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あめふら

Author:あめふら
二次創作のお話を書いたり、書かなかったり。
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pixivで描いた漫画をまとめました。


『OVERCOLL2』 とらのあな
booth
制作
作ったものを売っています。


『レジンフィギュア・物部ハト』 とらのあな

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香霖堂奇譚 第四話  衝立の目





「これですか?」
 上白沢慧音は神妙な顔をして言った。
 隣では若い女性が、目をおどおど小動物のように動かしながら小さく頷く。
「見たところ、変わった所もありませんが……」
「そうなんです、そうなんですが……」
 女性は目を伏せて、
「でも、確かに見たんです。本当なんです」
「あ、いえ、疑っているわけではありませんから」
 慧音は慌ててそう返した。大人というにはまだ少女の面影を残したその女性は、それでもやはり申し訳なさそうに、
「すみません、先生もお忙しいのに……でもやっぱり気になってしまって」
「ご主人は何て?」
「馬鹿らしいと一笑にされました。見間違いだろう、って。わざわざ誰かに話すことでもない、とも言われました。だから、こうして先生に相談していることも、主人には内緒なんです。けれど……」
「いえ、いいんですよ。どうか何でも気軽に相談下さい。不安に思うのなら尚更です。私はいつだって味方に立ちますから」
 そう言うと、女性はようやく安堵の表情を見せた。しかし瞳の奥には、消しきれない不安の色がありありと見える。
 慧音はその視線を追ってくるりと振り向いた。
 さて、と思う。
 目の前にあるのは何の変哲も無い衝立だ。
「この衝立の向こうから、誰かが覗いていたと言うんですね?」
 確認するように言った。

  ◇

 幻想郷もいよいよ春らしい気候となった。
 まだ日陰にはこびり付くように雪が残るが、新芽が萌え花が綻び、パステル色の絨毯が冬の間の遅れを取り戻さんとして、世界は俄かに色めき立っている。空気までもが若々しい爽やかさと、温かみをもって佇ずみ、何をしたわけでも無いが、不思議と祝福されているような気分になる。

 ところがこの古道具屋ときたら、まるで季節感というものが無い。時間が止まっているというか、時間すら愛想を尽かして進むのを諦めたといった感じで、いつだって埃っぽく、黴臭くて、散らかっている。
 うきうきするような春の空気をたっぷり呼吸してきた慧音にとって、その閉塞感は余計に際立った。
「たまには換気くらいしたらどうだ?」
「してるさ、ちゃんと」
「毎日?」
「月一」
「そういうのは、ちゃんとしているとは言わないぞ」
「いいじゃないか。古道具屋にとって埃っぽさは演出の一つだし、君の家でも無いだろう。好きにさせてくれ」
 そう突慳貪に言われてしまうと、慧音としては返す言葉が無い。
 まったく、初めて会った時からまるで変わらないなと、慧音は男の顔を眺めた。
 銀髪に金眼で、客観的に見ても整った顔立ちだと思う。その顔を見て、慧音は「蛇みたいだな」と感じたことが一度ならずある。口を開けば舌が回るし、暗い所に潜みたがる。
 思えば彼とは何度か行動を共にしたが、私は彼のことをほとんど何も知らない。積極的に知りたいと思ったこともないし、それらしい行動をとったこともない。逆に、彼が私のことを、事細かに訊ねてきたことも無い。奇妙な話で、時々彼とは何時間も会話を交わすのに、驚くほどお互いのことは知らなかった。

 一度、何も無い時に里に引っ張り出してみたいな、と慧音は思った。きっと仏頂面で、いかにも不機嫌に、つかつかと早足で歩くのだろう。一緒に歩いていても、多分面白くも何ともない。気が滅入る。やめよう。
 やがて見られていることに気付いたらしい男が不意に見つめ返してきたので、とっさに視線を逸らした。逸らした後で、別に逸らす必要も無いよなと心で呟いた。

「今更なんだが……」
 と、慧音は言葉を選ぶようにして言った。
「何?」
「あのさ、お前、名前は何て言うんだ?」
 男はきょとんとして、
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「そうか」
 と、言ったきり沈黙した。慧音は時計の音を聞きながら、男が口を開くのを待っていた。一向に開かなかった。
 名前を聞いただけなのに、なぜ沈黙で返されるのだろうかと、慧音は男を睨んだ。男は視線に気付きもせず、何か考え込んでいるようだった。
 もしや自分が名前を教えるに足りる人間であるかどうか吟味されているのかもしれないと思うと、慧音は何故だか急に恥ずかしくなった。考えてみれば、本当に今更である。しかし、名前を知らなくて不便したことは一度も無かったのだ。今にして思えば不思議である。彼の中では私は、どこか抜けた女と認識されているのかもしれない。
「霖之助だ」
「えっ?」
 不意に言われて反応が遅れた。
「名前だよ。霖之助。春だからって、ぼーっとしないでくれ」
「あ、ああ、うん、ごめん」
 歯切れ悪く返すと、気を切り替えて、今聞いた名をゆっくり反芻した。
「りんのすけ……りんのすけ、か……。どういう字を書くんだ?」
「霖。雨冠に林だ」
「ああ……そうか。なんだか、ぴったりな名前だな。もちろん良い意味でだぞ。えっと、苗字は?」
「苗字? ああ、じゃあ森近で」
「森近か……『じゃあ』!?」
 慧音は頓狂な声を上げて飛びついた。
「ちょっと待て! じゃあって何だ、じゃあって! 今考えましたみたいな言い方して!」
「解りやすいだろう? 森の近くに住んでいるから、森近」
「本当に今考えたのか……」
 ぐったりと体の力が抜ける。
「え? なら『霖之助』も偽名なのか?」
「偽名って人聞きの悪い」
「だって、普通の人は偽名なんて使わないぞ」
「何で使わないんだ?」
「はあ!?」
 まさかの返答である。あっけにとられて二の句が継げない。
「慧音というのは本名かい?」
「ああ」
「他に名前は?」
「あるわけないだろ」
「二、三個持っておいた方がいいよ。便利だから」
 当然のように言う霖之助に、慧音は改めて思った。こいつは一体どんな人生を送ってきたんだ?
「あのなあ、何が便利なのかよく知らないけれど、親に貰った名前を捨てるようなことは……」
「名というのは存在を縛る呪だ」
 霖之助が慧音を遮って言った。
「真名は特にね。迂闊に教えてはいけない。許されるのは両親と、あとは配偶者くらいかな。諱といってね。昔はよくやったんだけれど……」
 と、少し言葉を切って、
「名前というのは言ってしまえば、ただの言葉だ。音だ。けれど人々はその言葉に特別な意味を見てしまう。そして引きずられるのさ」
「何に?」
「言葉にね」
 妙に真剣な面持の霖之助に、慧音は解ったような、解らないような返事をした。言っていることは解るのだが、実感が湧かない。問い返そうかとも思ったが、何やら話が長くなりそうな予感がしたので、話題を変えることにした。
「ところで、ここは一応道具屋なんだよな? 衝立ってあるか?」
「衝立? もちろんあるが……」
 霖之助は一瞬当惑の表情を浮かべたが、すぐに感激したような声で、
「ふむ、そうか、とうとう何か買ってくれる気になったのか。どういうものが欲しい? 色とか形の好みはあるかな? どこに置くつもりでいる? 特に指定が無ければこちらで適当に見繕うけれど、そうだな、予算くらいは聞いておこう。幾らだ?」
 霖之助が思いがけず商人の顔を見せたので、慧音は慌てて両手を振った。
「いや、欲しいわけじゃないんだ。その、ちょっと聞きたいことがあって、参考までにさ。実は里で……」
 言うと、霖之助はがっかりと肩を落とした。
「またか。あのさ、君は香霖堂に何をしに来ているんだい?」
「そう言わないで聞いてくれよ。お前、道具屋を自称するくらいだから、道具には明るいんだろう?」
「まあね。ということは、今回は衝立が関わっているのか」
「ああ」
 慧音は頷いた。

  ◇

 その晩、彼女は不意に目を覚ました。
 目を覚ましたといっても、体を起こしたり布団から抜け出たわけではない。微睡の中でわずかに目が開いた、その程度だ。目を瞑れば、きっとまたすぐに眠りに落ちる。
 後から彼女が言うには、目が覚めたのはいわゆる丑三刻といった時刻であったそうだが定かでない。

 薄く開けた彼女の目には、ぼんやりと霞がかったように、枕を並べた、最愛の夫が眠っているのが見える。その寝顔をぼうっと眺めているうち、彼女は言いようの無い幸福を感じて一人微笑んだ。
 愛する人が自分のすぐ横で寝息を立てているというのは、なんと幸せなことだろう。私はこれから、この寝顔をいつだって見ることが出来る。それはなんて幸せなことだろう。彼女の体は芯から幸福に震え、瞳にはうっとりと夢見るような輝きが浮かんでいた。

 実際、夢のようだ。出会ってから一年、籍を入れてから一月。彼女は幸せの絶頂にいた。何一つ憂うことなど無く、目に見える世界の全てが蜂蜜酒のように甘い。ろくな貯えもない若い男女の門出は、この上なく順調だった。

 というより、初めから障害など無かった。彼と彼女は互いに一目惚れで、付き合ううちに、彼は彼女の夢見がちな危なっかしい穏和さを、彼女は彼の不器用な実直さを深く愛するようになった。
 一月前、彼が顔を真っ赤にしながら「自分の妻になってくれ」と強く言ってくれた時には、嬉しくて涙が止まらなかった。
 そして二人の結婚は誰しもに祝福された。

 ああ、これ以上の幸福が果たしてあるだろうか?
 以前彼女がそう呟いたとき、彼は言った。「それ以上の幸福を、見つけるための結婚だ」と。それを聴いた彼女は、その瞬間に早くも「それ以上の幸福」を見出したのだった。
 以後更新は止まることなく、まさに現在、彼女にとって間違いなく今こそが幸せの絶頂であった。

 となると自然、今度はその幸福を失うのが怖い、となりそうなものだが、彼女に不安は欠片も存在しなかった。彼と一緒なら大丈夫、というまるで根拠のない幻想が彼女を無敵にしていたのだ。
 こうして私は、彼の寝顔を見ることが出来る。いつだって出来る。私だけが出来る。それを思うだけで何も怖くなかった。彼女は幸福の坩堝に嵌っていた。そして、彼もそうであることを祈っていた。

 頭の位置を少し直して、布団を肩まで引き上げ直し、天井を見上げた。ひどく狭い家であったけれど、彼女にとっては宮殿よりも豪華だった。壁の方へと目をやると、四角く窓が開けられていて、雨戸の隙間から青白い月光が射している。そのまま視線を下げると、光の筋は壁と布団の間に立ててある衝立に遮られ、そのため衝立は幻想的に仄光り、表面に丸い模様が浮かび上がっている。

 と、妙な違和感があった。あの衝立は無地のはずだ。何かの影だろうか? よくよく目を凝らしてみると……

  ◇

「それがどうも模様じゃなくて、目だったと?」
 多少興味を示したらしい霖之助が出涸らしを啜りながら言った。
「ああ」
 慧音が答える。
「怖いじゃないか」
「怖いだろう? それでまあ、私のところに相談に来たんだ」
「その衝立っていうのは、屏風みたいに折れ曲がる型かい?」
「いや」
「高さは?」
「三尺程度かな。元々は襖だったものを加工し直したって感じだ」
「で、無地と。なるほど想像できた。その後、新妻さんはどうしたんだ?」
「気が付いたら朝だったそうだ」
「ああ、ありがち」
「それで、お前に聞きたいのはな、実際そういうことはあるのかってことなんだが……」
「見た人がいるってことは何かあるんじゃないのか?」
「その何かに心当たりはあるか?」
 霖之助は少し考えてから、
「普通、衝立とか屏風、襖の類が問題を起こす場合って、そこに描かれている絵が原因であることが多いんだ。でも無地なんだろう? とすると、付喪神になるくらいの年月を過ぎた家具であるとか、何か曰く謂れがあるとか、そういうことになるんだが」
「古い物ではなかったな。聞いた限りではそれらしい因縁も無い」
「嫁入り道具?」
「いや、ご主人が持っていた物らしい」
「見ていて、何か直感的に嫌な感じとかした?」
「いいや。全く」
「その家には以前から怪異があった?」
「無い」
 霖之助は溜息をついた。
「じゃあ解らない。お手上げだ。見当がつかない。というか、別にいいんじゃないか? 見ているだけなんだろう? 衝立だってたまには見聞を広めてみたくなることもあろうよ。昔から壁に耳あり障子に目ありといって……」
「それは違う」
「そうかもしれない。君はどう思う?」
「正直な話、私は九割方見間違いだと思っているんだ」
 慧音が言うと、霖之助が欠伸を途中で噛み殺して意外そうな顔をした。
「根拠を訊いてもいいかな?」
「目撃者が彼女だけということだな。それも真夜中に、寝惚け眼で、月明かりだ。普通は見間違いを疑うさ。それと、見たのがその一回きりだったっていうのも根拠の一つ」
 霖之助は頷きながら慧音の話を聞いている。慧音は続ける。
「というか、見間違いであってほしいんだ。人里の中で怪異が起こるっていうのは、あまり歓迎された事態じゃない。しかも往来ならまだしも、今回は家の中だ。襲われたとか噛みつかれたとか、そういう実害があったわけじゃないけれど、でも寝ている最中に枕元に何かが現れるっていうのは、それだけで皆の不安を煽る。そうやって不安が広まってしまうと、今度は本物の妖怪が入ってきやすいんだ。心の乱れが妖怪を招く、ってお前の受け売りだけれど」
「この話を巫女の所に持って行かないのはそういう理由かい?」
「なるべく隠密に処理したいってのが本音ではある」
 霖之助は肩を竦めて、
「それじゃあ答えは出てるじゃないか。その新妻さんを早いところ言い包めてしまえばいい。あなたの見たものは完全に百パーセント問答無用で見間違いですよ、ってね」
「いや、まあ、うん。そうなんだが……」
 慧音は視線を泳がせた。
「それをしないってことは何か理由があるんだな? どれ、見間違いだと思わない残り一割の理由は何だい?」
「……えっと、心証的な理由」
「ん? その新妻さんに同情でもしたのか?」
「平たく言うとそうだ」
「何でさ?」
 訊かれた慧音はしばらく頭を抱えていたが、やがてしぶしぶと口を割った。
「あー……ええと……あの、これは私個人の見解じゃなくてな、客観的な意見というか、里の共通認識というか……ああでも、何だかそう言うとちょっと狡い気がするけれど、とにかく皆知っていることで、あえて言わないというか、でもそれが問題ということじゃなくて……」
「つまり?」
「……盲信的なところがあるんだ。その子」
「……は?」
 流石の霖之助もぎょっとしたらしい。口を半分開いたまま、
「それは……つまり新妻さんが、自分が見た怪異の存在を頑なに主張して譲らないってことか?」
「いや、そうじゃない」
「じゃあ何?」
「ご主人にさ。好きで好きで堪らないらしい。だから自分の全てを預けているみたいなところがあって……」
 慧音は溜息をついた。霖之助は首を傾げる。
「ええと、それの何が問題なんだ?」
「修羅場になっちゃって」
「えっ?」
「ご主人の方は、今回の事件を早々に見間違いだと結論付けていてな、あまり事を大きくしたくない、というか何処にも出したく無かったみたいなんだ。それを彼女が勝手に私に相談して、しかも件の衝立を検めているときに、丁度ご主人が帰って来たものだから、それはそれは不機嫌になりまして……」
「あー、お気の毒に」
「この程度のことで人様の手を煩わせるなとか、お前はもう少し考えてから行動しろとか、二言三言文句を言ってすぐにまた出て行ったんだけれど、彼女がさ、ほら、その、そういう性格だから、ひどく応えて。世界の終りみたいな顔になっちゃって、ぼろぼろ泣いて……。いや、解ってる。ご主人の方が正しいことを言っているんだとは思うんだけれど、でも彼女だって考えてさ、自分の見たものがご主人に何らかの害を及ぼさないか、これだけが心配で相談に来たんだ。だから、その、なんと言うか……」

 そこで言葉を切ると、慧音は散々悩んだ挙句、
「少しだけ思ったんだ。実際にそういう妖怪がいてほしい、って」
 と呟いた。霖之助は黙って聴いている。
「それで、ちょっとだけ彼女に与したい気分に……」
 言ってしまうと、普段妖怪を追い出す側の人間が、何を言っているのだろうと心中虚しくなった。
 それから短い沈黙があった。

「お茶、お替りは?」
 霖之助が言った。
「あ、いい。いらない。ごちそうさま」
「そうか。じゃあ金平糖でも?」
「ああ、そうだな、それは貰おうかな」
 少しして、ガラスの器に盛られた金平糖がカウンターに置かれた。
 つまみながら霖之助が言う。
「そういうことを思っていると、実際ただの衝立でも、本当に妖怪化してしまうよ」
「そうなのか?」
「そうさ。神も妖怪も、要は思いの形だから。君もその新妻さんも、見間違いなら見間違いで、早くけりを付けてしまった方がいい」
「解ってるよ。解ってるけど……」
 覇気の無い声で慧音が答えた。
 上白沢慧音は博愛者である。誰が何と言おうと、彼女は困っている人を放っておけないし、甘いと言われようと何だろうと、目に映る全てが救われてほしい。まして相手が、本人の目の前で「味方になる」と公言した人物であるなら、出来る限り八方円満に収めたいと願うのは自然だろう。それが結果として慧音に二の足を踏ませている。
「出来なければ、いっそ衝立を処分してしまうんだ。捨てるなり焼くなり、もし売るっていうのなら引き取るし」
「それは難しいと思う。あれ以来ご主人が少し意気地になって、頑として手放すつもりは無いみたいなんだ。実は私も何度か口を出したんだけれど、首を横に振るばかりでな」
「他人事だけれど、大丈夫なのか、その夫婦は?」
「うん……心配だよ」
「夫婦仲は良かったんだろう?」
「だからこそ余計に」
 そう言って大きな溜息を一つ吐くと、顔を上げて無理矢理な笑みを浮かべた。
「悪いな。なんだか愚痴っぽくなって」
「いやいいさ。とりあえず、件の衝立を拝むとしようか」
 霖之助が席を立った。

  ◇

「道具屋さんですか?」
 疲れた顔をした少女が、戸を半分閉めたまま品定めするように霖之助の顔を覗き込んだ。
 眉間に皺を寄せる霖之助を、慧音が横から小突いた。
「ええ。あの衝立の話をしたら、ぜひ拝見したいと申し出て来まして」
「はあ。あの、ですが、主人から『この話はもう終わりだ』と言われているので……」
「ちょっと見てもらうだけなんです。手間は取らせませんし、すぐ帰ります。私も少し気になることがあって」
「一目見るだけでもいいんですが」
 と、霖之助も続けたが、彼女は俯いて、
「でも、主人のいない間にまた勝手に人を上げたりしたら……」
 声は徐々に小さく、そのうち涙目になり始めたので、慧音は慌てて言った。
「あの、それじゃあ、私たちは家の中に入りませんから、例の衝立をここまで持って来てもらえますか?」
 しかし彼女は首を振って、
「出来ません。主人に『触るな』とも言われているんです」
「はい?」
 慧音と霖之助は顔を見合わせた。
「あの……」
 戸の陰から、彼女がおずおずと言った。
「あの、先生。先生が私の為に、何とかしようとしてくれているのは、本当にありがたいんです。
 でも、もういいんです。私から相談しておいて申し訳無いんですけれど……。
 確かに、あの衝立は怖いです。けれども、主人に突き放される方が、もっともっと怖いんです」

  ◇

「おかしい」
 近所の茶屋で饅頭を齧りながら霖之助は眉を顰めた。慧音も顎に手を当てながら、どこか腑に落ちない顔をしている。
「旦那さんは今回の怪異を見間違いだと思っているんだよね?」
「ああ。そう言っていたな」
「じゃあ『触るな』って何だ? 新妻さんが自分から怖くて触りたくないっていうなら分かるけれどさ」
「うーん……」
「旦那は何を警戒している?」
「……ひょっとしたら、見間違いじゃ無かったのかもしれない」
 慧音が静かに言った。
「実は旦那も、衝立に浮かぶ目を見ていたってことかい?」
「ああ。けれど、彼女を怖がらせたくなかったから、何もなかった風を装っていた、と」
「ありそうな話だなあ。どうだい? 妖怪がいてくれそうで嬉しい?」
 むっとして顔を上げた。
「嬉しいもんか」
「それは結構」
 霖之助は微笑していた。時々、彼は他人が困るのを見て楽しむ性質なんじゃないかと疑いたくなる。
「とにかく、もう一度あの衝立を検めないといけないな」
「それはいいけれど、どうするつもりだい? 家には入れてくれそうにないし、無理に入ったら大騒ぎだ。強盗は妖怪よりも恐ろしいからね」
「事情を話せば何とか……難しいか」
「だね。彼女はご主人に忠実だから。本当、想像以上にひ弱な人だったな。旦那さんからの手引きは期待できる?」
「無理だと思う」
「そうか。ちなみに旦那さんって何をしている人だい?」
「里大工の一人だ」
「へえ」
 そこで会話が途切れた。二人とも無言でお茶を飲んだ。霖之助は饅頭を無理に押し込むと、お茶で一気に流し込んだ。
「たまに甘いものを食べるとやたらと美味く感じるな」
「ああ、それ解る」
 慧音はすでに食べ終わっていた。
「旦那さんの職場はここから近い?」
「行ってみるか?」
「そうだね。顔くらい見ておこう」
 それから二人は茶屋を後にした。代金を霖之助が払ったのが、慧音には物凄く意外だった。

  ◇

 旦那は慧音の顔を見ると、露骨に面倒臭そうな顔をした。
「もう話すことは無いんですが」
「まあ、そうかもしれないけれど、少しだけですから」
 彼は盛大に溜息をつくと、
「また衝立の話でしょう? そっちの人は?」
 と、霖之助を鋭く睨んだ。彼自身は睨んだつもりは無いのだが、元々眼光が鋭いのだ。声も低いので威圧的な印象を相手に与える。これとあの新妻さんがくっつくか、と霖之助は感心していた。
「ああ、えと、知り合いの道具屋さんです。例の衝立に興味がおありで」
「その話はもう俺の中では終わったんですがね」
 取りつく島も無いなと慧音は思った。霖之助はさっきから、仕事場の中をきょろきょろと興味深げに眺めている。
「ほら、お前も何か言え」
 慧音が小声で言うと、霖之助はあらたまって、
「大工というから家を建てているのかと思いました」
「家だってそうばかすか立ちませんよ。こうして棚を作ったり、内装を修繕したりする方が多いですね」
「細工の方がお得意で?」
「大きかろうが小さかろうが、大抵の物は作れると思う。それで、おたくは道具屋とのことですが……」
 彼の声には少しも自慢げな所が無かった。ただ淡々と、事実だけを述べているのだろう。霖之助はにっこりした。
「正確には古道具屋です」
「ああ。それであの衝立をね。先生からどんな話を聞いたのかは知らないが、手放すつもりはありません。他を当たって下さい」
「何故です? 聞けば何やら曰くありげな物、家に置いておくには少々気味が悪くありませんか?」
「馬鹿らしい。曰くなんてありませんよ。俺が作ったんだから」
「あなたは奥さんの言ったものを見ましたか?」
「見るわけない」
「確かなんですね?」
「ああ」
「でも奥さんは怖がっていますよ」
「あいつは子供っぽいところがあるからな」
 と、溜息をついた。そして霖之助をまっすぐに見やると、
「つまりあんたは先生に頼まれて、俺を説得に来たんだろう? 悪いが動きませんよ。先生、前から言おうと思っていたが、あなたにはおせっかいなところがある」
「ですよね」
 霖之助は笑ったが、慧音に睨まれて止めた。彼が続ける。
「もう放っておいてくれませんかね。それが俺たちの為に一番なんです」
 慧音は押し黙った。彼の言うことはきっと正しいのだ。
「それは、本当に悪く思っています。ですが、万が一ということもあるんです」
「無いんですって、だから」
 彼が呆れたように言った。慧音はもう帰ろうかと霖之助に視線を送った。

「では本題に入りましょう」
 霖之助がそれを無視して言った。
「実際、衝立に目が有ったか無かったか、そんなものはどうでもいいんです。問題なのは奥さんの不安の拠り所です。ああいう思い込みの激しい人は魔性を呼びやすい。しかもあなたが衝立に触るななんて指示してしまったから、余計に関心を高めているんです。この状態は危ない。いいですか、僕はこれからの話をしています。例えば奥さんが心の片隅にでも衝立への恐怖を持ち続けた場合、近いうちに必ずもっと酷いことが起こります。はっきり言えば、奥さんは死にます。自分の思い込みで作り上げた衝立の化け物に殺されます。処分するなら今の内、ということです。あの衝立は悪いものでは無い。それは真実でしょう。しかし道具というのはどうしても、使う人間に依存する。この場合は奥さんにです。奥さんが衝立を良くない物と認識していれば、衝立は奥さんにとって有害なものに化けるんです。そこにあなたの意思はありません。いいですか、これから悪くなるんです。あなたが何もしなければ、きっと奥さんは死にますよ。それでも処分出来ない理由があるのならば僕は止めません。忠告はしました。どうぞお好きに」
「……は?」

 霖之助以外の全員が凍りついた。少しの沈黙を挟んで、呆然と旦那が言った。
「えっと、あんたは何を言っているんだ?」
「言った通りです。奥さんは死にます」
「んな馬鹿な。何も無いのに死んでたまるか」
「でも死にます」
「あのなあ、人の細君をな、死ぬとかいうもんじゃないぜ? しかも何だ、まるで俺のせいで死ぬみたいじゃねえか」
「ええ。あなたのせいで死にます」
「黙れよ」
 彼が霖之助の胸倉を掴んだ。睨み合いが続く。咄嗟のことで慧音は止めに入れなかった。
「俺はな、あいつを殺すようなものは絶対に作らん。こんな馬鹿な話があるか」
「たしかにこんな馬鹿らしい話はありません。でも馬鹿に出来ないんですよ。僕らはそれを防ぎたいんです」
 彼は舌打ちして、霖之助を突き飛ばすように放した。
「お前、あんな言い方無いだろ!」
 詰め寄る慧音に構わず、霖之助は落ち着いて乱れた着物を直しながら、背を向ける旦那に言った。
「白状してくれませんか? あの衝立の秘密を」

 霖之助の一言は、彼に確かな衝撃を与えたようだった。二人を振り返った時の彼の顔は驚愕に見開かれていた。すぐさま彼は厳めしい顔を取り戻したが、動揺しているのは明らかで、溜息をついたり、腕組みをしたままその場をぐるぐると歩き回ったりした。
 秘密? 慧音の頭に疑問符が浮んだ。衝立を見ていない霖之助が、なぜ秘密があるなどと言えるのだ?
「……はったりだよな?」
 彼に聞こえないよう、慧音が霖之助に耳打ちして尋ねた。霖之助は答えなかった。

 やがて旦那が苦い顔をしながら、諦めたように重い口を開いた。
「……貯金箱なんですよ、あれ」
「……えっ?」
 場が沈黙した。慧音も霖之助も、ぽかんとしてしまった。旦那は大きく溜息をつきながら、
「貯金箱なんです。左右の縁をある手順で動かすと上の板が外れるようになっていて、中に物が入れられるんです。んで、あの衝立の中には今やちょっとした金額が貯まっているんですよ」
「え? それじゃあ、奥さんに『触るな』って言ったのは……」
 彼はくしゃくしゃと頭を掻きながら、
「気付かれたく無かったんですよ。持ち上げられたりしたら、変に重いからばれちまう。おかげで処分するにも一苦労でね」
「え、ええと……」
「あいつが衝立がどうのこうのと言い出した時は肝を冷やしたね。ま、それだけで済んでくれればよかったんだが、今度は先生を引っ張ってきやがった」
「あ、あはは、その……」
 慧音は気まずように目を泳がせた。霖之助は笑い出すのを必死に堪えているようだ。
「つまり、その、あなたが怪異に否定的だったのは、例の衝立を下手に調査されたら困るから、という……えっと、でも、どうして?」
「どうして?」
「あー、どうしてそこまでして隠すのかな……って」
「それを訊くか?」
 霖之助がにやにやしながら言った。慧音ははっとして、
「え? あ、いや、いい! 別に言いたくないことであれば」
 旦那は恥ずかしそうに首を振りながら、
「はあ。いいですよ、そこまで強引に隠すものでもない。でも、あいつには内緒にしておいて下さいね」
 と、少し顔を赤く染めて言った。
「俺たちは二人とも貧乏で、恥ずかしい話、結納もまともに済ませていないんです。だから、そのうちあいつに晴れ着の一つでも買ってやらにゃなと……」

 聴きながら、慧音の心は温かい感情で満たされていた。自然と笑顔にもなる。
「なあんだ。そういうことだったんですね」
「ああ。これで合点がいったよ。だから目だったんだな」
「え?」
 二人が同時に霖之助を振り向いた。
「お金のことを『鳥目』っていうだろう?」
「いや、それは流石に」
「ただの洒落じゃねえか」
「何を言う。妖怪の正体なんてこんなもんだよ」
 霖之助がさも常識のように言うので、残る二人は黙るしかなかった。
 ふと慧音が何かに気付いたように、
「あれ、それじゃあ、彼女が見た衝立の目は、見間違いじゃ無かったってことか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、悪いものでは絶対に無いと思う。衝立の中に詰まっているのは、奥さんへの愛情なんだから」
「でも古道具屋さん、あんたさっき、衝立が悪いものに化けるためには、俺の意思は関係無いって言いましたよね」
 言われて慧音も不思議に思った。どういうことかと霖之助を見ると、やけに良い顔で笑っていた。嫌な予感がする。
「大丈夫です。さっきの話はほとんど嘘ですから」
 次の瞬間、霖之助の後頭部に凄まじい音を立てて拳骨が振り下ろされた。

  ◇

 人里の大通りを、ぎゃあぎゃあ喚きながら男女が歩いている。
「お前は! 今日という今日は許さないからなっ! もうお前なんか絶対信じないからなっ!」
「いいじゃないか別に」
 興奮して顔を赤くしながら、つかつかと早足に歩く慧音を、珍しく困った顔の霖之助が追いかける。
「最終的に丸く収まったし。大丈夫だよ、きっとあの旦那さんなら上手くやるさ」
「それとこれとは別だ! いいか、嘘吐きはな、地獄で閻魔様に舌を抜かれるんだぞ! お前なんか抜かれる舌が足りないくらいだっ! 名前も嘘で話も嘘で! 少しは誠実さというものを学んだらどうなんだっ!」
「言っておくけれど、霖之助は本名だからな」
「絶対信じない! 私は信じないからな! 大体お前はなあ!」
「おー、それだったら僕も言わせてもらうぞ」
 と、霖之助が慧音の行く手を遮った。彼は背が高いので、自然と慧音は上目使いになる。
「今回、僕の出る幕なんて初めから無かったんだ。君がいつもみたいに過去の歴史を読んで、衝立の周辺をちゃんと調べていれば、衝立にお金を隠す旦那さんの姿が見えたはずだ。それでもう解決じゃないか。なんでしなかったんだ?」
「出来るわけ無いだろうが!」
「何で?」
「だって!」
 と、突然今までの勢いがどこかへ行ってしまった。
「……その……置かれている場所が……」
「なに? 聞こえない」
 慧音はもじもじと、耳まで朱く染めながら、
「だって! 置かれている場所が、新婚夫婦の寝所だぞ! そんな場所の歴史を読んだら……その……」

 しばらく言葉が無かった。

「……初心すぎやしませんか、先生?」
 霖之助がひきつった笑顔で言った。
「う、うるさいっ!」
「君さ、一体何年半獣やってるんだよ」
「うるさいうるさいっ! まだ五年目くらいだっ!」
「いやでもね、少しはそういう耐性を付けておかないと……」
「やー! やーだー! お前! 私をいじめて楽しんでいるんだろう! そうだろっ!」
「酷いことを言うね。僕は純粋に君の将来を心配してね」
「うるさいっ! この嘘吐き! 嘘吐きめっ!」

 こんな会話をしながら歩いていたものだから、二人は随分と人目を引いたのだが、当の本人たちはそれに全く気付かずに通りを後にした。
 その場に残された里人たちは、一様にぽかんと口を開けながら、「先生と一緒に歩いていた男の人は誰だ?」と口々に噂しあうのだった。

  ◇

 数週間後のある雨の日、慧音は人ごみの中で偶然、件の夫婦を見かけた。
 声をかけようかと思ったが、遠かったのと、二人の世界に割り込みたくなかったために、彼女はその場に止まって、仲睦まじく歩く二人の後ろ姿をただ眺めていた。
 一瞬、傘を持つ妻の左手に、小さく指輪が光っているのが見えた。




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                               終   20110424
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香霖堂奇譚 | 【2011-04-25(Mon) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
コメント

慧霖いいなぁ…探偵物っぽいのもいい…。文才あるってうらやましいっす…
2011-05-10 火 19:50:02 | URL | #JalddpaA [ 編集]
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