かあったか?」
 たまきはしばらく黙っていたが、やがて口を開くと、
「せんせい、あのね、井戸が……」
「井戸がどうかした? ああ、お家の前の涸れちゃったやつ?」
「井戸が……」
 そこまで言ったところで、たまきはわっと泣き出してしまった。

 慧音がたまきをなだめながら、ゆっくりと聞き出した話を要約するとこうである。
 曰く、あの井戸が涸れたのは自分の所為だというのだ。

 ある日、たまきは寺子屋からの帰り道に、いつもとは違う道を使ってみようと思い立った。
 特に理由は無い。強いて言うなら、常に新しい遊びを模索する子供特有の好奇心、冒険心だろう。
 たまきは思い切って家から逆方向に歩いて行き、ある程度道を進んだら、そこから更に見覚えの無い区域へ進んでいった。そのうちにすっかり探検家の心持ちになり、道なき道を好んで選び取っていくようになった。
 子供の世界は狭い。その小さな地図を広げていく喜びに酔いしれた彼女は、気が付くと人里を出てしまっていた。
 たまきにとって本当に見たことの無い場所である。
 流石に不安になったのか、たまきは探索を切り上げて、家へ帰ることにした。幸いなことに彼女は方向感覚には自信があったし、自分の通ってきた道も大体は覚えていた。仮に間違っていても、とりあえず里の中に出ればどうとでもなる。
 さあ帰ろうと踵を返したとき、
「みずがほしい」
 彼女の耳にこんな言葉が聞こえた。
 ぎょっとして辺りを見渡すも、自分以外には誰の姿も見えない。
「みずがほしい」
 もう一度聞こえた。
 自分の直ぐ近くで聞こえる。
 恐怖心と好奇心が、絶妙なバランスでたまきをその場に縛り付けた。
 この場から今直ぐ逃げ出そうか、それとも声の主を確かめようか。
 よく判らないものに会った時は一目散に逃げろと教わっている。ひょっとすると、これが噂に聞く妖怪なのかもしれない。
 そういえば、私は妖怪というものをまだ見たことが無い。
 見たい。
 せっかくここまで来たのだから、どうせならば見てみたい。
 子供特有の無鉄砲さというか、怖いもの見たさというか、兎に角好奇心が勝った。
 たまきはじっと耳を澄ませて、声の聞こえるのを待った。
「みずがほしい」
 その声はたまきの直ぐ足元の草叢から聞こえていた。
 草を掻き分けてみると、そこには丸くなった一匹のトカゲがいた。掌に収まりそうな、黒い小さなトカゲである。そのトカゲがこちらを見据えて喋っている。
 大人であればそれだけで逃げ出すだろう。しかしたまきは落胆した。
 妖怪というからもっとおどろおどろしいものを想像していたのに、なんだ、ただのトカゲじゃないか。トカゲが口を利いているだけだ。怖くもなんともない。
 たまきはトカゲを拾い上げると、手の上のそれに向かって言った。
「お水がほしいの?」
「みずがほしい」
「ちょっとまっててね、あげるから」
 トカゲを両掌で優しく包んで、落とさぬように、潰さぬように、たまきは家へ向かって駆け出した。

 無事に家の前に着くと、たまきは家に入らずそのまま井戸へと向かった。そして井桁にトカゲを置き、釣瓶に手を伸ばしたその時、
「あっ」
 トカゲを井戸の中へ落としてしまったのだ。
 水の跳ねた音が、暗い井戸の中で幾重にも響いた。
 どうしよう?
 井戸の中には物を投げ入れてはならない。小石を投げ込んで遊んでいたら、こっぴどく怒られた実体験もある。
 また怒られる。
 と、一人でべそをかいていたところへ近所に住む男が通りかかった。
「おう、たまきちゃん、そんなに井戸の中覗いちゃ危ねえぞ」
「あのね、トカゲが……」
「トカゲ?」
「トカゲさんが中に入っちゃった」
「え?」
 男も井戸を覗き込む。
「あー、駄目だな。全然分かんねえや。まあ入っちゃったもんは仕方ねえさ。
 トカゲの一匹くらいなら勝手に入ってるってことも無いってことはないし。案外、トカゲの方も水が沢山飲めて嬉しいんじゃない?」
 この男、たまきを慰めるために適当なことを言ったのだが、それが思いのほか功を奏し、たまきを大いに安心させた。
 そうか。この中にいれば、いつでも水が飲めるのだ。
 たまきは井戸の中に向かって、大きな声で言った。
「トカゲさん、お水いっぱい飲んでね!」
 翌日井戸が涸れた。

「まさかそのトカゲが水を飲み干したって?」
「彼女はそう思ってる」
 訝しげな目をする男に、慧音は答えた。
「いや、お前の言いたいことも解るぞ? 実際トカゲが井戸水を一滴残らず飲み干すなんてありえないからな」
「その話、誰かにしたかい?」
「いや、してない。言ったところでどうしようもないし、それにたまきは私を、秘密を守ってくれる人と信じて打ち明けてくれたんだ。
 例え子供であっても簡単には喋れないさ。……まあ、喋ってしまっているけれどな」
 慧音はばつが悪そうに茶をすすった。
「それで、君はどう思う?」
 男が問う。
「たまきの話を鵜呑みにするわけじゃない。子供は自分の行為や記憶を想像で補って、それを真実だと思い込んでしまうことが結構ある。
 でも現実に井戸は涸れているんだ。まあ、枯れたこと自体はいいんだ。問題はこのタイミングで枯れてしまったことだ。
 お蔭でたまきはあの井戸に責任感みたいなものを感じている。荒唐無稽だが、たまきにとってそれは真実なんだ。だから私のところに打ち明けに来たんだ」
「それじゃあ君は、彼女が井戸を涸らしたことと、失踪したこととは無関係だと?」
「あるとしても薄いだろうな。確かにたまきは、自分が涸らしたと思っている井戸で姿を消した。現場が重なっているんだ。完全に無関係ってことは無いと思うが……」
 慧音は一旦言葉を区切り、溜息を吐いた。
「……一体どんな関連付けをすればいいんだ?」
 前述した、慧音の抱える不安材料のもう一つがこれである。
 たまきが涸れ井戸に特別な感情を持っていることを知っていながら、それがどうしても失踪と結びつかない。別に、責任を感じて行方をくらますような重さの罪でもない。関係がありそうで無い。無いなら無いでいいのだが、どこか据わりが悪い。

 時計の音がコツコツと響く。
 男はじっと何かを考えているらしい。
 お茶を飲み終えてしまった慧音は、時計を見てゆるりと立ち上がった。
「すまない。長居してしまったな。そろそろ帰るよ」
「トカゲは井戸の中には居なかったのかい?」
 男は慧音を無視して言った。
「え? ああ。居なかったよ。まあトカゲだからな。逃げたんだろう」
「蓋を開けて?」
「え?」
「井戸には蓋がしてあるだろう?」
「あ。……いや、でもトカゲだぞ? どこか小さな隙間が一つあれば十分逃げられるだろう」
「そのトカゲなんだけれと、多分トカゲじゃなくてイモリだ」
「は!?」
「君は彼女がそのトカゲを何処で拾ったか分かるかい?」
「え? いや、分からない」
「歴史を読めば確認出来るだろう?」
「それは出来るが……」
「じゃあ確認しに行こう。とりあえずその井戸まで案内してくれ」
 呆然とする慧音をよそに、男はてきぱきと外出の支度を始めた。
 一体なんなのだこの男は?

 慧音は男を連れて夜の人里まで帰ってきた。辺りはしんと静まり返っている。当然だ。大抵の人は眠っている時間である。
 二人は今、涸れた井戸の傍らに立っている。慧音が歴史を読み、男がその慧音を見ている。
(何故私はこんなことをしているんだろう?)
 慧音は歴史を読みながら考える。
 何故私はこの男の指示に従ってしまっているのだろう?
 それはこの無愛想な男が、妙に自信有り気で、かつ何か解った風であるためだ。
 トカゲとたまきの失踪と、一体何が関係あるのだろう?
 そもそも男は何者なのだろう。里の中で彼の姿を見たことは一度も無い。そういえば、私が教師をしていることすら知らない風であった。
 香霖堂といったか。古道具屋らしいが、本当に店なのかどうか怪しいものだ。仮に店だとして、あんな所に店を構えてあること自体がおかしい。誰が好き好んで、あんな場所に得体の知れない物を買いに行くものか。行った所であの無愛想さだ。思うに彼は人間嫌いに違いない。
 ならば店なんて嘘じゃないのか? ひょっとすると、この男はそうやって、単に私を騙して楽しんでいるだけではないのか?
 違うとも言い切れないのが辛い。考えれば考える程怪しい。怪しくないところが無い。
 どうして私は、そんな男に里人にも伝えていない情報をべらべらと喋ってしまったのか。

 さて、じっと井戸を睨む慧音の目には、実際の風景に覆い被さるようにして、ビデオを高速で巻き戻すような映像が映っている。大人たちが井戸を囲み、離れ、水を汲み、離れ、ぶれるほどの速さで後ろ向きに過ぎ去っていく。
 その中に、たまきの姿が見えた、とそこで歴史の逆走にストップをかける。続いて標準速度で再生開始。
 見ると確かに、釣瓶に手を伸ばす彼女の傍らで、黒いトカゲが大人しくしている。やがてたまきの袖がかすって、トカゲは転がるように井戸の中へ消えた。
「終わったかい?」
 男が特に抑揚の無い声で言った。
「……ああ。別にたまきを疑っていた訳じゃないけれど、五日前、この井戸にトカゲが落ちたのは事実みたいだな」
「トカゲの腹は赤くなかったかい?」
「そこまでは見えなかったよ。なんせ井桁で腹這いになってるか、たまきが手で覆っているかなんだから」
「角度を変えて見るとか出来ないかい?」
「そこまでこだわることなのか?」
「まあね。腹が赤かったら決定だから」
 慧音は怪訝な目で男を見るが、男はそれをなんとも思っていないようだ。
 たまきの拾ったものがトカゲかイモリかがそんなに重要なのだろうか?
 きっとそれを言っても仕方が無いので、慧音は再び歴史を読む作業に戻る。時を遡る彼女の眼に、たまきが後ろ向きに駆けて行く映像が映る。
「……これからたまきの行動を逆に辿っていく。トカゲを拾った所まで戻るから、付いて来い」
 そう言って慧音は怪しい男と駆け出した。手がかりの無い今、藁だって掴んでやろうじゃないか。



後編へ続く

 
香霖堂奇譚 | 【2010-10-23(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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