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トリマー



 悪い偶然は続くものだと霖之助は思った。それともこれは良い偶然なのだろうかとも思った。どちらにせよ、重なる時は重なるものだ。

 霖之助の頭を複雑に悩ませているのは、今机の片隅に立てて並べてある「犬用ブラシ」が原因だ。昨日手に入れたばかりの物だが、それ自体は何も珍しい品でもない。幻想郷にも、いわゆる外の世界のペット用品が紛れ込んでくることは多々ある。その品物を見ていると、外の世界の住人が愛玩動物に傾ける情熱は並々ならぬものだと解る。首輪やリードであればまだ易しいが、以前「犬用の服」なるものを見た時は流石に過剰な気もした。この犬用ブラシにしたって形状だけでも七種類ある。しかも形が同じでも、歯の柔らかさや材質、長さ等が違って、なんだかんだで手元には十八本のブラシがあった。こんなに揃えてどうするんだ。しかし、好きな物には徹底して愛情を注ぎたい、手をかけたいという気持ちはよく解る。

 まあ今回ブラシを拾ってきたのは上の話とは一切関係無い。単に保存状態が良かっただけだ。だからといって、売り物になるかというと、ならないだろう。幻想郷でペットを飼う人は少ない。いないわけではないが、外の世界のそれと比べてしまうと明らかに情熱が劣る。霖之助自身動物は飼っていないし飼うつもりも無い。
 こうして犬用ブラシは、何もなければ霖之助のコレクターズアイテムとして香霖堂の片隅に余生を過ごすこととなった。

 なったのだが、

 現在、香霖堂には珍しく客が来ている。
 それも香霖堂に訪れる客の中では断トツで良識のある客が来ている。
 その客は霖之助に背を向けて、棚の物をあれこれ物色しながら、ふわふわとした九本の尻尾を波打たせているのだ。

 霖之助は長い間、さやさやと音を立てる悩ましげな尻尾を覗き見ていた。
 彼女はこちらに気付いていない。
 手元には数々のブラシ。
 目の前でなびく麗しい九本の尻尾。

(梳きたい……)

 さっきからブラシを使ってみたい衝動が湧き上がって仕方がない。尻尾が視界に入るたび、目を背ければ背けただけ余計に、あの黄金色の被毛を丁寧に徹底的にブラッシングしたいという欲望が高まってどうしようもない。彼女が来店してからというもの、頭の中で何回シュミレートを展開したか解らない。うっかりすると手を伸ばしかけて、慌てて正気に戻って引込めたりもする。
 おっと危ない。
 彼女はこちらに気付いていない。よし、セーフだ。

 なんで今日に限って彼女がやって来たんだろうか。こんな魅力的な尻尾を目の前でふっさふっさされたら、接客にしろ何にしろ集中なんて出来っこない。
 ちらりとブラシを見た。ああ、ブラシが囁きかけてくる。「僕を使ってよ」と訴えてくる。畜生、お前たちは付喪神になるにはまだ早いだろうが。
 思い切って頼んでみようか? いやいや駄目だと霖之助は首を振る。相手は八雲藍だ。あの紫の従者だぞ? 犬用ブラシの性能を試したいので実験台になって下さいなんて逆立ちしても言えるものか。
 ああ、もやもやする。頭の中で天使と悪魔が無駄な論争を繰り広げる。

「いいじゃない。狐だってイヌ科よ。別に減るもんじゃないし、第一あんな蠱惑的な尻尾を振りかざす方が悪いのよ。それもわざわざ貴方がブラシを手に入れた直後に現れて、これはもう誘っているとしか思えないわ。偶然? いいえ、運命よ。彼女は貴方に隅から隅までグルーミングされる運命にあったのよ!」

(いや、しかしね)

「そうですよ。はしたない真似をしてはいけません。彼女は素晴らしい女性です。きちんとした分別のある良客です。毛繕いさせて下さいなんて訴え出てみて御覧なさい。きっと彼女は、貴方を頭のおかしな人だと思うでしょう。そうしたら今までの関係性が崩れるどころか、彼女の背後に構える八雲紫が、どんな恐ろしい罰を与えてくるか解りません。ここは大人しく空気を読むのです」

(そう。そうだよな)

「なに甘いこと言ってんのよ? そんな受け身でどうするの? すぐ手に届くところに貴方の夢があるじゃない。今こそ掴み取る時よ。ほら見なさい、あの油断しきった尻尾を。彼女は完全に貴方を信頼しているのよ。つまり悪くは思っていないってことじゃない。多少強引に迫ったところで、拒否なんてしないわよ。むしろそれを待っているのよ。ここが運命の分かれ道! 動きなさいよ! ほら、ほら!」

(ああ、確かにあの尻尾を存分に触れたらと思う)

「いけません。あなたはそんな欲望に流される人では無いはずです。彼女がそんなことを望んでいると思いますか? 自分の行動を管理できてこその大人ではありませんか。一時の感情に身を任せて、人生を崩落させた例など多々あるでしょう? この場で貴方が取れる最良の行動は、この空気を壊さないことです。それに考えてもみて下さい。通常獣は尻尾を触られることを嫌がりますわ」

(そうだった。危ない所だった)

「あら、触りもしないで嫌がるなんてどうして解るのかしら。毛繕いは気持ちのいいものよ? 貴女だって、髪を梳かれるのとか好きでしょう?」
「それは否定しません」
「何も店主は乱暴に事だけ済ませたいと思っているわけじゃないのよ。そうね、感覚としては芸術品を愛でるのに近いわ。それが悪いことなの?」
「それ自体は問題ありませんわ」

(おい待て、天使どうした)

「だったらいいじゃない。店主は思う存分尻尾のほわほわ感を堪能して、彼女は艶やかな毛並みを手に入れる。消費するのは時間だけよ。誰も損をしないじゃない」
「果たして彼女がそれを良しとするかです」
「良いに決まってんじゃない。こんな辺鄙な店にわざわざ顔を出すのが証拠よ」

(辺鄙な店とは何だ)

「いいえ。彼女がこの店を訪れるのは仕事です。そうでなければ、何故このような退廃的な店を訪ねるのでしょう?」

(退廃的とは何だ)

「それこそ、なにか目的があると穿ってみるべきね。今回ははっきりしているわ。店主にブラッシングされることよ!」
「その決めつけが危ういのです。ここは空気を読んで、じっくり様子を見るべきです」
「決めつけ? 否定しようのない偶然が積み重なったらそれは運命と呼んでいいのよ。様子見なんかで事態は動かないわ」
「行動するタイミングを誤るなということです」

(それは同意だ)

「じゃあ、タイミングを間違えさえしなければ行動したっていいのよね」
「それが正しければ構いませんわ」

(えっ? いいの?)

「正しければという仮定の話です。貴方が正しいと思っても、それが彼女にとっての正しさになるということではないでしょう? だから、しばらくは空気を読むべきなのです」
「じゃあ例えばよ、貴女が彼女の立場だったとして、髪を梳かしてもいいかと迫られたら断る?」
「断りません」

(断らないのかよ!)

「私の髪を梳くことで貴方が満足するのであれば、私は喜んで空気を読みましょう。髪に触れられることは苦ではありませんし、それで殿方が満たされるのであれば、私も女ですから、嬉しくないと言えば嘘になります」
「ほら御覧なさい。要するに貴女は、店主の満足する顔を見て自分も満足するのでしょう? だったら声をかける前段階から、彼女の気持ちはどうだとか、嫌がるかもしれないとか、うだうだ考えるのは愚かよ。そりゃ最初は驚くかもしれないわ。でも結果的に満足させてやればいいのよ。男に喜ばれて嬉しくない女なんていないわ」
「そういう真実ももちろんありますわ」

(おい、天使流されてるぞ。ちょっと頑張れよ)

「しかし事実は事実です。貴方は彼女を害しようとしているのではないし」
「大丈夫行けるって! 運命が貴方にお膳立てをするわ。据え膳喰わぬは男の恥と言うじゃない。あんな獣なんか手玉にとってやりなさい。もういっそのこと飼ってみるってのはどう? 彼女多分あれよ、人に仕えることに喜びを見出すタイプよ。貴方と相性いいんじゃない?」

(人聞きの悪いことを言うな)

「天使もどっちかっていうとそうよね。周りに合わせて自分を貫けないタイプ」
「そういう貴女は誰かの上に立って初めて自分を確立できるタイプですね」
「当然じゃない、悪魔だもの」
「意外と寂しがり」
「おーっと、何か屑の呟きが聞こえたぞ」
「あら御免なさい。忘れて下さいませ」

「二人ともちょっと黙ろうか」
「はい?」
 藍が出し抜けにこちらを振り返った。
「えっ」
 霖之助はぎょっとして、しばらく身動きが取れなかった。藍は不思議そうに、
「私の他に誰かいるのですか?」
「あ、いや、そういうことじゃないんだ。いや、うん、何でもない」
 藍は上品に首を傾げ、霖之助をまじまじと見た。非常にいたたまれなくなった。変な汗が出てきた。何もしていないのに、いや何もしていないからこそ、頭の中で彼女を捏ね繰り回したわけで、罪のない罪悪感のようなものが、生きた泥のように這い上がってきた。

 何を考えているんだ僕は。
 軽く頭を振ると、普段の調子で藍に言った。
「本当に何でもないんだ。ちょっと考え事をしていたものでね。邪魔をしてしまったのならすまない、謝るよ」
「いえ、邪魔だなんて思っていません。ただ少し……」
 藍は言いにくそうに口を噤んだ。
「なんだい? 気になるな」
「いえ、少し視線を感じたもので。私の背中に何か付いていました?」
 どっと汗が噴き出た。
 うわあ、しっかりばれてるぞ。どうするんだこれ? 背中に何か付いてますかって、そりゃ付いてるだろう魅力的な尻尾が。
「店主殿?」
 藍が澄んだ目で見つめてくる。正直、目を合わせるのが辛い。しかしここで目を逸らしたら、いかにも疚しい気持ちを持っていますと告白するようで、霖之助は意地で目を合わせ続けた。
 しばらく無言で見つめあった。これはこれで駄目だ。
 ああもう詰みだこれは。どう考えても不審に思われている。

 諦めて視線を外すと、藍も合わせて彼の視線を追った。顔の先には、たまたまブラシが並べてあった。
「それはトリミング用のブラシ?」
 ぎゃー、もー最悪だ。都合よく隕石とか落ちてこないかなあ。くるわけ無いよなあ。
 仕方ない、腹を括るか。首括るよりましだ。なんかもうどうでもよくなった。
「藍」
 霖之助は彼女と真剣に向かい合った。
「はい」
「尻尾を触らせてくれないか」
「構いません」
 頭の中で天楽が鳴った。暗い夜道に一気に視界が開けたようだ。うっかり会心の笑みを浮かべるところだった。
 藍は霖之助の豹変に一瞬驚き、そしてくすくすと笑った。
「そんなことをずっと考えていたんですか?」
「ああ、君が来店してからずっとね。変に思わないでくれよ。そんな見事な毛並みを見せられたら堪らないだろう。でも本当にいいのかい?」
「ああ勿論。橙もよく戯れてくるし、店主殿も尻尾がお好き?」
 と、悪戯な顔をした。彼女がそういう少女じみた仕草をするのがやけに意外だった。
 霖之助は自分でも知らなかった自分の一面を暴き立てられるようで気恥ずかしくなったが、今更退こうとはこれっぽっちも思わない。千載一遇のチャンスである。悔いの残らぬよう、誠心誠意毛並みを整えるのだ。
 手に入れた十八本のブラシの中から、長毛種用であろう選りすぐりの七本を取り出して、ついでに引き出しから最高級の柘植櫛と椿油を取り出すと、意気揚々と縁側に席を移した。

  ◇

「痛かったら遠慮なく言ってくれよ」
「ああ。それではお手柔らかに」
 さっそく尻尾を一つ手に取ると、最も目の粗いブラシを選び、根元から軽く毛並みを解していった。
 毛の流れに逆らわず、力を入れすぎないように気を付けながら、丁寧に時間をかけて、万遍なく梳っていく。
「大丈夫?」
「ええ、上手いものですよ。経験あります?」
「いいや。最近じゃ、魔理沙の髪を梳いたくらいだな」
「そう」
 ブラシを毛の硬い物に変えて、軽く撫でるように歯を通す。時々指を這わせてみる。ふわふわだ。これで襟巻を作ったらさぞ暖かいだろう。いや何でもない。
 あらかた毛が柔らかく解れたところで、またブラシを持ち替える。引っ張らないように注意しながら、毛の縺れた個所は金属製の櫛に持ち替えて根元から解いていく。

 これは楽しい。
 霖之助はうきうきしながら、どこまでも丁寧にブラッシングをしていく。これがまだ後八本もあるのだ。やめられねえ。ああ恐るべし九尾の狐。
 藍もまんざらでもなさそうだ。霖之助に尻尾を委ねきって、されるがまま頬を緩ませている。

 実にうららかな時間だった。
 暑すぎず寒すぎず、十二分咲きとなった桜がさやさやと両翼を鳴らして、肌に当たる風は爽やかで、時々聞こえる小鳥の声が、のんびりと眠気を誘う。
 霖之助はようやく一本目の尻尾を梳き終わると、目印に緑色のリボンを巻きつける。そして休まず次の尻尾を手に取る。
 会話は一切無かったが、正確には必要なかったのだ。
 やがて藍は尾を撫でられる感覚と、快い陽気にやられて、うとうとと眠りに落ちた。

 たっぷり数時間後、霖之助はとうとう九本の尻尾全てをブラッシングすることに成功した。大満足だ。終わるのが惜しい。あと十二本くらい尻尾があってもよかったのになと無茶な空想を抱いた。
「終わったよ」
 声をかけたが返事が無い。そこで霖之助は初めて、藍が眠っていることに気が付いた。きっと、退屈させてしまったんだろうなと彼は頭を掻いた。暇潰しの本くらいは用意しておくべきだったか。
 しかし九尾の狐の寝顔など見るのは初めてだった。寝惚けてうっかり狐の顔を晒したりしないだろうかとぼんやり眺めてみたが、もちろんそんなことは無かった。肩を揺すってみたが起きそうにない。今日は天気も良かったし、これほど気持ちよさそうに眠っていると、何となく起こすのも惜しい。

 もうちょっとだけ、ブラシを入れてもいいかなと思った。その後でちゃんと起こして、お茶の一杯でも出そう。
 霖之助は再び櫛を手に取って、もうこれ以上ないほど美しく整えられた尻尾を手に取ると、不意に彼女の帽子が目に入った。
 そろりと立ち上がって、慎重に帽子を脱がしてみる。
 三角の大きな耳が、凪いだようにぴょこんと飛び出した。
 ああ、耳は狐のままなのか。
「……」
 しばらく無言で眺めた。
 触りたい。
 彼女は寝ている。今しかない。
 思うが早いか耳かきと清潔な布を持ち出して、そっと耳をつまんだ瞬間、
「ひぅっ!!?」
 藍が上ずった悲鳴をあげて跳ね起きた。
 霖之助は慌てて手を引いた。危なかった。もう少しで耳かきを突き刺す所だった。
 藍は何が起こっているのかよく解らないふうに、少しの間きょろきょろとしきりに辺りを見回していたが、やがて霖之助と目が合うと顔を真っ赤にした。
「あ、ええと、耳は……いいから」
「あ……うん。すまない、無神経だった」
 お互いなんとなく恥ずかしそうに、目線を逸らしてばかりだった。ぎくしゃくした気まずい空気がひとしきり流れた。さっきまでのうららかな空気はどこへ消えたのか。こういう時にこそ心の中の天使は警告してくれるべきじゃないのか? 霖之助は一つ、気を紛らすように咳をすると、
「すまないね、つまらないことに付き合わせてしまって。でもお蔭で大満足だ。どうもありがとう」
「いや、こちらこそ……て、えっ! こんな時間!? すまない、私は帰るよ。では店主殿、またそのうちに!」
 言うが早いか、藍は大急ぎで香霖堂を去って行った。
「……またのご来店を」
 霖之助は満足感と、微かな無念を同居させつつ、誰もいない店内にぼそりと呟いた。

  ◇

 帰るやいなや、橙が飛びついてきた。
「藍様おかえりなさい!」
「ああ、ただいま橙」
 抱き返すと、目の前からするりと音もなく紫が現れた。
「お帰りなさい」
「只今戻りました。申し訳ありません、遅くなってしまって」
「いいのよ」
 と、紫はくすくす笑っている。首を傾げると、後ろから尻尾にぐるぐる巻きになった橙が叫んだ。
「わあ! 藍様の尻尾すべすべだ! それにいい香りがするー! ふふー!」
 紫も屈みこんで、
「あら本当。トリートメントにでも行って来たのかしら」
「え、いいえ、そういう訳では」
 でも、月一くらいで行ってもいいかなと、ふっと思いよぎると、再び橙が叫んだ。
「あ! 藍様、このリボン可愛い!」
「え、リボン?」
 橙は尻尾に頬ずりしながら、喉を鳴らして離れない。藍はあたふたと自分の尻尾を追いかけてくるくる回る。
 それを見ていた紫が、
「はい、忘れ物」
 と藍に帽子を手渡した。
 一瞬あっけにとられて、やがて見る見るうちに顔を赤くする彼女を、紫は楽しそうに眺めていた。




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                               終   20110510
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その他 | 【2011-05-25(Wed) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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